K君に捧げるレクイエム

昨秋,学生時代の友人が天に召されたとの報を受けた。
数ヶ月が経過したが,僕の心はまだ深く,どん底にある。上がってこれない底なし沼にハマってしまったよう。ちゃんと仕事にも行っているし,職場で冗談なんかも言っているんだけど,ふとした瞬間に友人のことが浮かんできて,苦しくなって涙が溢れそうになる。こうして文字にしている今このときさえも。

大学時代は地方出身者が集まった学生寮で暮らしていた。出入りはあったけれど,強烈な縦社会で揉まれて過ごした4年間。先輩後輩との沢山の出会いもあったが,悩み,笑い,喧嘩して,議論して,食べて飲んだ同期たちとの繋がりは,大袈裟でなく損得度外視できる,かけがえのないものであると僕自身は勝手に思っている。同期たちがどう感じているかはそんなに正面切って聞いたことはないが。いつも馬鹿馬鹿しい思い出話に花が咲きすぎるので。

だから中年になって,僕はいつも思ってきた。
皆が集まれる機会はそれぞれが忙しくなるからそんなにつくれないかもしれない。もしかしたら誰かのお別れのときに集まることになるんじゃないか。それは悲しすぎるから,早く同期会をしたいと。皆で集まって,少なくなった頭髪や,出っ張ったお腹や,子どものことや病院通いのことなど話題にしながら,そして一番の肴は学生時代の出来事や失敗談。そんな時間を仲間と共有するのが僕の願いであったし,それは多分ずっと変わらず抱いている。

でも悲しいことに,僕の危惧は現実のものになってしまった。

K君とは大学4年間,寮で同じ釜の飯を食った間柄。学部学科も違うし,出身地も一緒じゃない。いつも吊るんでいた訳ではないけれど,同じく系列の男子校出身で,馬があったところは結構あったかもしれない(思い返せば,彼の懐の広さ,大らかさで付き合ってくれていたことに今更ながら気付かされる訳だけれど)。
彼は大学の体育会を4年間やり切った。一見,僕と同じ運動音痴のような風体だけど,九州男児らしい,頑固さというか一本気というか,そういった強さを内に秘めている輩だった。女好きのクセに奥手なところは僕との共通項だったかもしれない。僕の愛蔵の大人のビデオをこっそり持ち出していたことは,時効ということで今回特別に不問にしておいてやる(笑)

大学を卒業してからは,実は数回しか直接会ってはいない。あとは毎年の年賀状のやり取り。でもコロナ禍でZOOM飲み会しようと声をかけたら,いの一番に参加を表明してくれたっけ。でも,当日は相変わらず笑顔での聞き役に徹していた彼だったけど。

ホントいい奴だった。ムッツリ助平さえも彼の溢れ出る人間的魅力の一つ。
嗚呼,もう会えないなんて考えたくもない。

同期が機会をつくってくれて、僕はやっとお墓参りすることが叶った。信じたくなかったけど、僕もやっと受け入れ出すことができるようになって、前に歩めるかもしれない。一緒にお墓参りに行ってくれたり、一席設けて献杯してくれた同期たち、下手すれば卒業以来の再会だったのに一気に距離が縮まる不思議な感覚に陥った。まるで寮の食堂で出会したかのような。タラレバを言ってはいけないのだろうけど、叶うならばその場にアイツも居て欲しかった。そうすれば彼の真面目さを突っ込まれて、困ってるようなハニカんでいるような彼の表情を肴に、一緒に飲んで笑えたのに。でもその楽しみはもう少し先に取っておくこととしよう。

ご実家でお父様から伝えられた「あの子の分も元気に過ごしてください」という約束を果たした後に。

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