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保育園児だったころ
こどもの頃、大人たちは頻繁に聞いた。
「大人になったら何になりたいの?」
わたしはその質問になかなか答えられなかった。
そんなこともう考えなくちゃいけないのか。
よく軽々しく聞くなあ。
一つに絞ると他のことができなくなっちゃうんじゃないか、とか、自分の職業を今決めるなんて責任重大ではないか、とか感じてしまって、答えられなかった。
答えられないわたしは皆が外遊びをし始めても部屋に残された。
「なんでも思いつくものでいいのよ」なんて先生は言う。
将来ってそんな感じでいいのか?
でもどうしても適当なことが言えない。
どうしよう。一つに決めようとしても、本当にそれになりたいのかがわからない。
違ったらどうすればいいのだろう。
「何になる」より、その決断で何かが確定しそうな気がして怖かった。
本当は、イメージする未来像には、お母さんになったわたしが居て、幸せに暮らしていればそれでよかった。
でも、「よい大学へ行き、自立した女性になれ」と教育されていたわたしは、そんなことを言ったら怒られるかなとか、高いココロザシを持たなくちゃいけない、なんて気負って、とにかく、若干イラついている先生の前でずーっとずーっと悩んでいた。(4歳くらいだったのに!)
「一つに決められないのなら、いくつかでいいから言いなさい」
そう先生に言われて、考えに考えた挙句、わたしの結論は以下になった。
朝はピアノの先生。昼はお医者さん。夜はバレリーナ。
やっと先生と二人きりの部屋から解放されて、ホッとしたのも束の間。
どれもこれも大変そうだぞ。これを実現するには相当の努力が必要なんじゃないだろうか?そもそも3つの職業をするのに一日で足りるんだろうか?なんて思ってしまって、若干4歳にして、自分の言ったことにプレッシャーを感じてしまう結果となったのである。
まあでも、言うだけならばまだ実現できなくても良いだろう、とその日以降しばらくは自分に言い聞かせていた。
今思えば何であれ、ひとつ言っておけば同じ結果だったろうに…笑
生真面目だったのであろう。でもこれだけ悩むこどもも居るのだと身を以て知っているから、わたしは小さい人たちにこういう質問はしない。第一、大人なんてその場限りの会話を探しているだけで、そのことにそれほど興味はないのだから、なんて、いまだにナナメに見ている自分がいる。
けど世のこどもにはそういう話がきっと好きな子もいるだろうから、まあ、人によりけり、ということで落ち着くのだろうけれど。
もうひとつ苦いエピソードがある。
卒園アルバムの作成で写真を撮ったときのことだった。
そこでの要求を他の子はいとも簡単にやり遂げるのに、わたしには出来なくて最後まで残された。その要求はただ一つ。
「にっこり笑って写真に写りましょう」
どうして楽しくもないのに、人の気持ちも考えずにカシャカシャ音を出して目をくらませる白い光を発する、大きな黒い物体を持った知らないおじさんに笑顔を振り撒かないといけないのか。どうしても理解できなかった。
「はいチーズ」なんて猫撫で声を出されるのが気持ち悪くて(失礼)、どうしてもおじさんに向かって笑えなくて、皆の親がお迎えに来て帰った後もひとり、部屋に残された。うちの親も来て、夕方遅くになって、大人たちはとうとう諦めた。
出来上がったアルバムに写っていたのは、無理やり口角を上げようと頑張っている睨み顔のわたし(笑)
そんな思い出がふと頭をよぎった今朝。なぜか、寝起きにふわふわと浮かび上がったこんな思い出。
3人の子どもに囲まれつつ、畑やカフェや治療院で働けるということが、なんだか4歳だった頃のわたしの思い描いた未来に近づけたのかもしれないなんて気がして、思い出したのかもしれない。