64歳リタイアおっちゃん。神経症の私と高齢者アスペルガーの母との葛藤。そして「生まれかわり」を求める人生の旅。
私は、1998年春、会社に行けなくなりました。
診断名は「神経症」
それから、精神安定の薬を飲み続け、既に25年が経過しました。
最初の半年は、薬の影響で、会社に出社しても事務所の机に座っているだけで、息が苦しく、「はあ、、!はあ、、!」
と午前中を何とか乗り越え、
孤独なお昼時間を過ごし、
午後は、ひたすら時間が過ぎるのを耐える日々でした。
こんな私に妻は必至で付き合ってくれました。
車も運転できなかったので、妻には、会社の往復を支えてもらいました。
皆さんのnoteを拝見して、色々な方が苦しみながら人生を乗り越えようともがいている姿に、心が揺り動かされる思いです。
また、勇気づけられています。
そんな精神的な問題を抱えている私でしたが、
会社からは課長の辞令を受け、
また、東南アジアへの転勤の辞令を受け、
更には、アメリカへの転勤の辞令を受け、、、
崩壊しそうなほどに狂った自分をごまかして、何とかかんとか仕事をこなしていました。
海外で活躍した、、とは、とても言えたものではありません。
でも、私は人の目、人の評価を基準に生きてしまいましたので、
本当の自分の姿に蓋をして、
目の前のなすべきことにすがり付いて、
なすべきことをこなすことで、
何とか心のバランスを取って生きてきました。
否、誤魔化して生きてきました。
こんな私のひずみが、最悪形で姿を現してしまいました。
刹那的に生きてしまった私は、ついに妻を裏切ることをしました。
これは、人としてしてはいけない事です。
近年、週刊〇春、等で、色々な芸能界の方々の生き様が暴露され炎上していますが、私の姿と全く同じです。
私には、非難する権利はありません。
私の過去と重なり、今もそういった記事を読むたび、
心が苦しい時間を過ごしています。
アメリカでは、限界になり、
上司に、相談し、日本に戻して頂きました。
白旗です!
アメリカから帰国した私は、
妻の強い勧めで、本格的に神経症と向き合う覚悟を決め、
2006年秋から、
神経症の専門クリニックにかかりました。
(今も、継続して治療をしています)
「神経症」、、、、
この治療を進める中で、
「私の問題は、私自身の問題もあるが、
家族のあり様に問題があるかもしれない」とのことで、
「お母様をお連れ下さい」
とのご指示で、母も専門的に見てもらいました。
「間違いなく、お母様は高齢者のアスペルガー(非定型自閉症)ですね」
との診断でした。
2006年当時、私は、アスペルガー、それも高齢者のアスペルガーということに、全く知識がなく、初めてうかがうものでした。
私は、妻と共に、アスペルガーの本を読み、神経学会が開催するセミナーに参加して、、、少しずつ、母の事が理解できました。
でも、子供のアスペルガーは当時から問題になっていましたが、
高齢者のアスペルガーについて書かれているものが少なく、
事例がない中、妻と苦労しながら、母に向き合っていました。
世間で「毒親」と言われている親とのかかわりで苦しんでいる皆さんがいらっしゃいますが、私の場合も、まさに「毒親」と言えるものでした。
そして、その正体は、高齢者アスペルガーの母でした。
家事を一切しなかった母
子育ても、孫の世話も、一切しなかった母
私(息子)が精神疾患になっても気にしなかった母
夫が心臓病になっても、白血病になっても、
寝たきりになっても、気にしなかった母
祖母が夜中に痴ほう症で徘徊しても、何もできなかった母
祖母が亡くなるその日まで、全く世話をしなかった母
父をが亡くなるその日まで、全く世話をしなかった母
孫が不登校になって苦しんでいても、気にも留めなかった母
自動販売機でジュースを買えなかった母
公衆電話で電話をかけることが出来なかった母
親戚付き合いも出来なかった母
人の心が理解できなかった母
何故???
私の妻が倒れても、自分優先だった母
私が行き詰って、神経クリニックに通っても気にしなかった母
孫がお腹が痛く苦しがって、もがいていても、見ることもしなかった母
夜中に暴れまわった私を、、、何もなかったように冷たい目でみていた母
私が本気で殴り掛かった時に、初めて見せた、、鬼の顔で睨んできた母
何故??
一方で、頭が良い。
学校の成績は良かった。
でも、心は理解できない。
地域、親戚、同居しない子供の前では、うまくごまかしている。
他人の発言に合わせて、相づちを打つのが上手い。
じょうずにその場をすり抜ける、、、。
だから、同居家族以外には決して見えない、どす黒い闇。
地域のローカルニュースで、80歳の親を殺害した50歳の子供がいた。
なぜか、若くない50歳の子供の気持ちが理解できる。
そんな、自分が悲しかった。
私が幼少期から感じてきた生きづらさ、母との歪んだ関係、これで崩壊してしまった私の会社人生、夫婦関係、、、
この理由の一つが分かったように思いました。
そして、もう一つ理解したことがあります。
「カサンドラ症候群」
です。
妻は、カサンドラ症候群になっていたと思います。
その原因は、
私自身に有ったと思います。
そして、私の母でした。
更に、アスペルガーを妻に持った私の亡き父も、
そうだったと思います。
我が家は、
・私
・母
・父
家族それぞれが、もたれ合って、原因の分からない、複雑に絡み合った糸にがんじがらめになって、お互いにお互いを苦しめ、思いやれない、愛のない家族になっていたのだと思います。
そんな我が家に嫁いだ私の妻は、自分の人生をかけて、向き合ってくれました。
2012年春に、社長としての二度目の東南アジアへの転勤、
そして、帰国後は、引き続き部長として九州への転勤、、、
この間は、妻が定期的に薬を運んでくれ、何とか、乗り切ってきました。
しかし、我が家の状況は、母の介護、妻の両親の介護、、
本家の長男として、親戚への対応、、、等、
妻一人では、これ以上無理でした。
転勤を継続できる状況ではなく、
仕事を取るか家族を取るか、人生の選択の時でした。
悩んだ末に、退職覚悟で、上司に相談したところ、
会社役員は解任となり、一般職の立場で、2017年暮れにようやく地元に帰任しました。
それからは、母の介護、妻の両親の介護を手分けしながら、
与えられた仕事をこなす日々が続きました。
母との葛藤は引き続き、これは永遠に切れない運命・宿命と思っていました。
そして、新型コロナの真っ最中に、面会も限定された中、2021年の春先、母が亡くなりました。
そして、半年が経過し、葬儀・法事・遺品整理、、、色々なことが一段落した、2021年のクリスマスイブ、
私は、会社に出社したものの、急に涙が止まらなくなり、
心も体も、苦しくなり、仕事が出来なくなりました。
上司の勧めもあり、会社を早退しまし、
直ぐに神経内科クリニックに駆け込みました。
とにかく、心、体を休ませることが大事!
生きることに疲れてしまっている!
暫く会社を休んで、人生の疲れをいやすことが大切です。
と言われました。
上司も、とにかく心配しないで休職しなさい、、とのことで。
それから、長い長い休職を経験しました。
当時は、62歳で、まだ65歳まで3年頑張らなければ、、、と思っていましたが、心は限界でした。
私自身の事
母の事
父の事
家族の事
親戚関係の事
そして、私達夫婦の事
何を捨ててきたのか
何を見て見ぬふりをしてきたのか
何が一番大事なのか
ずっと、自宅に籠って、来る日も来る日も、自分と向き合う日が続きました。
心療内科クリニックでのカウンセリングにすがり付きながら、
生きてきました。
結局、休職は8ケ月になりました。
休職から一旦復帰しましたが、これ以上の業務は無理との判断で、
この3月末で、完全にリタイアしています。
最後の日は、苦しみながら出社し、挨拶しました。
送別もなく、静かな会社人生の最後でした。
このような、経験から、今はこのように思っています。
私は、意味があって、アスペルガーの母から生まれた。
この”生”には、意味があると信じよう。
そして、このがんじがらめの我が家に、私に、出会い結婚した妻との出会いにも意味があったと信じよう。
いつまでも、過去に絡み取られる生き方は止めたい。
今を大切に生きよう。
もっとも新しい日は、今日というではないか。
そして、明るい未来を信じて生きてみよう。
だから、母を許そう。
母との出会いも、意味があった。
こんがらかった我が家に生まれたことにも意味があった。
そして、それに立ち向かってくれた妻との出会いにも意味があった。
そして解決に向け、妻と真剣に向き合って生きてきた。
全ての事に、心から感謝しよう。
全ての「生」には、意味がある。
そう信じよう。
先月、山形県鶴岡市にある、出羽三山神社にて、羽黒山の山伏巡礼の体験した。
「生まれかわりの旅」という。
過去、現在、未来を、
前世、現世、来世を、つかさどる。
自分は、アスペルガーの血を濃く遺伝していると思う。
だから限界はあるかもしれない、
でも、自分で意識して、すがって、受け入れて生きていこう。
今は、このようなことを感じています。
現世で「生まれかわる」ここに意味がある。
そして、それは、可能なことだ。
全てを受け入れる「うけたもう!!」
という山伏の修行の言葉に、
・生きる意味、
・全ての出来事を受け入れる
という、心の持ちかたを教えて頂いたと思います。
現世で「生まれかわる」ここに意味がある。
そして、それは、可能なことだ。
皆さんのnoteを拝見し、
夫々の人生があると思います。
もちろん私の人生と同じものはありません。
しかし、何か、近いものを感じています。
この文章が、誰かの参考になれば幸いだと思います。
最後まで、つたない文章をお読みいただき感謝いたします。
ありがとうございました。