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自分を信じるためのカルト


 えらくご無沙汰しています。

 今年も描き納め・描き初めができませんでした。私が日頃切望している「絵が描きたい」と言うのは、仕事やジェンダーロールに不服な自分への当て付けで、別に、精神崩壊するほど生活が切羽詰まってるわけじゃない、と、一瞬だけ思いました。

 2021年は散々でした。定期的にどつき回された記憶しかありません。
 年末に国試の合格が決まってもなお、暗い気持ちが続いています。資格を取ると決めてしまったせいで、出世はとうの昔に諦めたはずなのに、一般職・女・地方出身・メンヘラでもこんなに頑張ってる自分を認めてくれよ、という見栄が再発し、沢山の時間とお金を浪費しました。私に残ったのは学費のローンだけです。


 先日公開されたソ連崩壊のドキュメンタリー記事で、記者が「どんなに物や情報がなくてもそれが当たり前だと思う。だから、ある意味、幸せ。」と皮肉気味に説明しています。


 一方で私の生活は、実在するのか分からない正義や幸福のイメージを何度も鼓膜・網膜に押しつけられて、当てはまらないお前は邪悪だ、不遇だ、惨めだ、と脅迫される毎日です。物や情報は溢れているのに、あるいはその所為で。

 28年真っ当に生きたつもりでしたが、種が生きている保証がないのに、今なお置かれた場所で咲きなさい、と言い聞かせています。自分に法螺吹く様子は俯瞰するとちゃんちゃら可笑しい。生きるのが下手くそで大変です。



 2021年で唯一良かったことと言えば、モーニング娘。’21の単独ライブを県内の映画館でリアタイできたことです。初めてのモー娘。のライブで感極まって号泣した翌日、めちゃくちゃ心身の調子が良くて驚きました。自分の好きなものに時間を割くのはとても良いらしい。

 2022年は、自分の好きなことに時間と神経を集中させようとは思っています。新年の抱負とか書いた方が良いんだろうけど、どうせ実現しないし、そういう気分ではないです。
 …とか言いながら一応書きました。

 ・絵をたくさん描く

 ・見栄をはらない
 ・どうでもいい仕事はやらない
 ・SNSのどうでもいい記事を見ない

 絵が続かなかったり、思ったよりいいねがもらえなかったりして、私なんか描いても無駄だな、好きなことばかりしてズルい、もっと苦しまないとって思うかもしれんけど。いいんだよそういうのは。相対的な幸せ・勤勉さのゲージは、私の幸せには関係ないんだから。
 自分の幸せをすぐ隣にいる人と分け合えないのは、なかなかのストレスです。でもやっぱり私は、私の中で幸せを反芻する時間が好きだし、大事にしたいな。



 私は文章を書くのが得意ではありませんが、今回だけ沢山書いておこうと思ったきっかけがあります。

 ここ数年、オタク気質だと思っていた自分の価値も分からなくなってきて、好きだったものが楽しめません。面白いコンテンツが出回らなくなったのか、私がマグロになってしまったのか…圧倒的に後者でした。私は社会人生活を通して、味のないガムのような人間に成り下がっていました。

 この記事でジュネさんは、ひとつの答えとして『好事家』のあり方を提示しています。でも私はやはり、現代の文脈ではもはや通用しない『オタク』=『「自分の好きなものは自分で決める強烈な意志力と知性」の持ち主』に、強く憧れを持っています。(懐古厨の悪い癖です)

 暴走さえしなければ、承認欲求(自己顕示欲?)も結構なことですが、個人的には、承認欲求のせいでオタク然とした態度が大いに揺らいでしまうことが多く、私自身が味のないガムと化してしまう。
 上の記事を読んで、私が私であるためには『世間の非難なんてどこ吹く風』の、かつての『オタク』で居続ける必要があると、切に感じています。

(それは、ただの偏屈な頑固親父なのでは…まあいいや)
(かつての『オタク』も、嶽本野ばら先生の『ロリータ』も、ジュネさんの『好事家』も、正味な話ただの言い換えといえばそうなんでしょうね〜知らんけど!)



 ジュネさんの発信したものでもうひとつ。この人は信頼できる文化人だ!と思ったきっかけが、中井英夫の紹介動画でした。私が仕事や試験勉強に追われて、綺麗さっぱりなかったことにしたものを、中井英夫というキーワードで引きずり出してくれました。

 私の中井英夫の体験は、幻想博物館と、幻想文学のインタビューを繰り返し読んだという程度ですが、その鮮烈な文章の断片が頭にこびりついています。
『太宰風に言えば、眠るように美しい短編をひとつだけ書いて死にたいというような気持は、いつもありますから。』(幻想文学③『月蝕領より』)

 谷崎潤一郎でも澁澤龍彦でもなく、中井英夫を取り上げてくれたことが、本当にほんとうに嬉しかった。物や力やお金がなくても耽美の心を持って良いと、中井英夫の作品から解釈したことが、自分にとって救いだったから。
 やっと私を見つけてくれてありがとう。

 動画を見て初めて、中井英夫が同性愛者だったということも知りました。下の記事を読むと、今よりむしろ現代的な立ち振る舞いじゃん、なんて思います。自らを人外にカテゴライズする中井英夫そのものに、かつての『オタク』みを感じ、変な親近感が湧きます。




 人それぞれに箱庭があって、なぜ私が生きるかというと、私の箱庭を守り、居心地の良いものにするためなのだと思います。

 明日から仕事が始まると音速で忘れるので、いつでも思い出せるようにしたためておきました。新年の抱負というより、この気持ちだけは忘れないで、という祈りです。

2022.1.4.

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