パチッとかみ合うと楽しいのだ
最近色々と本やwebサイトを読んでいて、パチッとかみ合う事があった。
本を読んでいると、たま~にこういう事があるのだ。
全く違う分野の人間が、別の事について語っているのに、内容がある点で一致している事がある。
ということで、以下の3人を紹介してみる
1:ジョセフヒース “BIPOC”なる言葉は、カナダにおける人種問題にまったく相応しくない言葉である:アメリカ発の文化政治的社会改良運動を輸入すべきでない理由
まずはカナダの哲学者 ジョセフヒースだ。カナダの左派がアメリカ発の言葉BIPOC(Black Indigenous People of color)を、安易にカナダに適用する事への苦言を呈した論考だ
まあ、論考自体はジョセフヒースらしい論考なので、別に言う事は無いのだが、当時読んだときに少し引っかかる1文があった。
つまり、アメリカは何でも「人種」で社会的対立を理解しようとするが、それこそが対立の原因になっているとヒースは考える。
一方、カナダの多文化主義政策は国民の多元的な統合において最も成功していると世界中から指摘されている。とヒースは言っている。
この主張自体は、ヒースの論考に良く出てくるのだが、当時この話を読んだときには、「アメリカの人種政策こそが、人種対立の原因である」とか「カナダの多元主義は成功している」という言葉がピンとこなかった。しかし、この言葉の裏付けだと思ったのが、次の渡辺将人氏の論考だ。
2:渡辺将人 アメリカのエスニック「部族主義」 ハリスとオバマともうひとつの人種問題
渡辺将人氏は慶応大学の政治学者だが、その前のキャリアは、アメリカ民主党系政治家の選挙事務所に勤めていた人である。
この論考では、アメリカは多人種主義が浸透していないといっている。
オバマは非常に多人種的な背景を持っている人なのだが、その背景は共和党の政治家からは、「イスラムだ!」と批判されたが、黒人系の政治家からは「十分に黒人ではない」という批判を受けた。
多民族国家であるアメリカでは、常に自分は何系なのか?ということを問われ続ける。
WASPにはそれが不要なのだが、マイノリティは「アメリカ人」だけでは足りず、「何系」という単一属性による名乗りが必要になる。人種的多様性の高い都市圏であるほど、その圧力が強い。
そして、その圧力の中では「多人種」であるということは評価されない。
アメリカは多様な社会であるが、それは社会の構成員が多様性に寛容な事や、他の属性に詳しいことを保証しているわけではない。
むしろ渡辺氏が民主党系の選挙事務所に勤めていた際に体験したのは、徹底したタコツボであり、部族主義とでもいう態度だった。
つまり、黒人への選挙活動は黒人が、アジア系への選挙活動はアジア系が・・・となっており、別の人種が口を出すのはご法度という雰囲気すらあった。
こういった部族主義は、選挙によってさらに増幅されている面もある。そして、極めて内向きな態度や人権感覚をアメリカ国民にもたらしているのではないか・・・
しかし、新世代の黒人運動や、ハリスの存在は(ハリスも非常に多人種な背景を持っている)アメリカの部族主義に風穴を開けてくれるかも・・・
という論考だ。
この論考を読むと、なるほど、1の論考でヒースが「アメリカは人種というレンズを通して、あらゆる社会問題にアプローチしようとしているが、それこそが問題だ」というのは納得するだろう。
つまり、カナダ人であるヒースからすれば、渡辺氏が言う所の「部族主義」こそが問題だという訳だ。
さて、そんなアメリカは実は部族主義的。ということは3の本でも述べられているのだ。
3:中井遼 ナショナリズムと政治意識
中井遼氏は、東大の政治学者だが、統計・データ・調査を非常に駆使した研究を行う。なので、渡辺氏とは結構研究の方向性が違うタイプである。
さて、彼が書いた新書「ナショナリズムと政治意識」のP50-58には、こんな話が出てくる。
ナショナリズムという態度は、3つの要素のグラデーションからなる。
ナショナリズムの3つの要素とは、ナショナルアイデンティティ(国民としての帰属意識)・ナショナルプライド(国民としての誇り)・ゼノフォビア(排外主義)である。
中井氏は世界価値観調査という調査のデータを用いて、これら3要素の相関関係を調べてみた。すると、いくつか面白いことがわかった。
ナショナルプライドとゼノフォビアの間の相関係数を調べてみると、アメリカは正の相関を示している。一方で、カナダは負の相関を示しているのだ!(ちなみに日本は、正の相関が若干あるかなくらい)
これはつまり、
アメリカでは、アメリカ国民であることに誇りを持つ人ほど、排外主義的態度をとるが
カナダでは、カナダ国民であることに誇りを持つ人ほど、排外主義的態度は取らない。 ということなのだ。
これは、ヒースが言っていた、「カナダの多人種政策は成功している」(成功しているからこそ、カナダ国民であることに誇りを持つ人ほど、多人種を否定する排外主義的態度をとらないのでは)の裏付けではないか。
そして、ヒースや渡辺氏が言っている「アメリカの部族主義」「人種を問題化する事が、問題の原因」ということも裏付けられる。
つまり、部族主義は排外主義的であり、アメリカ国民であることに誇りを持つというのは、部族主義を肯定するということなのだ。(私が妄想しているのは、多くのアメリカ人にとって、部族主義という認識は恐らくなく、多様性・多人種の称揚として認識されているのではないか)
どうだろうか、
カナダ人の哲学者・選挙事務所で働いていた政治学者・実証データ系の政治学者という本来まじわらない3人が、別々の媒体で述べている事が、絡み合っている。
こういうのを見ると。やっぱり本を読むのは楽しいな・・・と思うのだ。