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家族と家庭
国のことを国家と言い「家」を付けますね。
単純に国と言わずに国家と表現するところに日本人の「家」に対する想いの深さがあるような気がします。
家と言えば、「家族」と「家庭」
どう違うのでしょうか?
大切な教育は、「家庭」教育といい、家族教育とは言わない。血縁で構成された家庭に対して、第三者の他人でも一緒になれるのが家族。「今日からお前も立派なうちの家族の一員だ!」と迎入れる言い方がありますね。うちの家庭の一員とは言いません。
今、世間では選択的夫婦別姓制度を立法し、日本の風習文化の家族、戸籍制度を破壊し、家庭を崩壊させようとする蛮行とも入れる法律を敢行しようという動きがあります。
家庭の崩壊は、国家の崩壊に繋がるほど由々しき問題ではないでしょうか?
「家庭」を大事にする。
「家族」を大切にする。
核家族化が進み、三世代同居は珍しくなりました。高度成長期の昭和の時代に欧米のような生活様式、核家族化が格好いいみたいな風潮が、東京一極集中に流れていた当時の日本にはあったような気がします。
最近手にした本にエマニュエル・トッドの「トッド人類史入門」があります。
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「家」というものを考えてみるのもたまにはいいかもしれません。
私はおばちゃんっ子でした。商売をしていた両親は土日も家に居らず、物心ついた頃は祖父母の家で一緒に暮し、祖母との記憶の幼少期だったと思います。
仕事は変える事は出来ても、家族は変える事は出来ない。転職したり、米国に踏み留まる選択時の決断には、「家」が常にあったように思います。