正解のないお絵描き
子どもが一生懸命絵を描いたり色を塗ったりしている時に、
「まだ白い所あるよ」とか
「はじっこまで塗ってごらん」とか
言うけど、
あれいらないよね。
とか言いつつ私も言ったことあるかもしれないけど、言われた方はきっと
「うるさい」って思ってる。
これだけは言える。
大人よりも子どもの方が圧倒的にアーティスト、
感性の塊だから。
唯一正解のない活動で、
あーだこーだ口出ししなくて良いじゃん。
幼稚園で働いてた時も、ベテランの先生がデカルコマニーで1人ずつ作品作る時に、あーだこーだ指示して色を塗らせてたんだけど、それを見て正直、
(こんなん楽しいのかな)
って思ってしまった。
「絵の具の色を薄くして」だの
「真ん中に色をつけて」だの
「はじっこまで全部塗って」だのなんだの。
私は幼少期お絵描きが好きで、それからずっと好きだったから、幸運にも周りの大人になんだかんだ指図されずにいたのだろうと思う。
だって、きっと色々言われてたら嫌になるはずだから。
小学校の図工の時間は大好きだった。
小学校って色々な画法を教えてくれるからすごいと思う。
紙で作る版画も、彫刻刀で作る版画も好きだったし、プラ板?みたいなものを細かく削って作るのも楽しかった。
とにかく図工の時間は1人で没頭できるから良い。そして図工の時間は2時間連続のことが多かったから、尚良かった。
みんなが静かにしていて、先生も特に見に来たりせず、集中できる。自分が納得できるものを作れば良い、それだけ。
でも、時々先生が1人ひとりの作品を紹介したりするのは嫌いだった。
ある時私が描いた絵をみんなに見せて、
「これは鏡のように反転した絵を両手で描いてるんだよ」
とか言ってたんだけど、
別に私は両手で描いてないし、ただ同じようなパターンの線を順番に描いただけだったんだけど、はぁ、、って感じで、でも否定するのもなんだか恥ずかしくて。
その後友だちが同じように両手で描いたりしてて、なんかつまんないなと思った記憶がある。
そういう経験すると、だんだんと、絵って意味がないといけないのかー、とか、褒められるような絵を描こうとか思ってしまう。
そんで賢くなればなるほど難しくなる。
よって、子どもが1番のアーティストだと思う。
せっかくアーティストだらけの場にいるんだから、
予想ができる作品作りより、
どーなるかわかんないけど面白そうだからやってみよっか。っていう活動がしたい。
私は未だに子どもで、
まだまだ失敗が足りなくて、
人のアドバイスは聞き入れたくなくて、
自分で試して失敗しないと気が済まない。
自分で試して失敗から学びたい。
私の正義は、いつも
「正しい」よりも
「楽しい」だ。
正しい方を選ぶのはつまんない。
楽しい方を選びたい。
まぁ、そんなことばっかり言ってられないのが大人なんですが。
最近、大人でいることにほとほと疲れてしまったので、
久しぶりにお絵描きに没頭する時間を作ったら、純粋に楽しかった。
テーマも何もなく描き始めて、
「面白い模様できた」
「この色のグラデーションめっちゃ綺麗」
「なんか景色に見えてきたぞ」
と、発見しながら作っていくのが楽しい。
これからは自分のために、この時間を作ることを大切にしようと思った。