観たもの感想ログ シンウルトラマン
ぼくらはみんな生きている、生きているから笑うんだ。
シンウルトラマン、あまりに美しい映画だった。鉄は熱いうちに打て。熱いうちに鍵を打つことにする。
シンウルトラマン、感想は大きく分ければ二つになります。「ジュブナイル」と「原始宗教」。
細かいことを言えばキリがないが、一つだけ言うなら「西島秀俊のキャラが既婚者で何故かめっちゃダメージ食った」。
初めて行きます
「ジュブナイル」
円谷特撮の醍醐味のひとつ、無垢なる超常との邂逅、さらにそれとの親交。これに尽きるんですけど、私「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」がマジでめちゃくちゃ好きなんですよね。これは後半にも繋がるんですけど。
パンフで長澤まさみさんが「神永とヒロインの恋愛もの」って言っててゲンナリしちゃったけど、限りなく人間のプリミティブな部分から湧く信頼だと思ったんですよ。パンフ読むまでは。マ恋愛でもいいんです。ウルトラマンは人間を好きになったんですし。ただ恋愛ではなく「愛」と呼ぶべきではあると思います。
ひかりの星から来た人語を解する異星人(おれたちに友好的)と織りなす交情と友情、クリフハンガーにも思える結末の解釈ぶん投げエンドがまたも憎らしい。それシンゴジラの時も見たけど結局オタクこれが好きなので困る。
今ぱっと例示として浮かぶのが「SSSS.」シリーズ、ダイナゼノンとグリッドマン。どちらも人智を超えた超常存在との出会い、共闘、別離を描く。東映ではあまり観られない印象があるが、東映が「超常現象と対峙したとき人間の心がどう変化するか、人間同士の描写で描く」節があるのに対して円谷は「超常現象と対峙したとき人間の心がどう変化するか、超常現象との交流で描く」節があるなぁと思います。
その頭で観る「シン」、良かった。主題歌のM八七が透明感のあるサウンドなのも相まって、ひと夏の濃密な夢のような心地でした。夏の日の心地良い午睡から、気持ち悪くない寝汗をたっぷりかいて目覚めた時のような感覚。シャブい。
「原始宗教」
人間は愚か。そりゃ宇宙警備隊隊長のゾフィも「人間滅ぼしとけば丸く収まるからよろ^^」になる。
ほぼカトクタイの皆んなが性善説世界で育まれてきた人間満点人格600族人類だったから、ウルトラ労災が下りたのが神永だったからウルトラマンは人間を好きになってくれただけ。うっかり別人だったら、この物語にどんな修正力があろうがああはならなかったと思う。
この映画マジでカトクタイ以外の人類ずっっっっっっっっっっと人類単位とはいえ内ゲバしかしていない。小さい…汚い…矮小…。
そう思う心に対してトドメを刺しにくるのが、よりによってウルトラマンです。いつの時代もどのウルトラマンもそうだが、あまりに人間に対して献身が過ぎる。毎度毎度なんでそんなに傷ついて謗られて貶められてまで人間を守ろうとしてくれるんだ? 答えは特報段階で既に提示されている。「そんなにも人間を好きになった」から、「ウルトラマンは神ではない」から。
それだけだ。それだけが理由だ。あまりにも。
シンゴジラの時は「ちっちぇえ人間だけど人と繋がって信じて生きて、たまに天運の助けもあろうもんならゴジラすら荒御魂として一旦鎮めることができるんだ、明日からまた頑張ろう」だったが、シンウルトラマンは「あまりに矮小な我々だけど、ウルトラマンを失望させたくないから頑張ろう」だ。
自分をせっかく好きになってくれている高次知性体にガッカリされたくない。地球の汚い部分だと断じられたくない気持ちが今は強い。
本項のサブタイトルは「原始宗教」ですが、これはストーリーテリングもそうですけど「シンウルトラマン」のデザインに依る部分も大きいです。
テレビシリーズで技術的な問題から実装できなかった原初のデザインで現代に顕現するウルトラマンは、今回シンで顕現を目指したデザインの元になった油彩画のタイトルを「真実と正義と美の化身」といいます。
もうこの段階でヤバいが、もうちょい引っかかった部分を。
古谷氏の体型をベースに継ぎ目なく起伏する全身の中にあって唯一人間離れしたもの、それでいてアルカイックスマイルを浮かべたような、あの顔。
能面だと思った。この映画神事能じゃないか?
これは後半で神永が「ウルトラマンは神ではない」と言う場面で否定されはしましたが、高次知性体を雑に区分するならウルトラマンの区分は「遠い星の友人」ではなく神になります。
デザインが、えげつねえ。マジで。
ゴーゴーファイブでひらがなより先にカタカナを覚えウルトラ主題歌ビデオで音楽に親しみ、仮面ライダーで情緒を学んだ人間はマァ普通に楽しみましたが、それ以上にウルトラマンに見惚れっぱなしでした。あれほど美しい生き物が生き物であってたまるかよ、という思想があれを神に押し込めておきたい気持ちの根源なのかなと思います。矮小ですね。
あんな美しいものに失望されたくないので、明日からも頑張ります。今はそういうスタンスです。
ウルトラマンに登場する怪獣が混沌(カオス)であるなら、ウルトラマンは調和(コスモス)でなければならない、というプラトンの思想に端を発する由来があるとか。
もうそういう次元の話なんですよ。これは宗教です。シンゴジラの時も思ったけど、ゴジラもウルトラマンも十全に信仰対象です。でなけりゃこんな年になってまで新しい映画作られないしシリーズも続かない。
拝金主義以上に、そこにそれを形にするだけの熱意がある人を毎年コンスタンスに生み出し続けるんだからもう区分するなら宗教と同じでいい。シンゴジラが「「「意味」」」でもって信仰になったのと違うのは、シンウルトラマンは「「「美」」」でもって信仰になった点。
これは「ロードエルメロイII世の事件簿」シリーズで読んですごく納得してしまった件なんですが、「行き過ぎた美は人に恐怖をもたらす」という話し。私が特報の山を背に立つウルトラマンに対して「ダイダラボッチとか海坊主とかそういう化生のもの」と感想を抱いたのは、結局行き過ぎた美がそう思わせたのかなと思います。
「西島秀俊のキャラが既婚者で何故かダメージめっちゃ食った」
シンゴジラで森課長が既婚者なことにも近いダメージを負ったけど、何故か今回西島秀俊さんの指輪がかなり早い段階で大写しになったことに「ウ!!!!!」ってなりました。
シンウルトラマンはシンゴジラに比べて手軽でライト、方々で言われちゃいるが見てみりゃ確かに子供も楽しめるけど、私なりに言語化すると「絶望感がライト」です。
たぶん森課長の指輪というか「身内存在描写」に「グゥ!!!!!!!!!!!!!!」となってしまったのは、より現実味の濃い世界で前線に身を置く人に家族がいることに対して、だったように思います。西島秀俊の身内描写に呻いたのは、あれと同じ絶望世界に、なんとなくファーストガンダムのブライト・ノアと同じような立ち位置に置かれるだろう人にかなり初手で身内描写をされたから「ウ…」になってしまったのかなぁ、と今は思う。
そう思うと、映像作品特有の「小物でその人の説明を省いたり保管したりする」は面白いなぁと思います。有岡くん演じる滝のサブデスクにはサンダーバードとエンタープライズのクソデカフィギュアがゴンゴン置かれていて、それだけで「どういうジャンルのオタクか」がある程度わかる。
一旦このくらいにしておかんとマジ信じられんくらい書いてしまいそうなので、一旦筆を置かせてもらいます。これから労働やし。
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