『ぼくとバク。』33 ハクタク
コキリコさんの世界の馬車はとても心地が良かった。まるで綿に包まれているような柔らかな座り心地で、静かな空気の中に小鳥のさえずりが聴こえてきたりと何だかとても安心する。膝に乗るピヨ助もうとうと気持ち良さそうにしている。背もたれに身体を預けながらわずかな揺れに身を寄せているうち、リボンで出来たお城の前へと到着する。
馬車から降りる際に差し出されたハクタクの手を見て、あつゆは無意識に手を伸ばしていた。手の温かみが伝わったかと思うと、思わず気恥しさが全身を駆け巡る。あつゆは耳の先が熱くなるのを感じた。
二人と一羽がお城まで伸びる赤いカーペットの前に降り立つと、色とりどりなお豆のラッパ隊が音楽を奏で始めた。ラッパの先からは淡いピンクや水色の音符が演奏に合わせて浮かび上がった。音符がたくさん集まってお城を覆い尽くしたかと思うと演奏が止まる。一瞬の沈黙の後、どこからともなくドラムロールのような小さな音が聞こえてきて、音の山場を迎えたその時、お城を覆う音符がカラフルな色をまとって消えた。
再び現れたお城の中からは盛大なファンファーレと共にリボンがたくさんついたドレスを着たお姫様が登場する。
「わぁ、可愛い」
あつゆは笑顔でお姫様に挨拶した。あつゆよりも少し小さなお姫様は、ドレスの膨らみを両手でつまむようにして挨拶を返してくれる。胸元に一番大きなピンクのリボンをあしらっていて結び目に添えられたビロードのブローチがとても素敵だった。よく見るとブローチの中にはカボチャのシルエットが浮かんでいる。カボチャのお姫様に招かれた皆はお城のへと案内された。
お城の中もピンクの色調で統一されていてカーテンやシーツはたくさんのフリルで飾られていた。可愛いらしいぬいぐるみやカボチャのクッションもあって、まるで雫の部屋のようだった。お城の中にショートの姿はなく、紅茶を飲みながらお豆のラッパ隊の演奏を聴いて二人と一羽は城を後にした。
気づくと赤いカーペットはなくなっていて、周りがカボチャ畑になっていた。クネクネとのびるカラフルなタイルが敷き詰められた道をあつゆは黒色だけ踏まないように歩いた。ピヨ助も短い羽根を動かして跳ねるようについてくる。カボチャ畑を抜けて壁のように高く綺麗に整えられた草垣から、ハート形の葉を一枚摘んで鼻に当てた。いちごミルクの甘い香りが伝わる。
「コキリコさんの世界って、思っていた夢の世界みたい」
いちごミルクの甘い空気を吐ききってから出したあつゆのその声は自然と大きくなっていた。ハクタクは驚いた表情を浮かべる。目を丸く開いた彼はピヨ助が戻ってすぐに微笑みへと落ち着いた。
「そうだね。僕もそう思うよ」
彼は空を見上げて言った。薄明かりの中に浮かぶ月を見つめる横顔はどこか寂しそう。その表情には見覚えがあると感じた。少しだけ考えて思い出す。夢に入る前、さゆりが見せた寂しさと同じだったのだ。発することの出来ない心の内を読み取って欲しい、と告げているような哀しさを纏う表情。彼もまた人知れない秘密を隠し持っているのだろうか。
その表情からあつゆの心にも不安な気持ちが押し寄せてくる。
「ごめんなさい。私、本当はショート君のこと、何も知らないの」
雫を連れてくれば良かったと後悔した。急に焦りが心を占領し、鼻先がじんわり熱くなる。私はここにショートを連れ戻すことを託されて来たというのに。
「大丈夫。きっと見つかるよ」
滲む視界の片隅で、ハクタクの微笑む姿が映った。握られる手は温かい。大きな手の平に触れられている、そう感じるだけで自然と心が落ち着いていく。ふと握られるその手首に袖から覗くピンク色を見つける。あつゆが見つめる視線にハクタクも気付いて手を離す。
「あぁ、これはね、ミサンガって言って昔もらったものなんだ」
袖をまくって露にされたそれはピンクと水色の糸で作られていた。上手とは言えない編み込みであるけれど発色の良い綺麗な毛色を纏っている。
「ミサンガって言うんだ!私もさっき付けてもらったの」
あつゆは足首を指さして見せた。ハクタクとおそろいのものを持っていることに喜びが増す。
「さっきって、ここに来る前のこと?」
「そう。さゆりさんがちゃんと帰ってこれますようにって願掛けをしてくれたの」
ハクタクは口に指を当てて考えるような難しい表情を浮かべたが、すぐに笑顔を向けてくれた。差し出された手を取ってあつゆも立ち上がる。
「ハクタクは夢の住人なの?」
手をつないだあつゆは尋ねた。彼はまた首を傾げながら弱々しい笑顔を向ける。
「さぁ、どうだろう」
真っ直ぐ注がれていた微笑みが離れて少し遠くなる。彼の肩からピヨ助が浮かび上がった。二人を急かすように、短い羽根をバタつかせた。右手は握ったまま、彼に合わせて歩きだす。
「夢師なの?」
見上げる彼に質問を重ねる。揺れる毛先はシルバーに輝いている。この世界に陽の光はないのに、まるで自ら光を発しているよう。
「夢師ではないよ。彼らは生まれつき優秀な人達だから」
彼は前を見据えたまま答えた。心なしかその声には彼の皮肉が含まれているように感じる。問い掛けた胸の内にチクリと痛みが走る。
「夢絵師でもないの?」
また胸の内がチクリと刺さる。痛みを受けると分かりながらも、聞かなければならないと誰かが告げていた。
「夢絵師は夢師の中でさらに優秀な人しかなれないよ。筆の扱いには感情が豊かじゃなければならないからね」
彼は常に笑顔を纏っている。その優しい表情に安心を覚えると同時に、あつゆは不安も抱いていた。向けられた笑顔には、時折、寂しげな表情が見え隠れする。またチクリと痛みが走った。