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ベトナム駐在(4年間)でやっておけば良かったこと



ベトナムから本帰国して約1年が経過した。

ホーチミンの蒸し暑い喧騒の中で過ごした日々は、人生の夏休みとも言えるくらい充実した日々であった。
現地で第一子を妊娠出産し、
沢山の人に出会い、様々な初めてを経験し、数えきれないほどの失敗もし、人生観がひっくり返るようなことも沢山あった。

我が家を受け入れてくれたベトナムには感謝しても仕切れない。

そしてそんな思いを抱く中で「もっとこれをやっておけばよかった」と感じることもいくつかある。

最初に断っておくと、個人的な感想なので「極端な話だなぁ」と思う人もいるかもしれない。

だが、それもきっとベトナムでの記憶が濃い今だからこそ書ける内容だと思うので、
ベトナム生活の集大成として今回の記事を書いた。

それではどうぞ。



1.もっと現地語を学べばよかった


個人的にやり残したといえるNo.1がこちら。
そして、滞在して一番達成するのが難しいといえるのも"ベトナム語の習得"ではないだろうか。

だが日本人でベトナム語を話せる人も確かにいる以上、私は単に意志が弱かった。
その難しさを言い訳にし参考書での語学学習は途中で挫折してしまった。
そしてホーチミンは大都市だからか、
簡単な英語なら話せる人が多い。

Grabに乗ると話しかけてくれる気のいいおっちゃんとか、公園で偶然出会ったローカルママとの雑談とか、マンゴー売りのお兄さんとか、ローカルの人とは日々会話をしていたが、ベトナム語で話せたのはあいさつと自己紹介程度で、そのほとんどで英語を使っていた。

もちろんそれも貴重なコミュニケーションなのだが、もしローカルの人々と深く繋がりたいと願うなら、ベトナム語は必須だと思う。

正直なところベトナム滞在が長くなっても、言葉を話せない限りは「お客様」と言う立場から自分自身が抜けきれない気がしていた。
(これに関しては色々な意見があると思うが)

現地の言葉が話せない、理解できないというのは、まるで薄皮一枚挟んだ世界に常にいるような、自分がまるで傍観者であるようなふわふわした感覚があった。

その国の言語を話すと言うことは、その国のルールを受け入れ、人々を受け入れ、更に自分から働きかけるつもりがあるという意思表示のような気がする。

ベトナム語を話せるあなたは、きっと「ただのお客様」ではなくなり、コミュニケーションの扉は大きく開かれる。

そして更に言えば、言語を学ぶというのはただの「コミュニケーションツールを得ること」ではなく、言語自体が持つコンテクスト、文化、国民性、その国を包む「空気」を学び受け入れることともイコールであると思う。

例えばベトナム語の時制を表す言葉は、日本語のように厳密ではない。
また英語のように時制による動詞の変化もない。
主語の次に置く言葉によって、現在形・過去形・未来形を表すのが基本だ。
そのためなのか、日本に比べるとベトナムでは時間の概念も緩やかだ。

また、挨拶に"Ăn cơm chưa? アンコムチュア(ご飯食べた?)"というものがある。
これは例えば友人同士などで、相手を気遣う気軽な挨拶だ。

きちんと食べているか。
健康的な生活を送れているか。
まるで実家のお母さんに尋ねられるような質問である。
ただの「こんにちは」よりも、心がじんわりと暖かくなるような気がしないだろうか?
ベトナムでは、それだけ人と人の距離が近いのだ。

ベトナム語の初歩しか学んでいない私だが、それでも言語からこういった文化を感じ取れる。

もしあなたがベトナムの魅力に取り憑かれもっと深く知りたいと思うのなら、俄然、語学学習をすることをお勧めする。
見えてくる景色が全然違ってくるだろうからだ。

そしてこれは蛇足だが、
帰国後もベトナム人と会話する機会がたまにある。
隣の席に座った人だったり、店員さんであったり、駅で困っている人を助けたり。

その際はあちらが気を遣ってくれて英語もしくは日本語で話すことがほとんどだが、もしベトナム語が話せたらもっと色々話せたのに•助けになれたのになあと思うことが多い。

4年もベトナムに住んでいた私よりも、1年しか日本に住んでいない若者の方が日本語が流暢だったりして、私はいったい何をしていたんだ・・・と思わず自責してしまうことも。

だがきっと、今からでも遅くはないだろう。
遅ればせながらベトナム語の勉強を再開している。

2.もっと有名観光地を訪ねておけばよかった



ホーチミン市内でも近郊の都市でも、もっと観光地を巡っておけばよかったと思う。

"その国に住み、観光地にも距離が近い"ということは、物凄いアドバンテージだと思う。

私は駐在中の4年間、
「有名な観光地はみんな行ってるだろうから、せっかくならば地元の人が知っている場所やストリートを巡る方がずっと刺激的で楽しい!」などと考えていて、日々Grabで市内を走り回っていた。
そしてそのように過ごして、実際とても楽しかった。

だが本帰国から1年経過した今ふと思うと、
旅番組やガイドブックなどで紹介される有名な場所をもっと訪ねておけばよかったと思う。

理由は大きく分けて2つ。

恐らくもう「観光目的だけ」のベトナム旅はしないであろうということ。

今年も私はベトナムへの旅を予定しているが、それは「お世話になったシッターさんに子供が生まれるから会いにいく」という明確な目的がある。
きっとそれ以降も、現地の友人を訪ねることが目的の訪越を重ねることになると思う。

ベトナムに4年も住んでしまった今、
「今度の連休に"観光"でベトナム行こう!」とはもうならないと感じている。
それは何故か。

住んでいる時に行けば10分の1の値段で行けたよな…という考えがよぎるからだ。

これは非常にケチ臭く聞こえるかもしれないが、実際私はそうなった。

なんでも"今"なのだ。

もしあなたがベトナムに住んでいるのなら、
考えうる限りのあらゆる場所を訪ねてほしい。

住んでいる今がベストタイミングなのだ。

②おすすめスポットを聞かれた時に困る

帰国後、ベトナムに旅行予定の人からオンラインアテンドを頼まれたり、旅程の相談を受けることが何回かあった。
その時にいわゆるガイドブック乗っている定番スポットについての感想を訪ねられたりする。

実はそこまだ行ったことないんです・・(テヘペロ」と言うと結構びっくりされる。

結構長く住んでたのに・・・!?
と言う具合だ。
なんかすまん。

(もちろん皆良い人なのでそのワンリアクションにとどめてくれるが)

なので、知る人ぞ知る現地のローカルレストランやカフェ、雑貨屋さんなどを教えてあげることが多いが、確かに定番スポットも巡っておいた方が良かったな…と思う。

というか巡って後悔することはないと思う。

駐在というのは、そもそもとんでもないボーナスステージである。
会社が保険、ビザ、住居、学費・・などなど、さまざまな面倒な手続きの面倒を見てくれる中で外国に住むことができる。

お金のことについてはそこまで心配せず(日本に帰ってから貯金すれば良い)、
"この国の全てを味わい尽くそう"くらいの気概を持って毎日を送った方が、
後悔のない駐在LIFEを送れると思う。


3.ベトナム料理作りに挑戦しておけばよかった


フォーを作る、旧正月料理を作るなど…どれもこれも頑張れば日本でも作れそうだなぁなんて思っていた。日本に帰るまでは。

確かに同じような材料はちょっと大きいスーパーや新大久保など行けば手に入るし、作れはする。

しかし、その味は全然違うものになったりする。

例えば鶏肉。ベトナムの鶏肉は骨付きで買うのが普通であり、味や風味が日本のものに比べるとかなり強め。

その野生味が強い"クセ"のある鶏肉と、香りの強いパクチーなどのハーブが合わさった時、なんとも表現し難い絶妙なハーモニーが生まれるのだ。

まさに"やみつき"とはこのことか、と
初めて現地のPhở Gà(フォー•ガー)を食べた時に思った。

対して、日本にあるベトナム料理屋さんで食べたフォーの味はかなりあっさりしていた。
それも美味しいのだが、パクチーが変に浮いてしまう。これでは日本人がパクチー苦手だと言うのも頷けると言うものだ。

ベトナムにいれば、ベトナム料理の材料は当然とても安く手に入る。
現地では野菜とフルーツがとにかく安い。
食料自給率100%超えの国である。

もしあなたがベトナム料理を味わうだけでなく自分でも作ってみたい、と少しでも思うなら
ぜひ食材に恵まれた国であるベトナムで、
心おきなくベトナム料理を学び&作っておくことをお勧めする。


4.ローカルの子供たちとの交流の機会を作ればよかった


子供が0-3歳というまだ小さい時期を過ごしたこと、インターでなく日系幼稚園に通っていたこと、私自身がベトナム語に達者でないことから、これに関してはなかなか難しいことではあった。

だが4年間も住んだことを考えると、親である私が言葉を学びローカルの親子との交流機会を作り、できればローカルのママ友を作りたかった。そして子供にもローカルの友人を作ってあげたかったと思う。

夫や私よりも、子供の方がベトナムと深くつながりがあることは間違いない。

何故か?

生まれた娘を取り上げたのは現地の産科のお医者さんであったし、
娘が初めて歩いたのはベトナムのデパートだ。
初めて遊んだ砂場はベトナムの公園で、
離乳食ではドラゴンフルーツやスイカなど南国のフルーツをたくさん食べ、
初めてのクリスマスも、お正月も、誕生日もベトナムで過ごした。
更に彼女の戸籍の出生地は「ベトナム国」と記載されている。

だが娘が大きくなっていくにつれ、確実にベトナムで過ごした日々の記憶は薄れ遠いものになっていくだろう。学生になる頃にはほとんど思い出せないかもしれない。

そんな中でも継続してローカルの友だちとの交流があったら、ベトナムへの繋がりをもっと感じられたかもしれない。親である私がもっと、意識的に交流の機会を作ってあげられれば良かったと思う。
難易度の高い話だとは思うが、これが素直な感想である。


でも繋がりがなくなってしまったわけではない。
私の友人や、お世話になったシッターさんもいる。
彼らに会いに行く時、娘を連れて行きたいと思う。

どんどん成長していく娘がこの先、ベトナムに降り立って何を感じるのか、今から楽しみで仕方ない。


あとがき

長くなってしまったが以上が私の「ベトナム駐在でやっておけばよかったこと」である。

駐在中は毎日が目まぐるしく過ぎていくものだ。

忙しい時もあれば中弛みする時もある。
楽しくて仕方がない日もあれば、
どうしようもないくらい気分が落ち込む日もある。
だが忘れないでほしい。1日をどう過ごすかは自分次第であり、時間は皆に平等だということを。

昨今の円安事情のせいで、たくさん観光に行くというのは費用的に制約があるかもしれない。
ただ、帰国後にはるばる日本から行くよりは間違いなく安くなる。
何より経験に使うお金というのはどんな物を買うよりも満足感がある。

そして振り返ると、現地に滞在中の1日1日が
どんなに貴重なものだったのかというのをひしひしと感じている。

気になる場所を見つけたら、今日行こう。
明日はまた違う場所が気になるだろうし、
次の機会がやってくるかはわからないのだから。

なるべく言葉を学び、交流しよう。
一つ一つの出会いは奇跡で、二度とないのだから。

読者の皆さんには後悔のない、
充実したベトナムLIFEを送ってほしい。


今回はここまで!

読んでいただきありがとうございました。

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