奈良ひとり旅 2日目(前半) 春日大社・興福寺
2泊3日の奈良ひとり旅、2日目(前半)です。
1日目に引き続き、「マイナーっぽいけど個人的にとてもよかったところ」を中心に紹介します。
その2 興福寺 国宝館
その3 興福寺 北円堂と南円堂
春日大社
この日は着物でおでかけです。黄色い単衣の紬に、奈良旅行のために買った鹿と萩の実柄帯をしめて、2日目スタート!
一の鳥居からご本殿までが想像より遠くて、早くも着物で来たことを後悔。歩きやすいようショートブーツにしていたことだけが幸いでした。
鹿もかわいいからついつい写真を撮ってしまって、全然進めません。
ようやくご本殿につき特別拝観をしようと思ったら、ちょうど神事の最中ということで参拝所でお参りしました。逆に珍しくてラッキーだったのかも?
つづいて、一言主神社へ。ひとことの願いをかなえてくれるのだとか。
お昼は、「いざさ」の柿の葉寿司。窓から東大寺が見えるいいお店でした。
おすすめポイントその2 興福寺 国宝館
続いて、ポイントその2の興福寺 国宝館です。
事前に、姉&義兄から、興福寺の国宝館には絶対行ったほうがいい!千手観音がすごい!と猛プッシュされていました。
「木造千手観音菩薩立像」の大きさ、美しさにも圧倒されましたが、
国宝館のレイアウトがとてもよかったです。
順路は左回りで、千手観音をぐるっとロの字に囲むように仏像が展示されています。
真ん中に千手観音がいるのですが、斜め~横からしか見ることができません。
ぐるっと一周すると、最後の最後で正面からみることができます。
この展示方法のおかげで、やっと会えた!!というありがたい気持ちになりました。
有名な阿修羅像もここにいます。
五重の塔は、保存修理工事に入るということで下の部分に足場ができていました。だんだんと見えなくなるそう。
おすすめポイントその3 興福寺 北円堂と南円堂
ポイントその3、北円堂と南円堂です。
『奈良で学ぶ 寺院建築入門 』(集英社、海野 聡 著)に、様式の違いについて書いてありました。
北円堂の再建は鎌倉初期。海野によると「中世建築なのに、古代らしい」が特徴とのこと。
奈良時代以来の日本の伝統的な方法を継承する建築を「和様」といい、
北円堂は「和様」が成熟し、さらに良質なものに昇華しているそうです。
お堂には華やかな飾りはなくシンプルですが、屋根は華やかさがあり、これによりバランスが取れているといえます。
南円堂の再建は江戸時代後期。唐破風が柔らかさを出していて、正面が華やかになっています。この華やかさが近世建築らしさのようです。前述の本の著者・海野は、鎌倉時代と江戸時代のハイブリッドの魅力がある、と述べています。
興福寺は伽藍全体の造営計画によって、一度にすべてが建立されたのではなく、それぞれの時期に建設計画を重ねながら形成されていったそうです。
東大寺や薬師寺のような双塔の伽藍にはなっていません。
実際訪れてみて実感しましたが、確かに、あちこちにいろいろな建物がある…という印象でした。
五重塔の反対には塔ではなく南円堂がありますし、北円堂も探しにくく、
三重塔にいたってはこのときは見つけられませんでした。
薬師寺のようなシンメトリーで完成されたつくりもすっきりしていてかっこいいですが、これはこれでいいと思いました。
ところで、慶應通信の日本古代史を履修して桓武天皇と遷都についてのレポートを書く中で、次のようなことを知りました。
平城京は聖武天皇が仏教を「鎮護国家」のため国教化して以来、「仏教のセンター」としても意味を持ちました。聖武の死後には政治と仏教の結びつきは強くなり、寺院勢力が政治に介入するようになります。桓武は力をもった寺院勢力から物理的に距離をとるため、奈良盆地を離れたと考えられているそうです。(平城廃都の理由はほかにもあげられますが、ここでは寺院勢力の説のみをあげておきます。)
当時の伽藍がすべて再建されているわけではないですが、それでも、実際に訪れてみて、奈良時代の寺社勢力の壮大さを想像することができました。
自分の足で歩き、自分の目で見ることは大事ですね!
最後に、あまりに鹿がかわいいかったので、いくつか写真貼っておきます。