心を亡くすと書いて“忙しい“と読む。
皆さん、毎日忙しいですか?
仕事をしている人、勉強している人、スポーツをしている人、家事育児をしている人、
大抵の人は毎日忙しく過ごしているのではないでしょうか。
私は忙しく過ごすことが嫌いではありませんが、
忙しい日々が度をこすと危険なことも知っています。
特にその忙しさが自分軸で決められたものではないことだと、
ストレスは溜まっていく一方です。
逆に自分のやりたいこと、挑戦したいことを自ら進めて忙しくしている時は、
その忙しさが充実感になり自信になり、疲れていてもその先に必ず成長があると言う希望を持てます。
何人だから、と言う考え方は差別に繋がるからあまり使わない方が良いとは思うのですが、日本の企業の働き方はまだまだ労働者の良心で成り立っているものが多いと思います。
いや、私は保育関係の仕事しかしたことないのでわからないのですが、少なくとも保育や教育業界は先生たちの良心で成り立っていることが多いのではないでしょうか。
私は日本人の真面目さや気を使うところ、空気を読むところなど、
面倒だから嫌いだと思うことが多いですが、
自分自身はというととてもビビりでいつも周りの目を気にして、
空気を読み過ぎるし目立たないように気をつけるし、
日本人の嫌な部分をそのまま表したような人間です。
(だからこそ嫌いなのかも)
職場では遅くまで園長や主任が残って仕事をしています。
毎回
「本日もありがとうございました。お先に失礼します」
と挨拶するのが暗黙の職場ルールなのですが、
どうしても前職のバイリンガルスクールと比べてしまって、
とっても窮屈で堅苦しい世界に感じてしまいます。
(バイリンガルスクールでは誰に対しても「See you!」とか「Bye!」でOKだったから)
日本人の丁寧さは世界的にも有名だし褒められたものだとは思いますが、
細かいことを気にしすぎて仕事を増やしたり、
そのせいで過重労働をしたり、
それを繰り返したことにより後輩にも自然とそれを強要したり、
そんな負の連鎖が起きている状況でもあるのではないかと感じます。
生活はどんどん楽になっていくはずなのに、
なぜかそこに頼らない不思議な人たちっていますよね。
保育業界、変えていきたいと思って自分の意見を勇気を出して伝えたりしていますが、結局園長に言ったところで何も変わらない。
みんな頑張って我慢して働いてきた世代なので
仕事で楽すると言う考えを受け入れられないのだと思います。
でもこのままでは、
自分の忙しさに酔ってただ時間を無駄に過ごし、
いつの間にか心は疲弊し、
新しい働き方について行けずいつまでも若い人に向かって文句を言う、
そんな未来しか待っていない気がします。
自分の国や自分のスタイルを過大評価しすぎて自信をもちすぎるのは危険だな、と
上司を見て反面教師にしている私です。
私はプライドを捨ててどんどん楽していきたいな。
そして楽した分また新しいことを学んでいきたい。
職場に求めるのではなく、自分で切り拓く方が近道かもしれない。
飽き性で諦めの早い私はそんなふうに感じてしまいます。
保育業界に声を届けるためには、何をしたら良いでしょうか。
誰かヒントをください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?