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くっつきたがりな訳

 初めて恋人ができてから、自分が触れたがりな人間であることに気が付いた。正確に言うと、思い出した。

 外を歩くときは手をつないでいたいし、家では会話がない時もどこかしらにさわっていたい。

 そういう時に相手が(ちょっと面倒くさいな)という表情をしていたらおとなしく控えていたのだろうけど、今まで付き合っていた相手は皆(n=2)「さわるの大好きじゃん」と笑いながら「沢山くっついてくれて嬉しい」と言ってくれる優しい人だったのでその言葉に甘んじてくっつかせてもらっていた。

 でもあるときふと思った。(そういえば、これまでの自分は誰に対しても触れないように気を付けていたな)と。

 なぜだろうか。何かきっかけがあったはず。

 考えていく中で思い出した。2つあったのだ。理由が。

・1つ目、母親とのこと。
小さいころ、私は人見知りですぐに母の後ろに隠れるような子供だった。ある日、いつものように母に抱き着こうとしたときに「やめて!」と言われたのだ。暑い日だった。暑がりの母は体温の高い子供が引っ付いてくるのが少し煩わしかったのだろう。今考えれば納得のいくことだ。

 けれどそれ以降母に抱き着きにいった記憶がない。強い拒絶の言葉だけが残ってしまった気がする。「自分がくっついたらお母さんは嫌なのだ」と幼い私は捉えてしまったのだろうか。

・2つ目、好きな人のこと。こちらの方が根深い。
長らく片想いをしていた相手はスキンシップの多い子だった。でも私は彼女がするように彼女に触れることはできなかった。だって彼女は「友人」として私に触れているのだろうけれど、私はそうでないから。友人としてではなくて「恋人」になって触れたかったから。

 自分の思いのことを醜いと思っていた。友達の立場を利用して彼女の近くで笑いながらこんな思いを抱えていることを、誰にも知られたくなかった。

 そんな風に考えていたら友人にも触れられなくなっていった。いつかカミングアウトをするときに「何、あの時さわってきたのってそういう意味!?」と言われるんじゃないかと怖くて。

 実際カムアをしたときにそんなことを言う友人はひとりもいなかったけれどね。まだまだ自分のことを受け入れられていなかったな。

 そういう鬱屈とした思いを抱えて、20歳で初めて好きな人と恋人になれたものだから、嬉しさが爆発しているのだと思う。現在進行形で。

 だって、好きな人に触れていいんですよ!?やばすぎる、この事実。いつでも「好き」と言っていい。用がなくとも「会いたい」と言っていい。(もちろん相手の負担になっていないか、欲望を押し付けていないかは気にするけれど。)

 分からない。その事実に浮かれて友人と恋人との境界線を明確にしすぎているために恋愛関係が健全に進んでいかない部分もある気がする。恋人に体重を預けすぎているのかもしれないし、温もりが感じられないとさみしいと感じる人間になってしまったのかもしれない。

 ただ、恋人とつないだその手で、幼かった自分も、自分を責めていた自分のことも抱きしめられるようになったのだと、思えている。


 

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