「子どもが欲しかったけど、子どもを持たないことを選んだ人生」ってなんだろう?
小さい頃から「こうしたい」と思った時は、
まず最初に思い通りにならなかったときのことを考える人なので、
この案件についても当然のように考える。
もし、子どもを持たない人生になったら。
結婚し家族を持ち、子どもを持つことに
誰よりも気持ちがいっぱいになっている私にとって、
そう考えることはかなり勇気のいることだ。
とはいえ、実は、私って子どもを持てないんじゃないかな…って言うのは、
20代の半ば頃から感じていた。
なんとなく。直観なのだけれど。
人をふたつに分けたとして。
子どもがいる人(いろいろ事情もあるだろうけどいる人)と、いない人。
私はどっちになるのかな。
人生っていう道が、私の目の前で大きく二つに分かれている。
多分、このまま波風立てずに過ごしたら、
今までの継続で「いない人」になるだろう。
「いない人」になったら果たして私はどんな人生を歩むんだろう?
なんとなく、下手すると自分が硬くなるイメージがある。
社会活動で代わりの目標を見つけて「頑張らなくちゃ」モードになりそう。
それか、逆につもりつもった執着や義務感から逃れて、
自然体で生きられるようになるのかな?
今はまだわからないけど、
どちらの道を選んだとしても、柔らかく前に進み続けていたいと願う。
去年はまだここまでこの案件を俯瞰できていなくて、
現実が受け入れられなかったり、
旦那さんとケンカしたり、
仕事と病院の折り合いが難しかったりして辛かった。
今年に入って、夫婦の話し合いもできるようになってきたし、
少し落ち着いて自分に「余白」ができてきたのかな。
こう言う時、学生の時に授業で見たひとつのグラフを思い出す。
産んだ子どもが障がい児だとわかったときに受容していくまでを表したグラフ。
ショック、否認、悲しみと怒り、適応、そして再起。
時間の経過とともにこの5つの感情が強弱をつけて辿っていく、というもの。
親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/z12020/z1202001.html
このグラフは何か人生の壁に直面した時に頭にでてきて、
その度に私を落ち着かせてくれる。
今、私は「適応」の真っ最中なのかな。
「子どもが欲しかったけど、子どもを持たないことを選んだ人生」
もし、近い将来、私がこの道を選んだ時は、
中途半端は嫌だから、くすぶったままでいたくないから、
またちゃんと考えよう。
今はここまで。