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これまでの来歴とか。

自己紹介

はじめまして。
群馬某所に生息するしょーちゃんと申します。

普段はInstagram大好き人間でありまして、これまで数年にわたり毎週毎週の山行報告をInstagramで膨大な文量で書いてきました。

下手の横好き程度ですが、昔から文章を書くのが好きだったこと、また友達が増えるにつれて自分の投稿にリアルで会った時に反応をもらえるのが嬉しくてクライミング行くたびに投稿をしていました。

しかし、最近はクライミングの登り以外にも色々と書きたいことが増えてきたので、noteを開設してみました。

そもそもなぜクライミングを始めたのか

そもそも山に入る経験は社会人になるまで全く0でした。
ハイパーインドア人間で、仕事するかゲームするかの毎日。
たぶん3年くらい続けたのかな?

でも、ある時(たぶん2018年)の年明け、急につまらなくなりました。
たぶんその時めっちゃハマってたゲームをクリアしちゃったこと、他にやりたいと思うタイトルがその時なかったことが原因だったのだと思います。

超不健康な生活だったので、何かしら体を動かそう…という意図があったのか、なかったのか…今となっては思い出せませんが、その時周囲で流行っていた登山(というかハイキング)を自分も始めてみようと思い立ちました。

周りのアドバイスも聞きながらなんとなく装備を揃え、初めて登ったのは妙義山でした。
もちろん表妙義の縦走とかではなく、妙義神社をスタートして、大の字を見て少しだけくるっと回ってまた神社に戻る。
今となってはなんてことないコースでした。

これは星穴岳いった時のやつ

でも、あの当時は衝撃的でした。
ゲームの中でやってた冒険をリアルでやってる感覚…とでもいえばいいのか、とにかく大冒険をしている感覚。
20代半ばで幸せなやつやなーと思います。笑
とにかくその時から妙義の山頂に立つことは、一つ目標になったと思います。

我ながらハマりやすい性格の自分は、あっという間に登山の魅力に取りつかれ、道具を買いあさりました。

その時、群馬の登山者なら誰しも一回は訪れるのであろう老舗、「山のスキーの店 石井ドリームボックス」という怪しさ満点のお店(決してそんなことないのですが(笑))で俺がクライミングを始めるきっかけとなった出会いを果たします。
当時、店員としてクライミングギアの販売を担当していたT野さんです。

彼はお客さんの中からよくパートナーを探していたのですが、当時自分にも声がかかりました。

そこで、自分が妙義に登りたがっていることを知ると、「それならクライミングの練習したほうがいいよ」と言い、榛名山黒岩に連れて行きました。
ちなみに、この時は世の中にボルダリングジム等があることすら知りませんでした。
全くの未経験でしたが、靴もハーネスも買ってしまい、外岩でクライミングデビュー。
まあ、山ヤっぽいっちゃぽいですが、これが自分のクライミングデビューでした。

衝撃だった師匠との出会い

クライミングデビュー…とは書いたものの、あくまでも山ヤのゲレンデ訓練の域を出ることはありませんでした。
月に1回クライミング(という名のトップロープばかりですが。)をすればいいほう。

年に片手で数えられるほどしか岩場に行かない(しかも黒岩ばっかり)の日々が続きました。

そんな中、T野さんに誘われて黒岩に行ったある日(ちょっと正確な年は思い出せない)、衝撃の出会いを果たします。

それが今でもずっと一緒に行動している師匠との出会いでした。

ニコニコと笑って人当たりのいいおじさんだなあ…との印象だった気がしますが、手がごついって思ったような気がします。笑
そして聞いてみれば、なんと最高グレードは13a!

当時の自分からすれば、10台を登れるのはセンスのある人、11台は神、12台以上はみたことないプロの世界…本気でそう思っていました。

そんな中、まさかの13a。
世の中そんな人がいるのかと本気で驚きました。

少しでも教えを請おうと思い、その時は必至に色々聞いた気がします。
自分としてはクライミングをもっと真剣にしたかったのに、その舞台を整える力がなかったので、少しでもすがろうと思ったのだと思います。

その時はそれでお別れしてしまったのですが、その翌年?とかにジムで再会することになりました。

その時、山岳会に入っているから一緒に頑張ろうと言われ、山岳会にも入会することとなりました。

ぶっちゃけ山岳会に入ってから半年くらいは都合が合わずに師匠とも行動することはあまりなく、自分で当時通っていたジムの友人を連れて岩に行っていることが多かったです。(それでも月1回行くかどうか。)
今となっちゃその時の経験も色々活きているところはあると感じるのですが、当時は悶々としていました。

師匠とたくさん行動するようになったのは、山岳会に入会した冬からでした。

恐らくきっかけは初めての二子山に訪れた時。
忘れもしない2020年12月18日です。

当時、ワーカーホリックと高く登れを3便ずつ出してRPしました。
必死に登ったら、師匠に「二子で登る資格があるよ」と言われ、嬉しくて泣きそうになったのを今でもよく覚えています。

ただ、その時の実力からいえばその二本を登るだけで精一杯。
他の岩場で修行する必要がありました。

そのため、冬の間は中里の岩場に通いまくりました。
理事長岩によく行っていて、雪が降る中でも友人に付き合ってもらったことがありました。
今思えば、悪いことしたなって思います。笑

とにかく少しでも上手くなりたい一心で、師匠はじめ皆さんにお付き合いいただき、休みはほぼ全てクライミングに費やしました。

その結果、年が明けた2021年の2月には初めての11aが登れて、さらに勢いを増してクライミングに取り組み、さらにその1年後の2022年2月17日に初の12aとなるノースマウンテンを師匠のビレイで登ることができました。

あの時は本当に嬉しかったなあ。
たくさんの人にビレイして頂きましたが、師匠のビレイで登ることができたのが、一番の思い出です。

ノースマウンテンが登れた後の記念写真

クライミングで変わった人生

まあ、始めた理由でだいぶ端折ってもこれだけ書いてしまいました。
とにかく今まで経験してこなかったことがクライミング通じてたくさん起きました。

また、JFAの検定を受けてリボルト職人になったり、地元有笠の新エリア開拓に携わったり…

特に整備の話は書きたいことがあるので、次回書いてみようかと。

終わりに

こんな感じで全くとりとめのない感じになっていまいましたが、これから日々の雑記含めて色々書いていけたらと思います。

お時間あるときにでも、お付き合いいただけたら。

それでは。



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