「怒る」と「叱る」の違い


子供と廻転寿司に行ったとき、動いているレーンで子供が遊んでいたことがある。僕が「やめて」と言っても聞かないので、強めに「ダメ!やめなさい!」と叱ったら子供は泣いてしまった。

泣きやんでから「泣いても意味ない・危ない・衛生的に良くない・他のお客さんもいる」ということを説明したけど、子供が100%理解したかと言うと怪しい。こういう教育を根気よくしていかないと、スシローペロペロみたいなのが生まれてしまうのだろう。

子供には「怒る」のではなく「叱る」ようにしている。自分のイライラを相手にぶつけるのが「怒る」、良くないことを相手に気付かせるのが「叱る」。似ているようで非なるもの。自分がイライラしているときに「怒って」しまうのは僕もよく理解できるけど、できるだけ叱るように努力している。

怒る・叱るの基準が親のメンタルに左右されると、同じことをしても怒ったり怒らなかったりすることになってしまう。「前は何も言わなかったのに」と子供が混乱してしまい、常に親の顔色を伺うようにもなってしまう。

ご夫婦は人を育てたことがないから、怒ると叱るの違いなんて分からない。ご夫婦のように内省できない人ってのは、そもそも「今のは叱ってない。怒ってしまった」なんて考えは浮かばない。そんな人たちが「学校を作りたい・不登校児の居場所を作りたい」なんて、何の冗談なのかと思う。

日本はほとんど同一民族が故に人種や民族差別がないから、イジメがクローズアップされるのだと思う。「選民意識・区別」というのは人間の遺伝子レベルのものだから、根本的なイジメの構図は無くならないと考えている。

となるとイジメの対策は逃げ場所を作るしかないんだけど、逃げた先でもきっとイジメは発生するし、周囲の人からは「逃げた先の施設ごと」イジメられるということもある。日本はマイノリティに不寛容だ。

ご夫婦は「いじめられたー😭」と動画を投稿するけど、これってイジメた人へのイジメである。そしてそれを指摘すると「またイジメられたー😭」と嘆き、そのコメントを晒したりするけどそれもまたイジメだ。イジメは連鎖して無くならない。

どうすれば良いか?

もし娘がイジメられたら、僕は「強くなれ」と諭すだろう。叩かれるなら身体を鍛え、ハブられるなら他のコミュニティに属せるようにコミュ力を鍛えろと諭す。イジメられないように学業や運動を頑張ってもいい。どうしようもないなら転校を考えるだろうけど、逃げても同じような仕打ちに遭う可能性があるということは伝える。

スルースキルも大事だ。
昨今ではやけに反論やレスバの能力が持て囃されているけど、何か言われて反論してたらイジメ同様、ケンカも際限なく続く。何をどうしようが、何か言いたい人ってのは一定数いる。


素晴らしい風刺画


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