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1回休むとなんかどうでも良くなる現象

noteでの日記を再開したい。

再開するぜぇぇぇえ!と、力強くテンション高めに言い切れないあたりに、私の意志の弱さが表れている。

このnoteでの日記を始めたのは約2年前で、最初は楽しくほぼ毎日更新していた。

しかしあるとき、パッタリと更新を止めてしまった。

実は、原因はハッキリしている。

日記の最後に「この話には続きがあって、それは明日書きます」と書いたことだ(後日、その一文は削除した)。

たったそれだけ!?と思うなかれ。書きたいことを自由に書き殴ってきた日記の中で、自ら「次はこれを書く」と宣言すると、何が起きるか。

一晩寝て、思った。

「あれ? 今日の私はそれを書く気分じゃないぞ?」と。

昨日の私よ、何てことをしてくれたんだ。楽しく書いていた日記が、一気に「書かなければいけない」という義務感に満ちたものになってしまったではないか。明日の自分が今日の自分と同じだなんて、簡単に思うなよ。

呪いの一文のせいで何だかモチベーションが上がらず、その日はついに日記を休んでしまった。

するとどうだろう。翌日もまたその翌日も、なかなか書く気が起きない。イエス、これが皆さんにもおなじみ、「1回休むとなんかどうでも良くなっちゃう現象」だ(この現象に名前はあるのだろうか)。

一度止まってしまうと、動き出すときには大きなエネルギーが必要である。再開までのハードルが上がり、気付けばアプリもサイトも開かない“note離れ”が起きていた。

そしてあっという間に約2年の月日が流れ、現在に至る。

継続、習慣化は本当に難しい。

そう思うと、「ほぼ日」の糸井さんはすごい。1998年の創刊から四半世紀以上、1日も休まずに更新しているらしい。

そんなにマメに更新できないかもと、「日刊」に「ほぼ」を付けたというが、もはや「ほぼ日刊イトイ新聞」ではなく「完全日刊イトイ新聞」だろう。日刊の新聞にだって休刊日はあるというのに。

(ちなみに、ほぼ日のコンテンツの中ではズーニーさんの小論文講座が大好きです)

話が逸れたが、再び動き出すにはエネルギーがいる。それなのにどうして、もう一度noteでの日記を始めようかと思ったかといえば、やはりnoteで文章を書くことが楽しかったからだ。

コメントやスキをもらえたときには小踊りしてしまうし、たとえ誰からも読まれなくたって、自分であとから読み返すと当時をまざまざと思い出せるのが面白い。

だから再び、始めてみることにする。今度はゆるく。ときどき、サボりながら。

唯一のマイルールはもちろんこれだ。「明日は◯◯を書く」と、書かない。

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BEER党のまいこ
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