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『ぼくとバク。』35 ショートののぞみ

「なるほどなぁ。あの子の弟か」
おばばは手の平を叩いて納得した。
この勢いを逃す手はいけない。ショートは再びこんぺいとうの入った小瓶を差し出す。
「橋を渡してくれ」
瓶の中には多角形の砂糖菓子が詰め込まれている。雫が母お手製のクッキーの次に好きなものだった。夢から戻った雫の話から、ショートはこの小瓶で橋を渡してもらえる確信を持っていた。しかし、目の前のおばばはため息とともに首を横に振る。
「あんたじゃぁダメだよ」
「何でだよっ」
おばばは差し出された瓶を受け取ろうともしない。ただ頑なに拒否されている。
「諦めて帰りな」
諭すようにおばばは片目を閉じて人差し指を立てた。それでも噛み付くような表情を見せるショートに、おばばはつぶれた様に平たい指先で彼の額を叩いた。
「イタッ!」
ショートが後ろずさりした瞬間、夢絵が彼のTシャツの裾からずり落ちる。
「お前もちゃんと止めてやりなよ。それでも隠れているつもりかい」
おばばに声を掛けられて夢絵が全身を跳ねらせた。夢絵に密着されていたショートの肌が久しぶりに空気に触れて、自分が汗ばんでいたことに気付かされる。それもあってショートの中の焦燥感がより一層強くなる。
「雫は橋を渡したんだろっ」
おばばは自分に橋を渡せる気が無いことは明らかだったが、そう分かっていても諦めたくなかった。
呆れたような眼差しでおばばは肩をすくめて返事をする。
「こんぺいとうをくれたあの子は川の向こうまでは行かないって分かっていたからねぇ。あんたは川の向こうに用があるんだろ」
その言葉にショートは絶望に似たショックを受ける。おばばには目的さえ見透かされていたのだ。ショートは口をつぐんだ。説得するための気持ちさえ見当たらなくなって口を。この先に進むことは戻れなくなる危険が伴う。その事は百も承知であったが、そのための覚悟を示す準備など何も無い。さゆりの制止も聞かず勢いでここまで来てしまった。黙って雫の夢絵を持って、ライターで脅かし案内させている。その全てがおばばには分かっているのだろう。
「川の向こうに兄貴がいるんだろ」
喉の奥から発する声は震えている。握った拳にも震えがうつっている。
「俺の…せいなんだ」
頭は真っ白なのに想いだけが唇を動かしている。言葉にするのに気持ちの波が抑えられなかった。鼻先から抜ける震えた声が感情の昂りを助長する。
「俺がもっともっと努力していれば、兄貴を羨んだりしなかった。俺があんなこと言わなきゃ兄貴は夢に堕ちなかった。」
そろりと夢絵がTシャツを抜けだした。
「俺がバクから兄貴を取り戻さなきゃいけないんだ」
語尾の声は大きくなっていた。余韻が激しく耳の内を跳ねまわる。昂った感情が行き場を失って不自然な穴を作り出す。吐き出してしまった解放感と後悔とが交互に現れる。瞳には涙が溢れていた。感情がもうぐちゃぐちゃで口から出る言葉さえもよく分からなくなっていた。思いのままに全てを吐き出していた。
「俺がいけないんだ。俺が兄貴じゃないから、俺が…俺が……」
歪んだ視界に大きなしわしわの手が映る。頭に軽い感触を受けた後、手からこんぺいとうの小瓶が離れていく。目の前を塞いでいた大きな影が避けられ、ショートが目をこすって顔を上げると川には橋が架けられていた。
「渡るのは勝手だがね、向こうは坊やみたいな若い者が行く所じゃぁないよ」
そう言うと、おばばは蓋を開けて長い爪で器用に砂糖菓子を口に運んだ。白とピンクの星が投げ込まれ二本の縄が滑らかに踊る。
「うん、俺は行かなくちゃいけないんだ」
ショートは自分に言い聞かすように言葉を発した。
「そうかい」
おばばの言葉に頷き、息を吸い込もうとしたその瞬間、突然背中に衝撃が走る。壁に押し当てられたような衝撃だったが不思議と痛みは感じられなかった。振り返るように見てみれば広げられたおばばの手が真後ろにある。
「あたしゃあんたの方がずっと良い男に見えるよ。自信を持ちな」
おばばは意外な言葉を掛けてくれた。二、三度まばたきをしてからショートは笑みを返す。
「ありがとう」
ショートはおばばに向き直って頭を下げた。彼の後ろから夢絵も右端を丸めて礼をする。それから一人と一枚は橋に向かった。

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