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【短編小説】メリッサと閉ざされた遺跡 1話

※障壁魔術と結界の違いについて
 意味は同じ。地域によって呼び名が変わります。

 遺跡が見えてくる。
 コマチを置き去りに駆けだしたメリッサの身体が風を切る。もしかしたら自分は最初から風だったのかもしれないと錯覚するくらいに。
 メリッサが高揚に身を任せて走り出しても、コマチは決して叱らない。曰く「メリッサが走る姿を見ていると、わたくしも元気になるのです」とのこと。だからメリッサが遺跡を前にして走り出したのは、コマチにとっては予想できていたことなのだろう。
 冬の空気が肺を満たす。身体が軽い。でも、そろそろ速度を落とさないとコマチを本当に置き去りにしてしまう。
 と、その時だった。
 下り坂に差し掛かる手前。メリッサの行く手を遮る者が居た。
「わっ!?」
 思わずメリッサは立ち止まる。転びそうになったものの、ギリギリのところで踏ん張る。危ないよ! と反射的に声を上げる前に、「アマテラスの人だ」とメリッサは思った。おそらく自分と歳が近い。
「……落とした」
 アマテラス出身らしい少年は、そう言ってメリッサの前に何かを差し出した。
「え? あ、これ! あたしのハンカチ! ありがとう!」
「別に。気づいただけだし」
 少年はそれだけを言うと、元来た道を戻っていってしまった。随分と無愛想な人だなぁとメリッサは思った。しばらく彼の後ろ姿を眺めていると、コマチがこちらに近づいてくるのが見える。
 ポケットの奥深くにハンカチをねじ込みながら、メリッサはコマチの名前を呼んだ。
 コマチはしばらく少年――先ほど、メリッサが落としたハンカチを届けてくれた人――が去っていった方をじっと見つめていたが、いよいよメリッサの声に気がついたのだろう。少し急ぎ足でこちらの方に来てくれた。
「どうしたの? 知り合いだった?」
 少年の頭には角があった。片方は水晶のようにきらきらと光る透明な角で、もう片方は普通の、あれは何の動物の角だろうか。メリッサにはそこまでの知識はなかった。が、ともかく、角が生えている人ということはコマチと同郷の可能性が高い。アマテラス人は精霊族の血が混ざっている関係で高確率で角を持って生まれてくるからだ。
 コマチはしばらく黙り込んでいた。真剣な顔で、しかし腑に落ちないといった様子で、考えていた。
 流石のメリッサもコマチの異常に気づいたが、先手を打ったのはコマチの方だった。
「メリッサ、なんだか遺跡の方が騒がしくありませんか?」
「へっ!?」
 確かにコマチの言う通りだ。なんならこちらに向かってくる四人組の集団が、明らかに落胆した様子で歩いている。
 ここはカルロス・ヴィダルが賢者の剣を隠した「かもしれない」場所として有名な遺跡であり、今は観光施設になっている。入場料として銀貨五十枚もぼったくってくるという悪いウワサも有名だが、それでも賢者の剣がある「かもしれない」というロマンに金を払う者も多い。きっとあの四人組もその類いだ。
「元気出してよ」「運が悪かったなぁ」「壁が作動して、隠し部屋が出てきたから閉鎖なんて、ほんとツキがないわね」……という会話を、メリッサが盗み聞きしない理由がない。
「こまっちゃん……!」
 メリッサは目をキラキラと輝かせていた。コマチには犬の尻尾が見えた。嬉しいときや興奮している時にぶんぶんと振るアレだ。
「いってみましょう」
 コマチはメリッサが期待している言葉を投げる。いつものメリッサならコマチを置いて先行するのだが、今回はハンカチを落とした失敗を踏まえて、焦らず急がずコマチと早足で向かう。分かりやすくそわそわしていたが。
 「!」
 メリッサが止まる。コマチが「これは……」と呟いたのがメリッサにも聞こえてきた。
 遺跡は橙色の障壁魔術で包まれていた。入口にはご丁寧に職員が警備として立たされている。周辺には立入禁止を言い渡された観光客とトレジャーハンターらしき人々がブツブツ文句を言っている様子があった。
「どうしましょう。これではとても、中に入ることは――」
 コマチが隣にいるはずのメリッサに話しかけた時、既に彼女はそこにいなかった。コマチはすぐに視線を遺跡の方に向ける。いつの間にかメリッサが遺跡の方に近づいていっている。自信満々に振り向いた彼女の口元が、
(こういう遺跡は、大抵ここにも入り口があるのよ!)
 と、動いた。
 コマチが呆れるのにも気がつかず、メリッサはごくごく自然な動きで障壁魔術の傍に近づいて、賢者の手袋でそれに触れようとした。
「おい、触るな」
 指先が光に触れるか触れないかのところで声が降りる。メリッサはきょろきょろと辺りを見回したが、他人の姿は見当たらない。
「まだ若いんだ、こうはなりたくないだろ」
 地面に落ちていた木の枝が不自然に浮いて、雑に障壁魔術の方へと飛び込んでいく。ゆったりとした曲線を描いたそれは、障壁魔術に触れた瞬間勢いよく燃え上がり、跡形も残らず消えた。
「危なすぎない!? なんでそんな危ない障壁魔術を使うのよ!」
「一番痛い目を見る結界を張ってくれって頼まれてるんだよ。おれはその指示に従っただけ」
「……本当に指示を受けてるのですか?」
 いつの間にかこちらにやってきていたコマチが、威圧感のある笑みを浮かべながら尋ねる。温厚な彼女が愛刀に手をかけているのを見てメリッサがぎょっとしたのは言うまでもない。
「受けてる。そもそもおれは遺跡の連中から呼び出された緊急救助隊だ」
「姿も現さない人の言葉を信じると思いますか?」
 確かに、とメリッサは思った。
 声の主は沈黙を落としたが、はぁ、とわざとらしいため息を放ってから結界の中から出てきた。
 炎を思わせる橙色の髪が揺れ、夜明けのような白亜の目が不機嫌そうにこちらを向く。右の頬にひっかき傷のようなペイントがあるが、あれは化粧の類いではなくて魔力の貯蔵庫のような役目を果たしているのだろう。人の形でありながら、明らかに人とは異質な存在。
「で? 満足したか?」
「やはり、精霊族でしたのね。魔力の気配と言葉遣いから、きっとそうだと確信していましたの」
「そりゃどーも」
 精霊族はあえてコマチの態度には刺さらなかった。だからこそそれが隙になった。
「じゃあ、早速遺跡の中に入れてください!」
 メリッサが声を張る。コマチが「まあ」と言い、精霊族は「ハァ?」と言った。
「入れるわけねーじゃん! お前みたいな無謀な観光客が遺跡にホイホイ入らないようにするのが、おれの役目なんだよ!」
「あたし、観光客じゃないもの! 賢者の剣を探す優秀なハンターよ!」
「あのなぁ。優秀なやつは自分のことをわざわざ優秀って言わないんだよ」
 精霊族の正論に対し、メリッサは素直に「確かに……!」と納得する。精霊族はため息をついた。とても疲れているように見えた。
「それより……あなた、お名前は? あたしメリッサ!」
「無駄ですよ、メリッサ。精霊族は信頼した相手にしか名乗りませんから」
「そりゃデタラメだ。信頼した相手にしか正式な名乗りを上げないってだけで、自分の名前くらい普通に伝えるっての」
「じゃあ、名前教えてくれるよね?」
 メリッサは目を輝かせて、目の前の精霊族を見つめる。一方でコマチは愛刀に手をかけたままだ。
「アカツキ」
「アカツキさんね。……よし! じゃあ、遺跡の中に入れて!」
 アカツキは何も言わなかった。こんなアホはほっといて、さっさと結界の中に戻ろうとした。踵を返して二人に背を向けようとしたそのとき、アカツキは無意識に背を守るための術を展開していた。
 ゆっくりと、振り向く。
 メリッサは「はて?」という顔をしているが、問題はそちらではない。コマチだ。柔和な笑みの奥には邪悪な殺気が押し込められているのがアカツキにも分かる。
「精霊族に親でも殺されたのか?」
 アカツキの投げた挑発に、コマチは笑顔で答えた。
「ええ」
 メリッサが勢いよくコマチの方を向く。アカツキは鼻で笑った。
「奇遇だな、おれもアマテラス人に同胞を殺されてる」
 アカツキのつま先が遺跡を包む結界に触れる。遺跡の内部――つまり結界の内部に戻ろうとしたアカツキに一つ誤算があるとすれば、メリッサはアカツキが思っている以上に無謀な奴だった。
 結界越しにコマチの悲鳴が聞こえた。だが、彼女の恐れた事態は起きなかった。賢者の手袋で障壁魔術の修復速度を遅らせることができたのが大きいのだろう。
「よし!」
 メリッサは、その足で遺跡の床を踏んだ。
「はぁ!?」
 アカツキは目を疑った。
「破れないなら、あなたの出入りに合わせて入ればいい! それだけのことだったわね」
 ふん、と胸を張るメリッサに対し、アカツキは自分の背後に新たな結界を張る。これで自分はこの女と二人きりだ。
「さ、遺跡を探索しましょ!」
「探索しましょ、じゃないだろ! 何勝手に――」
 アカツキの説教は続かなかった。メリッサの手袋と魔力を意識したそのとき、アカツキは初めて彼女の正体を知った。
「ん? どうしたの?」
 メリッサが近づいてくる。これがただの小娘であれば魔術で消し炭にしていた。が、そうもいかない。この小娘、よりによって、よりによって――!
「お前、ノアの妹か?」
 恩人の名を出した瞬間、メリッサの身体がピンと一直線。汗をダラダラ流しながら、あからさまに視線を四方八方に逸らす。
「い、いいえ? そっ、そんなことありませんよ?」
 最早「そうです。私はノア・ヴィダルの妹です」と言っているようなものだ。メリッサは心臓ばっくばくで、ともかくアカツキと視線を合わせないようにする。
 一方でアカツキも困り果てていた。結界の一部を解除してメリッサを蹴り出すこともできる。しかしそうすれば今度は外で控えている女剣士がすっ飛んてくるだろう。このままでいることも可能だが、日没を迎えた後が困る。アカツキが眠った程度で結界が解除されることはないが、寝ているところを襲われたら話は変わる。
「兄さ……じゃなくて、ノアのこと何かご存知なのかね?」
 色々誤魔化そうとして口調がおかしくなる。メリッサはあえてアカツキの顔を見ずに尋ねた。兄の知り合いの精霊族なら話が通じるかもしれない。もっとも、その「知り合い」の種類にもよるが。
「…………」
 アカツキはアカツキで、ノアには恩義があるなんて口が裂けても言えなかった。もしもそんなことを言ってしまったら「え? ホント? じゃあ兄さんへの恩返しだと思って」とか言い出されるに決まっている。
「ねぇホントに、兄さ……じゃなくてノアのこと教えてよ! どんな関係だったの?」
「どんな関係もこんな関係もないだろ! ああもう! じゃれるな!」
 アカツキはこのとき、間違いなく根負けした。
「教えてやるから大人しく遺跡の外に出ろ!」



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ぽんかん(仮)
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)