京都浪人物語#4 |浪人受験
浪人受験は、1勝4敗の大敗で終了。
国立は先進性を期待して出来て間もない筑波大学。
私立はリベンジでICUと慶應。
滑り止めとは失礼な言い方だけど、同志社と関学。
しかし、年末になると不安は募るばかり。
「蛍雪時代」で目に留まったのが、西南学院大学の交換留学制度。アメリカ人宣教師が創設した大学で福岡市にあります。
山口県出身にとって九州は「下る」イメージがあり、九州の大学は完全にノーマークでしたが、「留学」の2文字に呼び寄せられ願書提出。
結果は西南学院だけが拾ってくれました。
周囲に2浪を勧められましたが、精神的に限界でもう1年浪人したら学力低下するだけ。これが自分の実力と捉え西南学院に行く事を決心。
今でも感心しますが、2浪する学生は凄いと思います。
そのタフさは僕にはありませんでした。
この最初の挫折が、それからの人生において大きな節目になったのは間違いありません。
山椒は小粒でもぴりりと辛い
肩書に捉われず、
等身大の自分で勝負する
の想いを改めて心に念じた浪人生活の終止符でした。
挫折は自立の栄養
そして、
「挑戦の対義語」が「挫折」
挑戦するから挫折もある。
挫折経験を「栄養」にして前に進む事に意味がある。
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