誤解の谷間で
誤解を解こうする年齢は、
とうに過ぎた。
「弁解って無意味だなぁ」そう思うようになって私は、前より冷たい人間になったような、ずっと求めてた本物の優しさに辿り着いたような、そんな気がしている。
そんななか。
久しぶりに激しく弁解したい瞬間があった。
私がふいにした質問。
それが相手を不快にさせたのは、すぐ分かった。
斜め下に向けられた瞳が灰色だったからすぐ分かった。
それに気づいたとき「そんなつもりじゃなかったの」と言いたくなったんだった。
私のふいの質問。
投げた言葉はほんのり丸いと思ってたけど。
相手に届く間に磨かれ磨き抜かれ、鋭い刃に変形したみたいだった。
投げた言葉はぽわんと弧を描いたと思ったけど。
相手が構えた位置からは大きく外れてしまってたみたいだった。
そうか。
私と相手の間に生まれていた亀裂。
何となくそこにある気がしてた亀裂。
それは見えなくても確かにあったようで。
ほんのり丸い言葉もその亀裂を過ぎると
ジャリジャリだかジリジリだか摩擦で磨耗して。
ぽわんと弧を描いたつもりの言葉も、
2人の距離の計算違いでうまく届かなくて。
とにかく何もかも、
うまくいかないんだった。
こんな状況で弁解をしたって本当に意味がない。
投げても届かない。
受け止めてもらえない。
「こうなったらもう仕方ないなぁ」
そう知って理解した私は、
冷たくもありやさしくもあると思う。
傷つけ合うのが苦手な人
傷つくのが怖い人
傷つけるのが怖い人
傷つけ合うことが喜びな人
傷つけ合う痛みに鈍感な人
傷だらけで抱き合いたい人
いろんな人がいろんな生き方をしていると知ってから何も押し付けたくなくなった私は、きっとこの先ももう何の誤解も弁解をしないだろう。
弁解が必要な間柄にはほとほと疲れた。
傷だらけで抱き合いたかった私は、もう居ない。
でも言葉は投げ合おう。
亀裂の谷間に落ちてくカケラを
紙吹雪みたいに眺めて
歪んで離れてく風船見上げて
コーヒー飲もう。
キラキラ
キラキラ
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