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Dell Far East 7-2 |サムライ東芝
(産経新聞 東芝本社ビル(早坂洋祐撮影)写真引用)
90年代初頭は、半導体と言えば日本勢でとても勢いがありました。パソコンが個人向けまで浸透し、かつ搭載メモリサイズも拡大の一途。完全な売手市場。その雄と言えば、東芝、日立と三菱でした。
半導体メモリの確保は、PCメーカーにとっては死活問題。相変わらずフォーキャストが当てにならないデルは、慢性的なメモリ不足になりつつありました。戦略的な付き合いせず、数で価格だけ交渉する本社購買とは、毎回揉めてばかりいました。
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「今回これだけ発注するのだから、値段交渉も!」
市場の逼迫状況と争奪戦知らないのか?まだまだIBM、CompaqやAppleの足元にも及ばない注文数量。しかもリードタイム無視の注文で何を言っているのか?
と心で思っている事は、自然とメール行間に現れていたと思います。初期の頃は、本社購買部門とはよく衝突していました。30歳そこそこで私も血気盛んだった頃でした。
購買と話しても埒はあかない。私は、一計を案じて本社から開発主要メンバー2人に東京に来てもらいました。
アジェンダは、次世代PC設計の核となるランバスDRAMメモリの採用でした。当時東芝は、ランバス技術を使ったDRAM開発をしており、新規プロジェクトの設計思想を東芝の前で熱弁してもらいました。
東芝側には、まだまだ成長過程のデルが既に先端技術の理解を持っている事にエキサイトしてもらえました。そこは技術者同士、アイデア交換にも熱が入りました。
会議も終盤に差し掛かった頃、当時事業本部長だったNさん(後に東芝社長など歴任)が、会議室にフラッという雰囲気で入って来られて、
「どうですか?」
という声掛けに東芝側メンバーは、
「いや〜我々のランバスDRAMの理解もしっかりしていて、面白い会社になると思います。」
に私は心の中でやった〜とガッツポーズ!
「尾中さん、今日はそれだけで来られたのですか?」
流石〜私の心の中までお見通し。
「実は、お察しのとおりDRAM調達に難航して苦労しています。将来性を評価して頂き嬉しい限りですが、今を乗り切らないと大変で〜」
「そうですか。」
と応えながら会議に出席していた面々に、
「後はしっかりとサポートしてあげてください。」
と一言だけ残されて、Nさんは会議室を後にされて出て行かれました。
後日談;
東芝以外の日立や三菱も彼らの商社部門であった日製産業や菱電の香港や台湾支社とも交渉してDRAMをかき集めていた時でした。本社の注文台数に対して東芝から見合う数量出荷が始まりました。
えっ?何が起こった?
早速、お礼に伺ってどうしてこんな短期間で揃ったのか尋ねたところ、
「まあ普通は無理ですよ。ビックブルーやリンゴちゃんの注文から少し回したりの調整でもしない限り〜」
納期、数量や価格の交渉は一切せず、会社の将来性をアピールした結果、意気を感じて応えて下さった。
そんな浪花節が通じる時代だった?
いや過去形ではなく、時代は変わって今でも、そしてこれからもあり得る事だと思います。ある意味で商売の醍醐味の一つだと思います。KPIだとか数字データも大事でしょうが、その数字データをドライブしているのは、間違いなく人です。
私自身の起業やビジネス支援の現在でも活きている感即動(感動)の実感です。
本社開発メンバーにもお礼を伝え、結果は本社購買担当に花を持たせる。フィクサーとまでは言いませんが、人脈を通して戦略的関係を日本だけに留まらず、韓国、台湾などにも拡げていく事にやり甲斐を実感していました。
そんな動きや私の価値を評価してくれていた本社側といえば、所属していた購買部門ではなく開発部門でした。
その後、社内ヘッドハントが起こる事になるとは夢にも思っていないデル極東部門スタート時期でした。
ビジネス関係も楽しみながら、前述の三菱同様に東芝とも忘年会をテニス試合に切り替えたのも同時期でした。
高輪インドアテニスコート予約は東芝側がして下さり、女子社員も交えてのダブルス勝負も幾つか組みました。仕事では出逢った事のない東芝側の若手男性社員がやたらと上手い。聞いてみると大学時代テニス部でインカレまで出場していた人でした。そりゃ上手いは!
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Oさん本気で勝ちにきたな〜!
今で言う忖度ない、ビジネス関係を超えて勝負に挑んできたテニス好きのO部長が微笑ましく、当然こちらも全力で立ち向かいました。結果は我々がビールを奢る事になりましたが、健康的な楽しい忘年会でした。
これが看板や肩書などのない裸の等身大の付き合いという私が常に心掛けてきたひとつの現れだったと今でも思います。
デルを退社する時、このO部長さんが送別会を開いて下さり、頂いた餞別のコーチのバックを今でも大切に使わせて頂いています。ハンドルは一度切れて修理しましたが、もう30年近く付き合っている大事な鞄です。
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