パソコン史から観る80年代|A&A Japan 20
70年代後半から80年代前半は、まさにパソコンの幕開け期でした。
プログラムは、BASICでTandy TRS-80は、8ビットZ-80CPUで、メモリーは16〜64KB、保存は外付けカセットテープレコーダ。モニターは白黒かグリーン画面。目に優しいという事からアンバー色画面モニターが、北欧発で一時期流行したのも80年代でした。
記録媒体はカセットテープから8インチのフロッピーが出始めた頃です。フロッピーは、その後5.25インチから3.5インチにサイズは小さくなりながらも記録容量は増大。
通信モデムは、アコースティックカプラーと言われる形状の物で、電話の受話器を装着。まさにターミネーター映画であった一場面のようにピー、ガーという信号音で送信する代物。
入社して直ぐにこのパソコン一式を与えられ、BASICでプログラミングの宿題を出され、アパートで週末獲得していました。やっと完成したと思いきや電源コードに足を引っかけて、一瞬で完成したプログラムが消滅と共に自分の気持ちがプシュ〜と音を立てて抜けていったのを覚えています。記憶媒体がフロッピーでなくカセットテープだった初代機種でした。
今はクラウド上で自動的にバックアップしてくれるので、作成したものが消えてなくなるっていう事はもうないですね。
83年入社当時のヒット商品が、ポケットコンピューターでした。電算機にBASICプログラム機能が搭載された商品で、OEM供給元は、シャープとカシオでした。
プリンターは、カーボンコピーが取れるdaisy wheel式(注1)や後継機種のdot matrix式(注2)プリンター。
今では主流のインクジェット式プリンターをCanonのOEM供給で時代の最先端を走っていたTandy社のラインナップでした。
80年代は、モニターもモノクロからカラーに移り始め、カラーモニターのOEM供給元は三菱電機とシャープで始まりました。
本社フォートワース駐在中にコムデックスという世界最大のコンピュータ見本市がラスベガスで開催され、市場調査でまだ入社三年目の私を送るOJTそのもので良い勉強させてもらえました。
展示会も色々変遷を経て、最近は正月🎍が取れる第二週頃からCESというこれも世界最大の家電見本市が毎年ラスベガスで開催されています。
Tandy社が、カラーコンピューターという製品で教育市場にアプローチしていた80年代半ば、CD-ROMで教育ソフトも出始めた頃に目に留まったのが、「Grandma and me」という物語ゲーム。Appleのずっと先をいく教育向けのパソコンでした。
それに音声認識が出始めのも80年代。シャープの書院というワープロは、音声入力も機能として搭載しようとしていたのもこの頃です。今やSiriやGoogleの音声入力やShazamで音楽検索まで出来ます。
ちょっと40年前にワープしてパソコンが始まった頃の製品ラインナップを徒然に書き留めてみましたが、このパソコン黎明期に勢いのある日本メーカーとさまざまなOEM製品開発に携われたのは幸せな経験です。
ハードウエア製品の発展に牽引されたIT時代から令和の時代は、AIに牽引されるDX時代。
自分を見失なわいようにしたいものです。