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多様性を受け入れる社会を受け入れるためには


最近ではよく聞くようになった言葉である「多様性」
いろいろな場面で使われていますが、私の職場である保育園でもそれを表しているなと思うことがあります。

それはいっときの出来事とかいうのではなくて、仕組み自体が変わってきていると思うこと。
障害児保育についてのことです。
私の職場には各クラスに障害児のお子さんが1人以上在籍しています。
もちろん加配保育士が必要なのですが、それだけでなくクラスに入るということは、クラスで行う活動にも参加することあるということ。

多様性を受け入れて、障がい者も同じように社会で受け入れられる未来はもちろん大賛成です。
しかも幼い頃から障害を持った人と接している子はやはり多様性を意識しなくても素直に受け入れられるようになるとは思います。
その点は本当に良いことだと思います。

しかし、根本的な問題として、
幼児の人数に対する保育士の数が戦後からほぼ改善されていないことを考えると、
加配保育士がついたとしてもそれはその障害児につきっきりになるわけでなくクラスの雑務や他の子のケアにもついてもらわなければならないのです。

そうでなければならないほどのカオスな現場、クラスもあります。
確かに稀に落ち着いた学年もありますが、私は落ち着いているからとか関係なく、もっと甘く余裕を持って保育士を配置しないことには、保育業界に未来はないと思います。

障害児保育を受け入れることの重要さ、意味の大きさは理解していますが、それを受け止めるだけの環境がまだ整っていないように感じます。(本当に!!)

そして結果的に無理を強いられるのはいつも現場の先生たちです。
先生たちは自分のクラスの子どもたちを愛していますし、良い保育をしてあげたいという思いが強いですから、もちろん一生懸命子供たちのことを思い、クラスに入っている障害のある子のことを思い、時に本当にこれはこの子のためになっているのだろうかと自問自答して自分を責めてしまうこともあります。

本当はもっと余裕を持って話を聞いてあげたい、本当は障害児の子だけでなくクラスの子供たち全員と一対一で関わって受け止めてあげたい、本当は丁寧に関わって伸ばしてあげたい部分、時間をとって気持ちを聞いてあげたいとき、本当は〇〇してあげたいという思いがたくさんあると思います。

それを全て実現できている先生がどのくらいいるでしょうか。
もちろん親御さんも同じだとおもいます。
自分の心に余裕があれば、時間にゆとりがあれば、と言い訳をしてしまいつい大きな声を出してしまったり、子どもの少しのサインを見逃してしまったりします。

私は今までの保育士人生で嫌というほど経験しました。
頑張れば頑張るほど、仕事中に笑顔でいることができなくなりました。

そうした経験をしている私は、決心したことがあります。
それは、自分の心と体の健康を大切にすることです。
当たり前のことですが、私はそれができていませんでした。
自分のことを考えたらわがままだ、しんどいことこそ自分が頑張っている証だと勘違いしていたのかもしれません。
でもしんどいを続けた先には闇しかありません。(本当に!!)

震災の時に真っ先に自分がヘルメットをかぶることによって周りの人を助けられるように、真っ先に自分のことを考えて自分のために行動すれば、その先にやっと周りに対する思いやりの気持ちが生まれます。

多様性を受け入れることが正義、なのではなく、多様性を受け入れるためにどんな仕組みを作れるのか、そしてそれは誰にとっても有意義で良い未来を作るものなのか、そんな深いところまで考えて今後の保育、教育の形を作っていってほしいと思います。


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