「自分軸で生きる」ということはワガママに生きることじゃない
「他人は自分の鏡だから、自分が楽しんでいればきっと他人も楽しいはずだ。」
僕はかつてこう考えていたことがあった。しかし、いろんな経験を重ねていくと、「自分が楽しいのは、相手が僕を気遣ってくれているからではないのか?」という疑念が生まれてきた。僕がストレスを感じないのは、相手の気遣いや思いやりのおかげではないのか?そうだとしたらそれ以上に僕は相手を思いやれているのか?
誘われたい人もいる。反対に誘われると断れない人もいる。そう考えていくと友達を誘うことも躊躇してしまったり、考えすぎて疲れてしまったり。人付き合いが億劫になってどんどん内にこもってしまう。以前、マヤさんが語っていた。
「妹とは全然ケンカしなかったのです。私が妹のことを好きすぎて、喧嘩になりませんでした」
この考え方は良くない。
妹が好きすぎてケンカしなかったのではなく、妹さんが気遣って抑えていてくれたからケンカにならなかったのだ。かつての僕もそうだったように、自分本位だと相手の思いやりには気付けない。
マヤさんの考え方を助長したのは、「ワガママに生きよ!」という言葉に代表される子宮系の教え。「自分がハッピーに生きれば周りの人もハッピーにする!」というのは一理あるが、そこに思いやりがなければ軋轢が生まれてしまう。だから薄っぺらい子宮系の面々もマヤさんも、ただの自己中の自己満足で終わった。
マヤさんは信者に向けて「他人の価値観に惑わされずに、自分の好きなように生きて」と語っていた。つまり「自分軸で生きて」ということだけど、それは決して「自分だけよければそれでよい」ということではない。マヤさんはこのあたりが未だに理解できていない。
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