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ブレイキングバッド・ロス
[導入]
ブレイキングバッド。そのドラマのファイナルシーズン最終話をつい最近見終わってしまった。見始めたのが大学生の時だから、かれこれ7年以上このドラマを見続けてきた。おれの中でこんなに心を突き動かされた作品はいまだかつてない。完璧だった。最高すぎた。もう見れないのかと思うと憂鬱になる。今おれは「ブレイキングバッド・ロス」なのだ。
[あらすじ]
アメリカのアルバカーキで高校で化学を教えているウォルターとそこの生徒ジェシーがこのドラマの主人公。ウォルターは、昼間は高校で授業し、放課後は洗車場でアルバイトをしている。家には妻と高校生の息子がいる。そんな平凡な日々を送っていた。
だがある日、ウォルターに肺がんが見つかり余命宣告を受ける。家族をこれから養っていくお金が今のままでは足りない。。時間のないウォルターは家族のために、化学の知識を駆使して最高純度のドラッグ「ブルー・メス」を作りドラッグ市場へ足を踏み入れ一発逆転をはかる。。
※ネタバレあり→このドラマ見ようと思う人はここから先を読まないでください。ネタバレです。
[なんのためにやったのか]
主にファイナルシーズンのことをここでは書いていこうと思う。ジェシーのことが人間としてたまらなく好きなんだけど、ここでは主にウォルターについて書いていく。ジェシーについては、そのうち。
ブルーメス精製は何のためにやったのか?「家族」のためと言い続けてきたウォルターが最後の最後で「好きでやった」と答える。そう、自分のためにやったことだった。麻薬帝国を作りたかったのだ。
もしもあのままアルバカーキで高校教師を続けてそのままガンで死んだとしたら、そのウォルターは幸せだったのだろうか。家族のためにお金も何も残せていないという意味でいえば幸せとは言えないかもしれない。じゃあもしガンが発症せずそのまま生活も変わらず平穏に暮らしていたとしたら。正しい生き方で家族と過ごせて幸せなのかもしれないが、なんか滾りがなくてつまらないな。死ぬ間際に何か物足りなさを感じるのかもしれない。
「ハイゼンベルク」の道を突き進んでいったウォルターは、あれほど求めた家族愛が一方通行に終わって、相棒のジェシーからも失望されて、「圧倒的孤独」。当然の仕打ちである。麻薬王がハッピーエンドで終わってしまうのはドラマとしてなんとしても避けなければ。形として一応そこは果たされているんだけど、じゃあバッドエンドか?と言われると、うーん、そうとも言えない。化学者としての才能、隠された麻薬王としての才能を存分に発揮し、その証として大金を手に入れ家族に貢ぐことができた。これは、誰からも尊敬されず感謝もされていないけど、自分の脳みそ・経験値をフル活用して得た結果であり、つまり最高に滾るラストだった。
主人公を(正義の)主人公という見方でそのまま見てしまうとウォルターのこと好きになれないけど、悪役にスポットを当てたドラマなんだという見方をすると、熱い。と同時に切ないと感じる。
孤独とドラッグ、カネ、家族愛と仕事、友情、成功とはなにか、幸せとは?挙げればキリがないが、こんなにも複数のテーマを同時に絡めた作品ってなかなかないと思う。ブレイキングバッドは、まさに人生。おれらは、同時にいろんなことを考えながら毎日生きている。恋愛映画のように、頭の中恋愛100%で相手のことばっかり思って生きているわけではない。
だから登場人物への感情移入度が高まりすぎてしまい、最終話を見終わったのと同時に一つの人生を終わらせてしまったかのような喪失感がある。ラボに横たわり天井を見つめるウォルターと同じような恰好になりしばらく動けなかった。なんだろうなこの充実感は。
7年以上「ハイゼンベルク」を追体験してきたわけだけど、最高にスリリングでわくわくしました。だめだ、書きたい事ありすぎて逆に言葉が全くまとまんない。とにかくまじでありがとうございました。
BadfingerのBaby Blue聴きまくりです。余韻に浸れるので!!