ばななの力


よしもとばななの『イヤシノウタ』を読んだ。そして今、本の題名にもなったばななさんを救った歌の一つである忌野清志郎のイヤシノウタを聞いている。よしもとばななは私が尊敬する作家のひとりである。彼女は日本を代表する女性スピ作家と言っても過言はない。異論は認める。
私は彼女のことを処女作の『キッチン』で知った。悲しみの底から這い上がる人間の強さとしたたかさ、人が人に与えるエネルギーの素晴らしさを想った。『キッチン』に出てくる登場人物は皆、それぞれの地獄を持ち、孤独と戦っている。兎に角、よしもとばななの作品に出てくる人たちは過去が暗い。暗すぎて目を背けたくなることもしょっちゅうで、他人に共有することすらも差し出がましいような過去を持っていたり、普通の人にはないような先見の明という言葉近い第六感を持っていたりする。その特異さやいびつさが心地よく、目を離せないほど強い人に変化する生まれ変わりを遂げていくのが大きな魅力だ。特定の作家を好きになるとその人の本ばかり読んでしまうオタク気質をもっているから、『とかげ』、『スナックちどり』、『鳥たち』、『N・P』、他にも彼女のエッセイはたくさんも読ませてもらった。ばななさんの伝えたいことは非常に抽象的で、初見で私の頭では理解しきれない。再読に再読を重ね、凝り固まっていた感覚が冴えることで物語がやっと始まったり、同じ経験をして初めて意味が分かる人生がある。
そんなばななさんに脱帽したのは、『スナックちどり』だった。(本自体はずっと昔に買って、はじめはよくわからなかったけれど、いつか分かるだろうって思い本棚でしばらく眠ってもらっていたものだった。)当時私は失恋をして、大好きだった人と別れたばかりだった。そんな時にふと手に取ったのがこの本だ。まるで導かれるような自然な流れだった。
本に出てくる主人公のみどりは、離婚して新しい道を進もうとしていた。みどりが付き合っていた男性はカリスマ性があって、みんなに好かれて、でも大勢が望む姿を演じているようでどこか同化しているような、そんな雰囲気を漂わせている人。現実主義で強い女性に見られがちなみどりと彼は目指す方向性が違って、作りたい家族像も違う。たぶんだけどお互いが根本的に幸せになれない人を選んでしまった。
それだけの話ならどこにでもある。だがばななさんの場合は、みどりといとこのちどりをイギリスの果て、地球がまだ平面だと思われていた時代の世界地図の地の果てのような街に送りつける。何もない街。そこは文字通り何もなく、そこで生活を営む人だけが存在する。何もない街が生み出すのは孤独や寂しさであり、自分と向き合う時間であり、ちどりとの深い絆である。ちどりも唯一の家族であった祖父母を失い、失意に暮れていた。幸運なことに私は大切な人を失った経験がない。いつかその時が来たら、ちどりのこともみどり以上に理解してしまう日が来てしまうのだと思う。
この本に引き付けられた決定的なものは、「終わっていくものの枯れたきれいさっていうのは、これから始まるものの華やかさと同じくらいのよさがある。」という文章だった。度肝を抜かれた。その通りなのだ、ばなな様。
ふたりが終わっていくときに感じる、抱えきれないほどの無力さや悲しみ、ひとりに戻ることへの曖昧な未練、枯れていく花も美しいようにふたりが終わるときのわたしもきっと絶望的に美しい。そしてふたりが始まっていくときのキラキラした瞬間の鮮やかさ、喜び、日常を共有する人を想う純粋な気持ち、素直な純粋な好きという感情、サラダボウルにプチトマトが加わるような彩りと華やかさを得た。
相反する終わりと始まりに見えるが相対的に見てどちらも同じくらい美しく、儚く、脆く、すべてに意味がある。そしてふたりが始まるときに勢いがあるとおわりにも勢いができてしまう。原理はわからないけど、ただそういう風にできている。
私が当時付き合っていた彼にも、みどりの元夫のような雰囲気があったように感じる。でなければこの本を読んで、あれほど泣かない。自分になかった社交的な部分にひかれた。好きになった。でも社交的な部分に安らぎを感じられず、その人の存在自体がうさん臭く、薄っぺらく見え、心が離れていった。ベースが違う、という結論を普段用いているが、それだけでは言葉が足りないようにも思う。じゃあ何が足りなかったのか、それは想像力だ。私にとって優しさとは想像力であり、想像力とは頭の良さでもある。彼に言われた傷ついた言葉は数知れない。私には理解ができない発言ばかりで、理解しようとする土俵にも立てないほどだった。そんな人と別れても、さびしさを抱えたり、彼との思い出に浸ってしまったり、私の感情はひたすらに忙しい。自分の別れや決断に後悔はないけれど、どうすればよかったのか過去を回想して、今をぐるぐる面倒臭くさせるのが私という人間の性なのであろう。私はそんな非常にめんどくさ汁を漂わせる自分に向き合うためにもまた『スナックちどり』を読んで眠りにつくのである。

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