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『ぼくとバク。』31 ショートとバク

「水やりの時、朝顔のこと詳しかったよ」
あつゆはショートに関してとにかく知っていることを話した。二人と一羽はわずかな手がかかりを頼りに花の世界を覗いてみることにする。
ハクタクはあつゆに微笑んでから、かかとを鳴らした。奇抜なカラーから一変して、あたりはシンプルな暖色に包まれる。たくさんあったおもちゃは全て消え去り、騒がしかった雰囲気がとても落ち着いた空気に変わる。
最初に目にしたのは満開の大きな桜の木だった。駆け寄って幹に手を広げてみれば、あつゆ一人では回りきらない程立派な樹木であった。硬い表皮で覆われた幹は、枝先が見えないほど溢れんばかりの花を咲かせている。周りにはたくさんの花びらが散っていた。あつゆは降り注ぐ中の一枚を手にしようと試みるが、なかなか掴まらない。何度試してみても開いた両手に花びらが挟まることはなかった。あつゆは肩を落として桜を見上げる。根元から見上げれば頭上一面が鮮やかなピンク色で染まっている。隙間なく詰められた花びらはまるで大きなパラソルのよう。幹に背を預けるハクタクが
「こんなにきれいなのに、桜ってすぐ散っちゃうよね」
肩越しに見つけたハクタクが手を伸ばしてくる。思わず呼吸を止めた。静かに目をつむると、左耳の上を三本の指でなぞられた。髪に触れられただけなのにその感触が何だか歯痒い。
「ここでは満開のまま、一番綺麗な姿のままずっと咲いているよ」
彼は手の平を差し出した。一枚のピンク色に染まる花びらが乗っている。あつゆはそれを大事に受け取ってティッシュに包み、ポケットにしまった。それからきんもくせいの香りを嗅いで、紅葉やイチョウの並木を過ぎ、色とりどりの花が咲く花壇に出た。パンジーやマーガレットなど知っているものもあったが、大半は見慣れない花ばかりであった。次に足元が岩場に変わり、ところどころの岩からサボテンが生える暑いエリアを抜ける。あやうく巨大な食虫植物に食べられてしまいそうな場面もあった。
「ここにもいないようだね。本の世界はどうかな」
ハクタクはまた二回靴を鳴らした。今度は目の前が大きな木の棚だけになった。
「僕がよくいる所だよ」
本棚の一つに寄りかかって彼は小声でそう話した。雫とバクの本を探すために学校の図書室に行った時のことをふと思い出した。この世界は図書室よりもずっと静かである。ほのかに木の香りが心地よく漂っている。
「でも、本が全然無いよ」
 空の棚に触れながらあつゆが問い掛ける。近付いて木の香りが一層強くなった。木の家を見に行った時と同じ香り。ハクタクはにっこりと笑顔を見せた。
「どんな本が読みたいか考えてごらん」
彼は人差し指を回して考えてみることを促した。言われた通りにあつゆは目をつむって考える。普段本を読まないためなかなか思い浮かばなかったが、さっきのキャラクターなどを思い出してみると本棚が漫画でいっぱいになっていた。
「すごい」
「ここにはどんな本も揃っているよ」
ハクタクは一冊の黒い本を手にしてウインクした。その本はタイトルが金色のアルファベットで書かれているのに加え、布張りの表紙で装飾されていてとても難しそうだ。あつゆは試しにコキリコの絵本も想像してみた。すると漫画はすっかり消え、代わりにコキリコの絵本が本棚に並んだ。背表紙に惹かれた一冊を手にとってみる。
『僕はバク。』
ゆらり ゆらり 短いしっぽ
ゆらり ゆらり 長いお鼻
白と黒の まだら模様
 
これはだぁれ?
僕はバク
君の 怖い夢を 食べてあげる

クレヨンタッチの柔らかい文字に淡い水彩のイラスト。本の中は雫の雰囲気そのものだった。ふわふわと丸い空気を纏っていて、見ているだけで穏やかな気持ちになる。チラシで見た時に感じた柔らかな印象がそのまま詰まっていた。
「あ、コキリコさん」
ハクタクが笑顔で頷く。彼はかかとを二回地面に着けて鳴らした。本棚が消えてたちまち淡い空気に包まれる。ほんのり温かみを覚えた。コキリコのイラストが溢れた世界。動植物や背景が丸みを帯びて可愛らしくデフォルメされ、空気さえも柔らかな感触を持っている。心がすごく優しい気持ちになる。雫のお気に入りだというウサギもあった。きっと彼女がここにいたなら大喜びして抱きついたに違いない。隣にショートがいたなら優しい微笑みを浮かべるのだろう。
馬のひづめの音がして振り返るとかぼちゃの馬車が迎えにきていた。クルクル頭の羊が丁寧にお辞儀をした。彼の後ろから先の折れた帽子を被ったリスがつづいて頭を下げる。私たちもお辞儀を返すとリスがニッコリと微笑んでから星のステッキを高く掲げた。まるで星が軽やかに踊っているようにステッキを振るとキラキラのシャワーが降り注がれた。ピヨ助は蝶ネクタイが着き、ハクタクは伯爵へと姿を変えた。
私は…

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