芸術制作における昇華(パラレルライティング第一回、「昇華」)
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」は実体験を基に作られている。ウェルテルがシャルロッテに叶わない恋をした上での苦悩から彼が自殺に至るまでの流れが作品内では描かれている。この作品を制作するにおいて、ゲーテは自身の苦悩に満ちた恋愛をウェルテルに重ね合わせている。ゲーテ自身、その恋愛において自殺願望を抱くほどにまで精神を弱らせていたらしい。だが、制作を続ける上でゲーテの希死念慮は消えていった。ウェルテルを自殺させた代わりにゲーテは復活したのである。
これは自身の苦悩を創作を通して作品に昇華させたといえる。ここにおいての昇華とは心の内ではもうどうしようもない思いや、欲望、考えを何かのツールで表出することで発散させることである。昇華させる手法は芸術に限らずにもあるが、ここでは芸術における昇華に限定して話を進めようと思う。
行き場のないどうしようもない思いを作品に昇華させることはある種の救いにもなると僕は考える。なぜなら、怒りや悲しみ、欲望といったものを作品として表出しようと試みることは自身の心に向き合うきっかけになるからである。それらに向き合った結果、それらが発散され、浄化されることもある。また作品として誰かに受け取られ、何かしらの評価がなされることにより、まるで悩み事について誰かに相談することにより気持ちが楽になるときのような、孤独感の軽減や安心感が得られる。
自分自身、悲しみや寂しさを作品にすることで救われたことがある。一年前に急に亡くした友人がいる。その友人のことを人として愛していたしまだもっと一緒にいたかったが、急にそれが叶わなくなった。そのとき僕は頭が真っ白になり、心の中は悲しみや寂しさ、そして悔しさに満ちていた。どんなにそれらの思いを馳せても何も自分の心の変化は起こらなかった。心の中は鬱屈とした気持ちが濃くなるばかりであった。あるとき、急に詩を書きたくなった。その友人に対する思いが言葉として溢れてきたのである。その詩を書き終えたとき、友人に対する塞ぎ込んだ気持ちが楽になった。言い換えれば、僕のネガティブな感情が詩というはけ口のおかげで昇華したのである。もちろん、その友人に対する悲しみが完全に無くなった訳ではない。しかし、心の中に間近にあった強い鬱屈は消えた。それから、ふとその詩にメロディを付けようと思った。それが完成し、一曲を通して聴いたとき、僕の心が浄化されていることに気がついた。僕は悲しみを原動力に創作したことにより、無意識に昇華させていたのである。今でもこの曲を聴き返すと当時の気持ちが鏡に映っているかのような寂しい心情になるが、だからといって当時のように塞ぎ込むことはない。むしろ、僕の人生の日記を読み返しているような感覚になる。日記を読み返したとき、当時と同じほどにまでの経験をする人はいないだろう。
芸術作品の創作における昇華の話をしてきたが、述べてきたような意味で芸術というのは救いになると考える。ゲーテがウェルテルを通して復活したように、芸術制作をする価値は自身の心の浄化、ひいては救済という点に強くあると思う。
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