岩と、倫理と、安全と。

随分と久々の更新となってしまいました。 遊び第一でクライミングに邁進しておりました。笑

今年の夏は花崗岩クライマーの皆さまと仲良くさせていただいて、初めて行くエリアを楽しんだり、クラックを本格的に初めて、カサブランカのオンサイトから始まりイムジン河で締めることができました。

クラック1年目にしては、自分の実力を考えれば大金星のシーズンだったなと思います。

花崗岩クライマー達とクライミングして一番感銘を受けたのは「スタイルにこだわる」ことです。 例えば、ルートから外れてあのガバ使ってレストすれば楽かもしれないけどダサすぎる、トラッドで初トライでもトップロープはやらない、RPに執着して一手出す… こういった姿勢は考えていないことはなかったですが、より強く意識するきっかけになりました。

「安全」は確かにとても大事だけれど、岩で登る以上は「リスク」がつきもので、それをいかに自分が許容できる範囲にまで落とし込む努力(登攀力を上げる、カムの種類を多くしてプロテクションを多くとる)をする必要があると思います。

しかし、その努力は決して岩にベタベタとデカいマーキングをしまくる、(RだのXだののルートは別として)トップロープで練習しまくる、ましてやチッピングして岩の形状を変える…ではないですよね。

なぜこんなことを書いているかと言うと、知り合いのクライマーが小川山のボルダーでめっちゃベタベタにマークを書いている人に対して注意をしたら、相手は全く聞かず、周囲のクライマーから後にDMで空気が悪くなるからやめろ等のクレームが入ったからです。

マーキングしている人は、怪我したくない、安全にトライしたいからやっているのであると言って聞かないとのことでした。

その場に居合わせた訳ではないし、どういった風に注意がなされたのかは分かりません。 しかし、その行為が明らかに「ダサい」ことは明白です。

自分はボルダーをやりませんが、やはりジム上がりの人が増えて「登れればいい」という人が増えすぎたのでしょうか。

杉野さんが生前にFree Funでの寄稿でプリ棒を批判したことがありました。 https://cliff.climbing-instructor.jp/story/stick.htm

『「安全じゃなければフリーじゃない」と言わんばかりに、「こんな所で怪我をしたら馬鹿みたいだから」といった冒険心排除のスポーツ化がもたらした、これも時代の流れなのだろうか。だったら最初からトップロープで登ればいい。安易なスティッククリップとトップロープはルートに対する姿勢や意識の点で大差ない。』(1996年春の[Free Fun]より)

杉野さんもおっしゃっていますが、我々のやっているフリークライミングは登れればそれでいいのでしょうか?そんなにダサいことして自分の何が満たされるのでしょうか?

高グレードのぼって満足したいなら、ジムにくそ悪いホールドつけて楽しんでいればいいじゃないですか。どう落ちても怪我することはあれど、ふかふかのマットの上で死ぬことはまあ無いかな~みたいな場所で遊べばいいじゃないですか。

そりゃ自分も限界グレードのルートでムーヴを作っている時は足下にちょっとティックを付けることはあります。 しかし、件のボルダラーのつけたマークは写真を見る限りあり得ないくらいのデカさで書かれていました。

それはもしオンサイトトライする人がいたら、その人の権利を剥奪しているということに気がつかないのでしょうか?

当たり前のことですが、岩はクライマー達の共有財産であり、そしてこれからのクライマー達に引き継いでいくものです。

自然と相対するクライミングをする時点で、それはもう人口壁とは違い、大けがや極論死ぬリスクだって人口壁よりは大きいわけです。

しかし、それでも自然と相対してクライミングを続けたいと思うのならば、その覚悟を決める必要があると思います。

人口壁のクライミングと自然の中でのクライミングは全く異なるものです。 そりゃ人口壁でフィジカルや登攀技術を鍛えた人は、外岩でも強いでしょう。 しかし、ただ強いだけです。

自分や周りの命を守り、自然の岩場を継承していく。 ただ登りが強いだけでなく、真の意味で強いクライマーになりたいなと思う出来事でした。

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