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「夫婦げんか」から「家族会議」へ

アイ、ワカラズな二年

先日久しぶりにnoteを開いてみたら、一周年記念のバッジを獲得していた。前回の投稿子作りムードにならず、話し合いもなく、ケンカすらなし。蛇の生殺し状態。から、二年弱も経っている。

順当にいけば、もう第一子が産まれていてもおかしくはないのだけれども。

ねぇ。

あれから私たち夫婦がどのように過ごしていたかというと、まあ概ね、相変わらずであった。”コウノトリさんを待っているお花畑系夫婦”として、セックスもしない、不妊治療もしない我が家。

歳だけとって何も進歩がないこの状況。

はぁ。

私はこの状況に耐え切れず、溜め込んだストレスを発散するように数か月に一回のペースで私のメンタルがぶっ壊れ、いわゆる「夫婦げんか」と呼ばれるものが続いていた。

と、その報告だけだったらこの記事を読んでくださっている方にとって読み損であるのだが、それだけではない明るい話題がある。

夫婦げんかから家族会議へ

おや…!? ふうふげんかの ようすが…!?
おめでとう! ふうふげんかは かぞくかいぎに しんかした!

今回の夫婦げんかは何かが違ったのだ。

そう、「夫婦げんか」が「家族会議」に進化している手ごたえを感じているのだ。この予兆はすでに数年前から感じていたのだが、こうして手ごたえを感じるのは初めてである。

夫の進化

結婚当初、夫さんはけんかがヒートアップすると頭に血がのぼって感情的になり、その場から逃ようとしていた。

しかし、数年このやりとりを重ねる間、自分で「逃げるという選択をするのではなく、感情の高ぶりが落ち着く工夫をしなくちゃ」と口にすることがあった。そして、本当に、カーっとなってもしばらくしたらまた落ち着いて話し合いを続けることができた。そういえば夫さんは、夫婦げんかの言葉の端々で、度々”改善マインド”を感じるような言葉があった。

夫さんはアンガーマネジメントをしようと、自分なりに頑張っていたのである。

妻の進化

妻である私も、感情的になりつつも、怒りや悲しみのベクトルを夫さんに向けないように冷静にやりとりができるようになってきた。

私が不穏なようすになると、夫さんは「怒ってる?ぼくが何か悪いことしたんでしょ」「何か不満があれば言って」って、そういうコミュニケーションの取り方をする。

結婚当初は、「ワタクシ旦那が悪うござんしたね」「不満を言語化する労力は妻持ちね」と、翻訳コンニャク(妻ver)を通すとかなり雑に聞こえるその言葉にカチンときて「そういうことじゃない!」とムキになっていたが、今回は違った。

今回の件は、実際にも彼のせいではなかったので、「夫さんが悪いことをしたかの問いに関しては、してないと答える。でも、とても悲しいことがあったから話を聞いてほしい。」と伝えたら、その続きを最後まで話し合うことができた。

「話を聞いてほしい」という一言が言えるまで時間はかかったが、無数の地雷を回避しつつ最後まで行けた。妻である私も、”ゲーム※には乗らねぇぞ”というポリシーを貫き通せたのである。

※ゲーム…交流分析という心理療法において扱われる概念。人間関係ではゲームというパターンに陥ることがあるが、これを知ることでトラブルを防ぐことができるという。

男女の性差ってこういうことか

夫婦での話し合いの中で、新たな共通認識ができた。

今回のことの発端は、私側にあった。不妊治療をしている友人と会ったことで複雑な気持ちを持ったことがひとつ。今住んでいるマンションにはファミリーが多く、バギーを引いたお母さんや幼稚園帰りの親子とよくすれ違い、これまた複雑な気持ちになったことがひとつ。

「夫さんにはこういう体験はないと思うけど、これは事故に遭うみたいなものでコントロールが難しい。外出せずネットも見ずひきこもって過ごすしかないって思ってしまう。」と打ち明けた。

打ち明けると、夫さんは「自分にはそういう体験はないけど、理解はしたい」と寄り添ってくれたように感じた。

そっかぁ~!
やっぱり男女で違いがあるんだねぇ~!

実際にしたわけではないけど、夫婦でぽんと手をたたいた。

これから

戦いはまだまだ始まったばかりだぜ!…という感じではあるが、これは夫と妻が戦う物語ではなく、我が家が運命に抗う?物語なのだ。

今回の話し合いでもうひとつ進展があったのだが、それはまた。
(遅筆なのでいつになるかわからないけれど、書きたい…)

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