可能性を潰すということ
大人になると言うのは、可能性を潰すことなのかなと今日ふと思いました。
子供の頃は可能性いっぱいで、なんにでもなれると思っていたことがありました。
幸い私は祖父母から無償の愛をたくさん受け取れたので、自己肯定感の高い子供時代を過ごせました。理科が好きだったのと、手先が器用だと誉めてもらっていたので、お医者さんになりたいとか、獣医さんになりたいとかいっていました。
中学、高校と進み、自分より遥かに頭がいい人にであって、自分の偏差値でなれるものはなにかと考えるようになりました。医者にはなれなさそうだったので、医療と繋がっていそうな福祉ロボットとかやりたいと思うようになりました。
大学の研究室は、福祉機器開発をしているところを希望していましたが、かなわずヒューマンインターフェースの研究室に配属になりました。
そこでもロボットをしたいと思っていたのですが、助教からの「今までロボットをしてこなかったのにホントにロボットがしたいのか?」という言葉の影響を受けて、ロボットは一旦封印して安全システムの研究をすることになりました。
就活では研究と全く関係ない企業を選んで、なんとか潜り込むために開発希望から生産技術志望に変更して、内定をもらうことができました。
人生のターニングポイントを経る度に、当たり前ですが選ばなかった道の可能性を消しています。当時はやり直しがきくと思っていましたが、やり直すには相当なエネルギーが必要だと言うことがわかりました。現に転職活動でも、違う職種への転職は困難が伴うようです。
こうして、人生の選択肢が知らず知らずのうちに狭まり、身動きがとれなくなったことを実感します。あのときこっちを選んでいればよかった、妥協していなければよかったと後悔して、絶望します。そして、覚悟を決めるのです。自分はこの道で生きていくしかないと。覚悟が決まった人間は大人です。理不尽な要求にも答えます。最後まで物事をやり通します。途中で投げ出したりしません。なぜなら、そこにしか自分の居場所がないからです。必死に守ります。それが大人なのだと思います。