沖縄 家族旅行 Day1
旅は・・・・
”いつ? だれと行くか? によって、同じ旅先でもまったく違った印象を受ける” とは、よく言われることだが・・
今回の沖縄の旅は、オレと奥さんの他に、奥さんの家族(両親、義理の姉とその子供2人)の総勢7名で行ってきた。いわゆる家族旅行ってやつだ。
不思議なもので、同じものを見てもオレたち世代が感じることと、子供の視点でみて感じることとは、その印象がガラリと違うようだ。
時には『ヘェ〜それ面白い発想だねぇ〜』って思うこともあり、子供の純粋な眼差しで見た物事の解釈に感銘を受けることもあり、結果として、今回の沖縄では、先入観という見えないフィルターを脱ぎ捨ててピュア(純粋)に楽しんでくることができた。
日本人にとって、最も身近な南の島・沖縄!
楽しみ方は、それこそ千差万別。本来ならば海水浴シーズンの始まる5月ぐらいから行きたかったところだったが・・学校を休ませてまで行くわけにいかないので、子供たちの春休みを利用していける3月に決まった。
今回の旅の主(おも)な目的は2つ!
”沖縄の文化、生活を体感すること”
”15歳の甥っ子のダイビング初体験”
はたして、どんな旅になったんだろか!?
2014年に時を戻し、沖縄の旅を回想していきたいと思う。
1日目!
飛行機で沖縄に向かう為、早朝 5:00 羽田空港ターミナルに集合。
オレたちは横須賀から、奥さんの家族は埼玉からということで羽田空港ターミナル待ち合わせとなった。
AN121便で沖縄に向けて出発。フライト時間は約3時間。機体が空に浮いたなぁと思ったら、すぐさま食事の時間。機内食のサンドウィッチを食べたら、あっ!という間に那覇空港に到着してしまった。
早朝から移動してきて食べたのは機内食だけだった。胃袋を満たすまでには至っていなかったので、空港内で朝食を取ることにした。
飛行機を降りて、直ぐに食べられるファーストフード店 ”A&W”に入った。
A&W(エーアンドダブリュー)は日本国内では沖縄県にしかないファーストフード店で、アメリカ人が発音する ”エィ・ァンド・ダーボゥ” が、そのまま沖縄の人たちに ”エンダー” で親しまれているという。このA&Wは、インドネシアのバリ島にも店舗があって、バリ島に波乗りに行くと必ずお世話になっていたお気に入りのファーストフード店だ。
やはり特筆すべきは、ルートビアというドクターペッパーをもっと薬品臭くした味のコーラだ。あまりにも味が毒々しくて好きな人は大好きだけど、嫌いな人は匂いを嗅ぐのもダメ!というぐらいに2極化してしまう特殊なドリンクなのだ。
店舗内で飲むときには、キンキンに冷やしたビールジョッキにルートビアを注いでもらい、そのままグビグビっと頂く。お好みで、その上にバニラアイスをワンスクープして落としてもらうと更に美味しくなる。イメージとしては・・クリームソーダと一緒だ。
このルートビアの美味しい飲み方というのは、好きな人の中でもそれぞれのこだわりがあるようで、バリ島に滞在していた時は、ルートビア好きが集まってその話題で大いに盛り上がったことも懐かし思い出だ。
とは言え、今回は奥さんの家族とその子供達(従姉妹)も一緒の旅行なので、みんなで食べれば何でも旨い!
”コニードック”(ホットドック)
”A&Wバーガー”(ハンバーガー)
”カーリーフライ”(フライドポテト)
コイルバネみたいにクルクルとカールしたカーリーフライは子供達の大のお気に入りだったようだ。
今回のメンバーは7名。7名で移動するとなればレンタカーを借りない訳にはいかない。空港からシャトルバスに乗って、日本レンタカーのオフィスへと向かった。
予約していたホンダ・ステップワゴンをレンタルした。7人がゆったりと座れる寛(くつろ)ぎの空間だった。運転はオレの役目だったので後部座席の快適さはよくわからないが・・使い慣れないカーナビで目的地をセットする。最初の目的地は首里城だ。ここは、父と母(奥さんの両親)がどうしても行ってみたいといっていた場所だ。
簡単に歴史の勉強をしよう。
首里城は・・・
1429年~1879年まで*琉球王国として存在していた王制の国の政治、外交、文化の中心を担(にな)っていた場所。王国の王様がいたところ。当時は、中国や日本、東南アジアなどの国と交易(こうえき)があって、それによって様々な文物(ぶんぶつ)がもたらされて独自の文化が花開いた。そんな大切な場所も、太平洋戦争でのアメリカ軍の攻撃によって全焼し、一時は地上からその姿がほぼ消えてしまったが・・その後、復元作業によって今の姿となって、2000年12月に日本では11番目となる世界遺産に登録されることになったわけだ。
*琉球王国とは?
北は奄美諸島から南は八重山列島までのエリアで築かれた王国であり
2度に渡る外部圧力
”薩摩の侵略(1609年)”
”廃藩置県により琉球藩となる(1871年)”
によって琉球王国は完全に解体され1879年に沖縄県となった。
約450年(1429~1879)に渡る琉球王国の歴史は幕を閉じた。
大人たちは感慨深げに城内を散策して歩いたが、まだ小さい子供たちにとっては退屈な場所だったようだ。台湾からきていたという大学生のグループと少し話ができた。日本に限らずアジアでも首里城は関心が高い場所のようだ。
首里城を後にしたオレたちは、
国道58号線を北上し宿泊先の北谷町 ”ザ・ビーチタワー沖縄” を目指した。
レンタカーは運転しやすいし、カーナビは便利だし・・道中はとても快適だった。
途中、地元の人たちが食べに行くような素朴な食堂がないか聞いてみた。
『この先に”沖縄食堂”ってのがあるから、そこ行ってみ!沖縄そばが美味いから!』と教えてもらい、全員一致でその食堂に決まった。
10分も走らずに”沖縄食堂”の看板が見えてきた。
『ここだ!ここだ!』
週末だけど、昼のピークタイムは過ぎていたので、待たされることもなかった。
みんなが腹ペコだったので、注文したものがテーブルに並んだ量は圧巻だった。
タコライス大盛り
ゴーヤチャンプル大盛り
トーフちゃんぷる大盛り
チキンカツ定食(意外だが、沖縄のチキンカツが旨かった)
沖縄そば3人前
これらが一瞬でみんなの胃袋に収まった。しかも、どれも500円ぐらい。
ホントにぃ〜!これだけ食べてこんなに安いのー!狂喜乱舞!!
食べ物が美味しい旅先は最高だねー!
腹も満たされたし・・車をスタートさせ美浜の交差点を曲がりしばらく走ると・・
”ザ・ビーチタワー沖縄”に到着した。案内された部屋は10階のオーシャンビュー!目の前は海で眺めは最高!とはいえ・・まだ3月なんで少し肌寒かった。
アメリカンビレッジなどが併設された、ここ美浜地区は、オアフ島のワイキキ周辺を意識して作られたような佇(たたず)まいだった。
ホテルの近くでは無料のキャンドルアート体験というのがやっていた。こういう時に子供がいると助かる。大人だけでは、ちょっと恥ずかしいなぁ〜って思う体験教室でも、ちょっとやってみようかなぁ〜って気持ちになる。
カラフルな色の砂をグラスに敷き詰めて、その上にガラス片を並べ、その上からゼリー状のロウを流し込み固まるのを待つ。なんでもない工作なんだけど、楽しい上にみんな夢中だった。
いい感じに日も傾いてきた。そろそろ酒好きな父と母がアルコールを欲しがる頃だろう。ホテルから少し歩いたアメリカンビレッジという場所にあった沖縄料理屋に入った。4時間前に腹一杯食べたはずだけど・・不思議と腹は減っていた。
食べたのは・・・
”島らっきょう”
”海ぶどう”
”グルクン(さかな)の唐揚げ”
”島豆腐”
”ラフテー(沖縄風豚肉の角煮)”
”そうめんチャンプル”
”豆腐チャンプル” など・・・
どれを食べても美味しかった。
”食事は大勢で食べた方が圧倒的に美味しい!”
ハラは、はち切れそうなほどに一杯だったけど、食後に別腹のデザートを食べに行った。アメリカンビレッジ内にあるアイスクルーム専門店、アメリカ生まれ、沖縄育ちの”Blue Seal(ブルーシール)に行った。
ここのアイスは全体的に、甘さ控えめでさっぱりしているので、普段は、甘い物が苦手な人にも食べられる種類があるかも知れない。
どれをみても美味しそう!多すぎて選べない!そんな時は・・
しまんちゅう(島人)らしい女の子4人がアイスを食べていたので、聞いてみた。
オレ『ここのアイスを初めて食べるんだけど・・オススメってあるかなぁ?』
4人『どれ食べても美味しいよ!沖縄らしい味なら”塩ちんすこう”か”ピスタチオ”じゃない!?』
オレ『じゃあ〜それにしてみるよ!ありがと!』
そんな訳で・・オレは”塩ちんすこう”と”ピスタチオ”のダブルにした。食べたいアイスがすぐに決まって、座って1人でペロペロとアイスを舐めていたけど、オレを除いた6人は、どれにするか決めあぐねていた様子だった。店内を見渡せば・・結構な数のアメリカ軍関係の人もアイスを食べにきていた。アイスが好きなのは世界共通ってことだ。
明日は・・15歳の甥っ子が、どうしてもやってみたいといっていた体験ダイビングをやりに慶良間(ケラマ)諸島に行く。
アメリカンビレッジ内の散策もそこそこに、ホテルに戻って早めに寝た。