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新卒就活で失敗したが数年かけて経済的に持ち直した話。

 個人的な話になるが、人生でひとつの節目を迎えたこともあり、こうしてnoteを書くことにした。また、闇バイトのように経済的な困窮から誤った方法を取ってしまう人間が多い時代のように思う。僕も新卒の就活で失敗し、経済的などん底の中からなんとか生活を持ち直して生きている。今辛い思いをしている人が、これを読んで少しでも頑張ろうと思えればこんなに嬉しいことはない。ちなみに情報商材は嫌いなので、この話でお金を取るつもりはない。(そもそもお金を取れるような情報ではないかもしれない。)

1.まずは時系列を話そう。

 この手の話は時系列があったほうがわかりやすいと思うので、身バレしない程度に書きたいと思う。

20xx年
大学卒業。所謂JTCに入社する。B2Bのため一般的な知名度はなし。
営業職であったが、お客さんとの雑談が苦手。販売ノルマや行動ノルマに追われて残業時間が120時間ほどに。予定では年収450万円ほどになっているはずであった。
退職間際に実家に帰り、精神安定剤を飲む日々。転職活動を行うが全く内定を得られず、第二新卒で余裕だろうと思っていただけに勝手に精神的ショックを受け続ける。なんでもいいから仕事が欲しいという気持ちで毎日憂鬱。学生時代から付き合っていた人に浮気されて振られる。

20xx+1年
冷静に考えてみると退職理由がヘビーでダークすぎたため、ポジティブなストーリーに切り替えて内定を得る。1つは海運業で、もう1つは人材業。海運業は零細だが経営は安定しており、長く働き続けられそうであった。仕事も暇らしい。人材業の方は薄給激務。ただし人材業は良くも悪くも人の出入りが多く、仮に会社に合わなくても次の仕事が見つかるのではとの期待があった。
新卒ではJTC、つまり完成されきっていて歴史のあるビジネスモデルの世界に適応できなかったところから、色々ゆるそうな人材業に入社を決める。たしか給与は300万円ほど。上京し働き出すが、全く経済的な余裕がなかった。サラ金から借りてなんとか生活をつなぐ日々。マジで自由に使えるお金がない。心が荒み、スマホの無料アプリで気晴らしをするだけだった。
仕事も特にあわず、ミスをしては怒られた。辞めたいという感情以外なかったし、自律神経失調症になりかけたが、死ぬエネルギーもなく働き続ける。通勤に使っていた日比谷線霞が関駅は当時ホームドアがなく、なんども飛び込みたくなっていた。
ただし良いこともあった。当時の人材業はDXが盛んで、かつその担当者が急に退職したため、その仕事に少し携わることができるようになった。どのような仕事でも決して拒まず、取り組んでいたことでチャンスが回ってくる。
ITは正直何も知らないため、さらに忙しく苦しい中で仕事をする。ちょっとずつ自分にしかできない仕事が増え、社内での立場が若手ながら上がっていった。ただし、元々担当していた仕事は依然苦手だったので、辛いことに変わりはなかった。
給与はわずかながら上がっていったが、生活は相変わらず厳しいままだ。見栄を張って外食をしていたが、本当に金がなかった。

20xx+2年
部門で大量退職があり、恐ろしい薄給激務の嵐に巻き込まれる。その当時の記憶があまりない。
それをなんとか乗り切ったところ、関わっていたDXの仕事の主担当になっていた。これも急な退職のおかげだ。人がぽんぽん辞めるおかげで、チャンスが回ってくる。ダースベイダーの部下も同じ感じらしい。
仕事は面白いが別に金は増えない。その代わり信頼の貯金のようなものが溜まっていった気がする。仕事の後に毎日えらい人たちと飲みに行って食費を節約した。純粋に楽しかったし、最初の会社のように気を遣うこともないので楽だった。
担当していたDX案件の過程で、社員の平均人件費を知る。自分の給与より200万円ほど高かった。
この頃、自身がADHDであることがわかり、投薬治療を始める。仕事の出来がよくなってきたが、ADHDなので通院が面倒になり結局行かなくなる。

20xx+3年
会社全体が暇になっており、DX化を進める自分以外はみんな時短勤務のような状況だった。その中で自分だけ残業時間が40時間ほどだった。この状況に憤りを覚える。「自分より200万円も高い人たちが定時で帰り、自分はそんな人たちを楽にさせるために毎日残業をしている。」そんなことを毎日考えていた。でもまあ、これも何かの経験になるだろうと思い、自宅でも持ち帰りで仕事をする。朝5時から夜10時くらいまで働く日々。この頃転職活動を始める。
ここで人材業の利点が活き始める。辞めていった元同僚が仕事を紹介してくれた。給与が200万円ほど上がる形で他社へ転職できることになった。ありがとう激務。ありがとうモラルなき人材業界。

20xx+4年
年収500万円ほどでスタートアップに転職する。この時点で経済的な困窮はだいぶなくなっている。
別のストレスとして各タスクで要求される完了スピードが恐ろしいほど短くなった。初見のタスクを短期間で終えることが求められた。
前職同様、与えられる仕事はなんでもやった。自分に関係のない部門であっても仕事をした。その結果、マルチロールさに磨きがかかり、何が得意なのかがいまいちわからない人間となっていた。ただありがたいことに、そういった人間でも評価をしてくれる会社だったため、昇給や昇進をいただけた。

20xx+5~8年
会社はどんどん大きくなった。仕事にも慣れ、マルチロールからも少しずつ脱却しはじめていた。ただし、会社自体の規模的成長と反比例して、事業自体は粗が見え始めるようになっていた。構造的に勝てない勝負に臨んでいるのではないか。そう思って別事業を推進していたが、特に会社から支援されることもなく、みんなは祖業に励んでいた。
人は増えたが尊敬できる人ができなかった。普通スタートアップって後から入ってきた優秀な人に、古株たちが仕事を奪われながら新陳代謝していくものだと思っていた。しかし、この会社ではそれがなかった。後から入ってきた人で「この人優秀だな」と思った人はすぐに退職していき、「この人ちょっとやばいな」と思った人だけが残っていった。
経済的な要因ではないが、僕は自分の成長や将来への不安から転職活動を考えはじめた。
そんな中で、全社的な祖業回帰が決まった。自分にとってはもはや魅力も思い入れもない事業である。そこに取り込まれるのは御免だ。そう思って本格的に転職活動を開始した。
今回は前より経験値が多い。そのおかげか、2週間ほどで外資系企業への転職が決まった。給与は100万程あがる。

新卒就活でしくじったところから、約2倍の年収に上がることができた。もちろん人生はまだまだ続くので、あがり気分でこういったことを書かない方が良いのかもしれない。
また、世の中には自分よりさらにすごい変化を経験した人もいるかもしれない。ただ、自分は別に実家も太くなく、頭がすごく良いわけでもない。人より気が弱いので毎日様々なものに怯えながら生きている。そんな人間でも経済的にマシな暮らしを送れるようになったので、同じような境遇で苦しんでいる人がいたら参考にしてもらいたいと思って書いている。

では、時系列は終わりにして、どのようなことがこの要因となったのか、自分の考えを書きたいと思う。

2.仕事に全て捧げてプライベートは捨てよう。

 仕事は良い。小さな成功や失敗の連続で、自分のみじめな境遇から目をそらす効果を持っている。また、1日の中で多くの時間とエネルギーを投下する行為でもあるので、そこから得られるものはすべて獲得した方が得だ。
仕事で得られるリターンは「給与」と「次の(ちょっと高度な)仕事だ」。この言葉は学生時代、まだ自分が社会の苦しさを知らないときにお世話になった恩師が教えてくれた言葉だ。
 人間、短期的な損得で物事をとらえてしまいがちだ。その仕事が金銭的においしくない場合、手を引く方が得だと考えてしまう。これは間違いではない。世の中には糞みたいな給与で人を使おうとする糞みたいな仕事が多い。しかし、その仕事の中から、自分が今とは違う仕事を獲得できる機会が得られそうであれば、時給的な損は認識したうえで、全力で取り組んでみると良いと思う。いつものルーティーンから少し仕事を増やしてみる、今まで誰かに頼んでいた高度な仕事のやり方を、少しずつ吸収していく。それを繰り返すことで、1年後には今までの自分ではできなかったであろう仕事に取り組めるようになる。
 また、それには副次的なメリットもある。それはスタートアップ企業で働きやすいということだ。スタートアップは人の少なさから、一人の人間が幅広い仕事を担うことが多い。そして最初のうちはそれらにクオリティが求められることも少ない。とりあえず誰かがその仕事を担当してくれているだけで満足される(もちろん例外はある。)。スタートアップは硬直化した会社と比較して人事がゆるい。成り上がるには最適だ。
 最近はライフワークバランスや自分の健康を第一として働き方が許される時代となった。そちらで満足のいく収入があるのであればその働き方の方が良いが、金がないのであれば辛く苦しい世界で、自分の健康やプライベートをすべて捨てて働きながら、別の仕事のための経験値を貯めていく方が良い。眠っても人生は好転しないが、働けば(仕事の中身は関係するが)豊かになるチャンスがある。

3.ルーティンの仕事+αを職場から学ぼう

 先ほどの章で少し書いたが、自身に与えられた仕事以外の、職場に存在するすべての仕事に興味を持ち、必要に応じて学ぶことが重要だと思う。職場は様々な仕事が集積されている。特にオフィスワークは。
 そんな中で、自分の担当職務だけに興味を持つのはもったいない。なおさら、その仕事が別に高収入につながらないのであれば。同じ職場であっても職種ごとの収入の違いは存在している。そして、会社が変われば職種ごとの収入の差も大きくなる(かもしれない。)。今の職場で多くのことを学ぶのは、将来的に自分の食い扶持を増やす糧となる。

4.職場の人間関係には深く入り込んでおこう

 職場では深い人間関係を築きたくないと考える人は多いが、可能であれば濃い人間関係を作っておいて、何かの時に助けてくれる(場合によっては自分が助ける)人を増やしておく必要がある。結局自分の努力だけでどうにもならないことがある。そんな時に、蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様のように、自分を救い上げてくれそうな人間関係はあったほうが良い。もちろん、助けてもらってばかりでは駄目で、自分から助けることも大切だ。基本的に自分から助けておいて、それにきちんと返報してくれる人を見定めておくと良いと思う。
 ただ僕は人間関係の維持が得意ではない。知り合った人と日常的に連絡を取ることはないし、失礼なことをしてしまって気まずくなって連絡を取らなくなることは多いし、勝手に苦手意識を覚えて距離を取ることが多い。
 それでも、たくさんの人と知り合って、その中でいくつか親しくなった人が自分を助けてくれることはある。職場の人の出入りが多いほどこのチャンスは大きくなる。打算的ではあるが、職場の人とは濃い人間関係をつくっておいて、相手の人となりをよく知り、可能であれば仲良くなっておくことが好ましい。

5.SNSで親しくない友人の近況を見るのはやめよう。

気の合う仲間であればSNSで近況を知るのは良いが、そこまで仲良くない人の投稿を見ると、こちらが劣等感を覚えて辛い思いをすることが多い。だいたい幸せなことか自慢したいことしか書かないため、そんなものをこちらが見ても幸せになることはない。自分に余裕があれば人の幸福を喜べるが、少なくとも自分は違うタイプのためほとんど見ないようにしていた。

6.一発逆転や短期決戦の思考は捨てる。

「上手くいっていない人間ほど人生で一発逆転できる何かを探しがち」と昔知人から聞いたが、これは事実だと思う。基本的に人生に一発逆転はないし、今ダメな生活が短期的に改善されることはない。長期的にコツコツ上げていくしかない。
 例えば職を変えて年収を上げるにしても、1社間の転職で爆発的に年収を増やすことは難しい。ずっと直向きに働いて、転職するごとに刻むように年収帯を上げていく方が安全だ。
 例えば、不動産の営業等のように、高いインセンティブのある仕事を選んで年収を上げていく手法もあるが、あれはあれでアスリートのようなものだと思うので、僕はお勧めしない。少なくとも自分にはあのような世界で成果を出し続ける素質はない。

7.チャンスの多い場所に行こう

 私は地方出身だが、地方の会社ではまったく転職できなかった。東京の会社に変えた途端内定がすぐに出たので、逆転を狙って働くなら東京の会社かなと特に根拠なく考えている。
 そもそも会社の数や、出会える人の数が地方と東京では段違いだ。あなたに養う家族がいないのであれば、出稼ぎのつもりで東京に出てみると良いと思う。人生を変えるような仕事や出会いが無数に存在している(もちろん悪い出会いもある)。
 金?借りれるのであれば借金しよう。親?反対されたなら黙って出よう。僕は色々あって実の父親と絶縁したが人生ハッピーだ(これには個人差がある。)。
 ただし、東京=成功ではない。ただチャンス、つまり何かを試行する機会が多いだけだ。生活費は余計にかかるし、豊かな人も多いので惨めな気持ちになることも多い。それでも、働き口の種類と数の多さは都会だけのメリットだ。

7.おわりに

 なんだか自己啓発本のようになってしまったが、実例として年収をなんとか2倍にした凡人がいるので、これを読んでいる同じような人にもチャンスがあると考えている。
 ただしこの通りに動いたからといって成功するわけでもない。免責事項として書かせてもらう。本来は人や組織、物事の失敗談から「やってはいけないこと」を学ぶ方が最適だ。成功するためのヒントは実は見えない変数が多すぎて参考にならないことが多い。

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ponta0614
サポートいただけたらそのお金でバドワイザーを飲みます。というのは冗談で、買いたいけど高くて手が出せていなかった本を買って読みます。