霊の世界と物質の世界の相互作用(「迷える霊との対話」より)

霊の世界と物質の世界の相互作用(「迷える霊との対話」より)

2020.12.31

憑依について学ぶ上で痺れる程に偉大な文献です。憑依している地縛霊の感覚は本当にこのような感じなのです。

著者のC.A.ウィックランド博士に感謝です。


「迷える霊との対話P715~P719(ハート出版)」より引用。

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●霊の世界と物質の世界の相互作用
 霊の世界と物質の世界との間では、絶えず相互作用が行われている。霊界は空漠とした世界ではなく、実体のある自然界であって、物質より一段と純化された材料から形成された、活動と進歩にあふれた広大な世界である。そこでの生活は、この物的世界での続きである。
 物質界においては、魂は、その世界での経験や対象物との接触によって知識を獲得し、肉体器官を通しての表現によって存在を自覚する。霊界においても個々の進化は継続し、自発的な奉仕、高い理想の認識と成就、そしてますます広がっていく生命の目的などを通じて、理性に導かれながら、魂が開発されていくのである。
 一般に陰鬱な恐怖をもって見つめられている“死”は(この“死”という用語は間違っている)自然に、そして簡単に移行するので、多くの人間がその移行に気づかず、また、霊界の生活についての知識を何一つ持ち合わせてないので、彼らはそれまでとまったく別の生活環境に入っていることに少しも気づかない。肉体の感覚器官を取り上げられているので、彼らは霊的に盲目であり、バイブルで“暗黒界”と呼ばれている薄暗い境涯にいて、地上圏に属する領域をさ迷っている。
 死は罪多き人間を聖人にするのでもなければ、愚か者を賢人にするものでもない。その個性は生前と同じであり、地上時代と同じ欲望・習慣・信条・間違った教義・来世に関する無知や不信といったものを、そのまま携えて霊界入りするのである。そして地上時代の精神状態がそのまま具現化した容姿をして、幾百万ものスピリットがしばしば地上圏にとどまり、多くの場合、地上生活を送った場所にいて、地上時代と同じ習慣や趣味を固辞しているのである。
 霊界の高い界層にまで進化したスピリットたちは、こうした地縛霊を導こうと常に努力しているのであるが、彼らは死後についての誤った先入観のために、先に霊界入りしているスピリットが訪れても“死者”とか“幽霊”と思って恐れ、たとえ友人が会いに来ても、それを友人と認めようとせず、自分の置かれている身の上を理解しようともしないのである。
 深い睡眠状態にある者も多く、途方に暮れ、困惑した状態にある者もいる。その迷いの心は、奇妙な闇の恐怖につきまとわれ、また良心の呵責を覚え始めた者は、地上生活中の行為のために恐れと悔恨の中で苦しんでいる。
 一方には、利己的で邪悪な性向に動かされて、その欲望のはけ口を見出そうと、適当な人間を探しまわっている者もいる。彼らは、こうした破壊的な欲望から脱して、魂が悟りと光を求め、高級なスピリットによる救いの手が差しのべられるまで、その状態にとどまっている。
 彼らは、生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)は失っている。そこで、多くのスピリットは、生者から放射されている磁気的光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その磁気的オーラに取り憑いて、それを欲望を満たすための手段とするのである。
 こうして憑依したスピリットは、霊的に過敏な体質のその人間に自分の想念を押し付け、自分の感情を移入させ、その人間の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配し、大きな問題や精神的混乱や苦痛を生ぜしめるのである。
 昔から“悪魔(デビル)”と呼ばれていたのは、こうした地縛霊のことだったのである。実質的には人間に由来するものであり、利己主義や間違った教義、無知などによる副産物であり、何も知らないまま霊界へ送り込まれて、無知という名の束縛に捉えられているのである。
 世の中の不可解な出来事や不幸の原因は、実はこれらの地縛霊の影響なのである。清らかな生活や正しい動機、高い知性が必ずしも憑依からの防御を約束してくれるものではない。唯一の防衛手段は、こうした問題についての認識と知識である。
 地縛霊の侵入を受け入れる側の肉体的条件は多様である。生来の感受性、神経の衰弱、急激なショックによることが多い。肉体の不調も憑依を招きやすい。生命力が低下すると抵抗力が弱まり、スピリットの侵入が容易になるのである。その際、憑依される人間も憑依するスピリットの方も、互いに相手の存在を意識していないものである。
 スピリットの侵入は、その人間の性格を一変せしめ、人格が変わったように見え、多重人格症、ないし人格分裂症、単純な精神異常から、あらゆるタイプのデメンチア・ヒステリー、てんかん、憂うつ症、戦争痴呆症、病的盗癖、白痴的行為、狂信、自殺狂、そのほか記憶喪失症、神経衰弱、渇酒症、不道徳行為、獣的行為、狂暴、等々の犯罪行為を起こさせる。
 地上人類は、高尚な人生の目的を理解していない無数の死者の想念に取り囲まれていると思ってよい。その事実を認識することによって、ふとした出来心、激情、奇妙な予感、陰鬱な気分、イライラ、不可解な衝動、不合理なかんしゃく玉の爆発、コントロールできない熱中、そのほかの無数の精神的奇行などの原因が理解できる。

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人生という名のネバーエンディングストーリー。

2021.01.02

人は皆様々なストーリーで生きていますね。

人生という名のストーリーです。

明るく朗らかな愛に満ちたストーリー。

暗く陰鬱なストーリー。

神から渡された白紙のノートにどんなストーリーを書いていくか?

人は自分で自分のストーリーを作っていかなければなりません。

どんなストーリーを作るかはその人次第。

どうせなら愛と希望に満ちたネバーエンディングストーリーを作っていきたいですね。

自分でそのようなストーリーにしようと思ってそのように書けば実際にそうなります!

人は死なないので全ての人のストーリーは全てネバーエンディングストーリーです。

ネバーエンディングストーリーですから焦ることはありません。

ちょっとぐらい間違ったっていいじゃないですか。

( ´∀`)ははは。

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地縛霊時代のカルマも馬鹿に出来ないのではないか?神の公正の完璧さを考える。

2021.01.03

なぜ霊媒体質者は憑依の苦しみを受けねばならないのか?

これについては前世のカルマが関係していると考えられますが、具体的にどんなカルマがあるのか気にあるところです。カルマの内容は想像するしかありません。
前世の地上時代に積んでしまったカルマもあるのかも知れませんが、単純に考えて自分が前世を終えた時に積んでしまった「地縛霊時代」のカルマかもしれないと思ったりしています。

自分が前世を終えた時、自分の死に気づかず地縛霊となって長らく地上をさ迷っていた時に誰かに憑依してそれ相応の苦しみを与えてしまった。その時に自分が与えた苦しみと同じ苦しみがカルマとなって今世自分が受けることになったのではないか?と。

そのように考えると「それなら仕方がない」と納得することが出来ます。
今世カルマの刈り取りで同等の苦しみがあったことに「摂理」の働き(神の公正さ)を見出すことが出来ます。

また地縛霊になることのリスクの大きさについて学ぶことも出来ます。

地縛霊も様々ですが、無知な地縛霊で自分が憑依しているという自覚が無い場合であっても、結果的に憑依によって人間にそれ相応の苦しみを与えているのであれば、その与えた苦しみ分はきっちりとカルマとなって自分が刈り取らねばならなくなるということが考えられます。

まして悪意を持って人間を痛めつけようとする地縛霊は、当然そのカルマはやがて自分が生まれ変わってきっちりと刈り取らねばならなくなると考えられます。

地上人生中のカルマもさることながら、地上人生を終えた時に積んでしまうカルマも馬鹿にはできないように思います。

「摂理」という「神の公正」は人知を超えてどこまでも完全完璧であると確信します。

今生を終えた時に地縛霊となって知らず知らずの内に憑依による加害行為に到らない為にも、スピリチュアリズムの霊的知識を学び、考え、霊的理解力を鍛えておく必要があると思っています。

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ありがとおー。