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とんでもねえこった!
いきなりこんなタイトルだけど、
いきなりでもない(急)展開。
とうとう、ニュージーランドでの生活に終わりを告げることとなった。
悩んで、悩んで、発狂しそうなくらい悩んで、決めたこと。
今起こっている世界情勢の、何が正しいのか、とか、どれが正義か、という観点から物事を分析しても、もう疲弊しかしない。とりあえず私は。
もう、疲弊して、痩せて、笑顔を忘れるところまで追い詰められた。
(いつも、元気って聞かれたら元気って答えるけど。)
損得や欲望や計算と、違和感と肚の声と直感と。
何度も行き来をして、何度も疑って、何度も何度も闇に投げ出されて、光を失う感覚に陥って。
なので、今後どういう生き方をしていきたいか、で最終的には決めた。
子供たちに申し訳ない、という気持ちはいつまでも大きくて、
「できれば残りたいな。でも、家族と一緒にいられたらいいよ」と言ってくれる娘たちの前で、しばしば泣いた。息子は「ママ、なんで泣いてるの?」って、小さな手でいつも私の頭を撫でてくれた。
こちらに来て、日々の記録として残せる余力がないくらい、言葉は頭の中に留まり、表現すること、気持ちを文章にすることが極端に減り、気づいたら、読むという行為さえも出来なくなっていた。
書かれた文章を読むことができない。
人との会話を、全く覚えていない。
集中できない。
眠れない。
何を食べていても味がしない。
でも私が倒れたら、家賃も払えないし、家族も養えない。
患者さんの数をキープしなくてはいけないという、ノルマ。
なんたることだ!
人様の治療などする資格がないのではないかと思われる程に、自分のメンタルも体力もぎりぎり。。
まあ、やりがいとプレッシャーの狭間みたいなところをずっと生きていて、
鬱だな、と思う場面も多々ありつつ、ここまでやってきた。
よく、頑張ったね。
ということで、少しずつ、気持ちの整理も兼ねて文章も書いていこうかと思う。
2021年の締めくくりは、また、断捨離だ。
人生何度も、新しいページをめくり、やり直せるだけ、やり直す。
今日も、生きている。それだけを頼りに進む。
なんたることだ…とまた呟きながら、コーヒーカップを手に空を見上げる。
何度も、景色を、匂いを、空気の肌触りと、体に染み込むここの波動を、
何度も、確かめて、わたしに取り込む。生きているうちは忘れないようにと。。
やわらかいピンク色の空は一瞬で、儚く去る。
なんでもそうなんだ。一瞬なんだ。
来られたこと、いられたこと、出会えたこと。
得られなかったことよりも、あったことに、感謝しよう。