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通天閣の下の赤ちゃん  第ニ十話

 大阪の地下鉄は、赤ちゃんが生まれた昭和ニ年頃から企画され、五年が着工である。大阪のド真ん中に飛行機の滑走路を造るのかと悪口を言われながら御堂筋にメイン道路を開通させた名市長、関さんがその道路下に地下鉄を創設した。昭和八年に梅田から心斎橋迄、十年には難波迄、そして昭和十三年には天王寺迄延長して完成させた。
 決闘場所は地下鉄延長工事で露天掘りをしている天王寺動物園横の工事現場であった。
 早朝まだ工事人夫たちが来ない間に、工事管理事務所の仮小屋から、かなり離れた監視の目の届かない地域が選ばれていた。
 明け方、暗い内に出掛けないと日の出には間にあわないので早く寝ようと、珍しく子供部屋で夕方から就寝した赤ちゃんはなかなか睡眠状態に入れない。当たり前である。普段は真夜中の十ニ時に寝るというのに、こんな慣れないことをしていては眠れるわけがない。
 仰向いて、天井板の染を見ていると色々な形になって連想がおこってくる。あの鼻のでっかい馬鈴薯のような顔は小学校担任の岡田先生に見えるが、あのジャガイモ先生は一寸イケスカナイ。なぜって、家庭訪問に来た時、どこかで頼まれた私製の瓶詰めの油薬を持ってきて、傷によく効くのでお宅の薬局店に置いて下さいと勧誘をした。多分利益の一部をコミッションで貰う約束なんだろう。これが見本ですとサンプルを預かった母親が困ってしまった。先生だから無下にも断れないと躊躇していると、何回も来て百個程どうですかと言った。赤ちゃんは子供やけど大人の心はよく読めるんや、なんといっても新世界の子やから、世の中のことはよく知ってるんや。世の中の綺麗なこと、汚いことは大体分かるんや。ジャガイモ先生はうす汚れて欲張りや、正々堂々としてへん。陰でこそこそしてたらあかんのや。なんでも正面からブチ当たらんとあかん。
 「堂々」と口走ってから目を閉じると、母親の秀子が浮かびあがってきた。ドクロ団のことはうすうす聞いているかもしれない。けれど赤ちゃんが首領だとか、決闘が明日にあるとは夢にもおもっていない。
 なにしろ秀子は店の切り盛りで、毎日が目の廻る忙しさである。おさんどんが食事を用意するとはいえ、開店十時から夜中の一時の閉店まで帳場に出突っ張りで、店員への指図から、応対、勘定、店の一切の管理を一人でこなしている。早起きで小心な父親は専ら外販である。外交セールスの外売りのための仕入れ、卸しで外廻りに没頭している。昭和四年の大恐慌から後、続いた不況は夫婦ニ人で、この位てんてこ舞いしないと倒産する程深刻だった。どの店でもそうだった。それは赤ちゃんもよく知っていた。
 母親には心配をかけさせたくなかった。まして悲しませることはダメ。できれば早く大きくなって商売を手助けして、楽をさせてあげたい気持ちだった。
 だけど明日は決闘に行かなければならない。もし、この事を知れば、どれ程母親の秀子を悩ませることになるだろう。それを思えば、とても眠れるどころではなかった。いよいよ目が冴えてしまった。
 いっそのこと、ナポレオンが何度も忠告してくれたように明朝は行かんとこか。それでもええやないか。本人が中止や言うたら中止や。行けへんかったら自然中止になるがな、結構なこっちゃ。ナポレオンの言うように賢ういかなあかんのちゃうか。
 みすみす負けると分かっているのに行くのは阿呆や。ほんまに阿呆や。阿呆か賢か、どっちやねん。行きつ戻りつした気持ちが、またぶりかえしてきた。心が何度も揺れているうちに赤ちゃんはウトウトと軽い睡眠をとったが、明け方前の午前四時には目が覚めてしまっていた。
 赤ちゃんは物音を立てないようにそっと寝床から立ち上がった。新ちゃんがロックのことだから何をするか分からん。あいつのことだから、ひょっとして刃物を隠し持っていることもあるだろう。万が一のための用心や、これをきつく巻いとけと渡された晒し木綿を腹にグルグルと五重ぐらい巻きつけて、キュッと締めつけると小さな腹筋が固くなって、力がぐっと満ちて、男らしくなった気がしてきた。よしっと素早く着衣をして、裏木戸からそっと暗闇の外に出た。

第ニ十話終わり   続く

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