「進撃の巨人」の郷、大分県日田市は、なぜ江戸時代に天領だったのかについての洞察
こんにちは、タカトラです。
突然ですが、あなたは自分が生まれた地域の歴史について語ることは出来ますか?
案外、自分が生まれた地域の事って、その地域に存在していることが当たり前すぎて、関心がなかったりしますよね。
僕も最近まで関心がなかったのですが、ふと疑問に思ったのです。
僕の地元は大分県日田市というところなのですが、江戸時代は天領として栄えた街だったと教えられて来ました。現在は衰退しているが一昔前は経済的に発展した地方だったと。
そこで浮かんで来たのが「なぜ日田は天領になりえたのか?」という疑問です。
今回の記事では「日田はなぜ天領だったのか」について自分なりの洞察をツラツラと書いて行こうと思います。
基本的に江戸幕府が天領した要因としては主に交通の要衝だったからということが言われています。
しかし、交通の要衝なんて他にもたくさんあるしそれだけじゃないもっと他の要因があるのではないかと。。。江戸幕府が天領してでも守りたいものがあったのではないかと思ったのです。
この疑問を追求して行くことが出来れば日田の歴史にういてより深く理解出来るのではないかと思います。
自分の中でひとつ、これがひとつの理由ではないかという考えがあります。
それは、日田市が天領だったのは「水資源」が豊富で筑後川水域にとってかなり重要な地点だったからではないだろうか?
なぜ、このような考えに至ったかというと、
ある歴史を学習するコンテンツの中で自分のアイデンティティを理解するには自分が生まれた土地を理解し、そして、物事を理解するには水を理解しなければならないという講義があって、それがきっかけになって自分が生まれた日田について考えていたら、水資源がキーになってくるのではないかと思ったのです。
日田の水資源の豊富さは水郷日田という俗称が示す通りの潤沢な水が日田に流れこんでいます。
日田市には主に3つの河川が交差する地点です。
・九重連山系の河川
・阿蘇山系の河川
・英彦山系の河川
この3つの河川が交わることで豊富な水資源を形成しています。
また、上記の河川が合流して出来る三隈川は九州の穀倉地帯である筑後平野に流れる筑後川の上流にあたります。
生命の源であり、農耕の生命線である水源を守っておくことは、日本の未来を考えたときにかなり重要な政策だったのではないかと思います。
よく言われている交通の要衝だったから日田が天領だったのだという根拠よりも、
①日田市が天領だったのは水資源が豊富で筑後川水域にとってかなり重要な地点だったから水資源を守るために江戸幕府が天領にした。
②江戸幕府が天領にした事で結果として交通の要衝になった。
日田が栄えた経緯としては、このような順番ではないかと、勝手に洞察してみました。
他にもあなたなりの面白い洞察があったら、コメントしていただきたいです!
その他にも日田に関する記事は「マガジン」にまとめていますので、
是非、ご覧になってください!