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【短編小説】To sink deep

 ――これは、明らかに禁忌だ。

 以前から引っかかっていた。ノアは、賢者の剣が絡むと異様に取り乱す。彼の妹が賢者の剣探しに旅立ってから、ラスターの中で見ないようにしていた事実が膨れている。見ないふりをしていた。見ないふりをしていた。しかしそれも限界だ。
 ラスターはノアを知らない。
 ノアの過去を、知らない。
「それで?」
 あからさまに機嫌の悪いふりをするシエナに対しても、何も気づいていないふりをする。嘘はラスターの得意技だ。
「いったい何を嗅ぎまわろうとしてるのかと思ったら、まさか自分の相棒の過去だなんてね。知らない方がいいことだってあるだろうに」
「俺は知っておいた方がいいと判断した」
「じゃあ本人に聞けばいいじゃないか」
 二人の言い争いは、傍で演奏を続けているレコードにかき消されている。酒場・髑髏の円舞は今日も酒目当ての連中(料理目当ての連中は店が逆立ちしたとしても存在しない)がごろごろと入店していて、誰もラスターとシエナのやりとりを聞こうとはしていなかった。腹を踏まれたカエルのような音を延々と鳴らすレコードは店主のお気に入りだが、たまに客人から苦情が入る(誰かこのおんぼろレコードを黙らせろ!)。
「本人が答えると思わないから打率のよさそうなところをあさってるんだろ、言わせるなよそんなこと」
「だったら諦めなよ」
 はぁ、とあきれ返ったシエナは手元のグラスから一気に酒を煽った。ラスターは席を立った。
「諦めた?」
 シエナの問いにラスターは少し語気を強めた。
「コバルトに聞く」
「コバルト? なんで?」
「あいつは俺がノアを紹介するっていった時に、ノアの素性を洗いざらい調べ上げている」
 シエナの顔色が変わった。
「俺も詳細を知りたいわけじゃなかったんだがな、あんたが吐きたくないってなら他の手段を選ぶだけさ」
「あんた、性格悪いね」
「今更気づいたのか?」
 ラスターは嗤った。シエナの表情が険しくなった。
「過去を共有して、一方的によりそっている気分になりたいのかい?」
「そんな子供のママゴトみたいな理由で動くほどバカじゃねぇよ」
 ラスターは、混雑している酒場をずんずん歩いた。背後からシエナの声が飛んできたが、無視してそのまま歩いた。コバルトに聞く、と大見得を切ったはいいが実際それがうまくいくかは別の話だ。
 ――過去を共有して、一方的によりそっている気分になりたいのかい?
 シエナの声が反響して、ラスターは苛ついた。自分でもおかしいと分かっている。心配を理由に相手のことをこれでもかとほじくり返す愚行なんて誰が望んでやりたいと思うのか。だが、今のラスターには情報がない。先日だって、シノがいなければノアは未だに自室に引きこもって賢者の剣のありかを調べているだろう。
 ペンダントをつつき、フォンを呼び出す。これでコバルトの居場所がおおよそ分かる。地区の路地に消えた影がするすると戻ってきて、ラスターにコバルトの居場所を告げる。そのとき、フォンはもう一つ情報をくれた。
 ラスターは目を丸くした。が、すぐに気を取り直してコバルトのもとに向かった。



「今日は客が多いね」
 コバルトはそう言って喉をぐうぐう鳴らした。
「お客さん?」
 彼の体に刻まれた呪傷を見ながら、ノアはそう反応した。手元がせわしなくなったのは来客のためを思ったからだろう。
「いや、大した客じゃない」
 廃屋の片隅、魔力を利用する類のランプがノアの手元をようやっと照らす。コバルトの体に刻まれている呪傷を消し去ることは不可能だが、肉体にもたらす痛みを軽減させるくらいのことならノアにもできた。だからノアは不定期にコバルトの傷の具合を見て、必要なら魔術を展開するといったことをしている。
 ずっと下を向いていたコバルトが上を向く。ノアも振り向いた。
「ラスター? どうしたの?」
 先に口を開いたのはノアだった。
 ラスターはいつものように胡散臭い笑顔を浮かべながら「コバルトに聞きたいことがあって来た」と言った。そうなんだ、と納得するノアに対して、コバルトはフンと鼻で笑った。
「俺に? 違うだろ。お前さんの知りたい情報を聞くべき相手が別にいるだろ」
 ランプの明かりが静かに揺れた。古いランプだ。光源の装置が随分と弱ってきているのだろう。
 コバルトの足元で、小さな毛玉が動いている。あれはシエナに飼われているイタチで、例にもれず魔物の一種である。ラスターがたどり着くよりも早くコバルトに連絡を取り、ラスターの動向を伝えたのだろう。
「あんたもシエナ派か?」
「いいや? ただ、俺よりも適任がいると思ったまでさ」
 コバルトはそう言って、ラスターに手を振った。あっちにいけ、というジェスチャーだった。
「ラスター?」
 心配そうな面持ちのノアが、こちらに寄ってくる。「何でもない」と告げるとコバルトが大声で笑いだした。
「どこが何でもないんだか! ふてくされた子供のような面をして!」
「あんまり余計なこと言うなよ、俺は今機嫌がよくない」
「脅しか?」
 コバルトが喉を鳴らす。
「だとしたらどうする?」
「ラスター、落ち着いて。一体どうしたの? 何があったの?」
 身体拘束魔術の気配をラスターは警戒していたが、ノアは意外と穏やかにこちらを諫めにかかった。
「そいつの頭を冷やしてやってくれ」
 襟巻をくるくると巻きながら、コバルトは嗤った。
「一番近くにいるやつのことを嗅ぎまわって暴走してんだよ」
「コバルト!」
 性根が腐り落ちているコバルトはラスターの牽制にひるみすらしない。ただ、げらげら笑いながら廃墟の外に出ていく。ランプの明かりが揺れて、少しだけ弱まる。もう寿命が近い。
「ラスター」
 ノアが、肩をたたいてくる。ラスターはまともにノアの顔を見れなかった。
「心配かけてごめん」
「ノア、俺は」
「大丈夫。分かってる」
 ノアは再度、ラスターの肩を叩いた。そして、耳元でささやいた。
「この話は、外ではできない。帰ってから話すよ」
 ラスターはぎょっとして、思わずのけぞった。ノアは困ったように笑っている。
「何故分かった?」
「シノにもコバルトにも怒られたからね」
「あいつ、何を言ったんだ?」
「ここまで来たらもう隠し事はできないだろう、って」
 そういえば、ノアの妹・メリッサが賢者の手袋で大暴れしたのは地区の一角だった。その場にはアングイスもいたので、コバルトの耳にも一連の流れについての情報が届いていたのだろう。
「あーあ。せっかく俺が気を遣ってシエナから細々とした話を聞こうと思ったのも裏目に出たのかぁ」
「シエナ? どうしてシエナが?」
「あんたに助けられたとか言ってバイオテロまで仕掛けてきただろ」
 ノアは、ラスターの言う「バイオテロ」の意味を一瞬理解できなかった。少しの沈黙を挟んで、それが「頬へのキス」であることに気が付いた。とんでもなく失礼な物言いである。
「あれはシエナが大げさなだけだよ」
「そんなことないだろ」
「ううん。大げさ。だって俺はあの時、村を破壊するために出撃したんだから」
「そりゃまた、どうしてそんなことを」
 ノアは答えなかった。黙って地面を指さした。ここは地区だ。ラスターは納得した。アンヒュームの村を破壊しました、なんて話題をこんな場所でできるわけがない。ラスターは目を細めた。街灯の光がまぶしかったのだ。



 買い置きのケーキをつまむ気力などあるわけもなく、簡素な夕食を終えて、ノアはゆっくりと語りだした。
「賢者の剣がどうしてあんなに持て囃されているのか分かる?」
「あんたの親父さんが作り上げた魔道具だからだろう?」
 ノアは笑った。
「半分正解」
 手元にあるかごの中から、ノアはキャンディを六つ取り出した。
「父さんが作った魔道具は六つある。賢者の六魔道具なんて総称もあるよね。そのうちの一つは君も見たはずだ。俺の妹、メリッサに遺した賢者の手袋は、彼女が不得手とする魔力の構築と展開を自然にサポートするための道具。言ってしまえば魔術師には価値のない性能だ」
 ノアはテーブルの上に、六つのキャンディーを円の形になるように並べ、そのうちの一つを籠に戻した。
「カルロス・ヴィダルの子供たちは魔術師としては平凡だ」
 また一つ、キャンディを戻す。
「彼らに合う魔道具は、彼らの欠点を補う類のものが多い」
 また一つ、また一つ、キャンディを籠へ戻していく。
「その性能自体に価値を見出していった結果、賢者の六魔道具は素人が作ったオモチャ同然のレベルと言って差し支えなかった」
 ついに、テーブルの上のキャンディは残り一つとなる。
 ノアの手がキャンディに触れる。
「でも、」
 それは籠には戻らなかった。
「賢者の剣は例外だった。あれは所持者の魔力の量と質を一気に引き上げる類の効果を持つ」
 ノアは、キャンディを強く握りしめた。
「所持者の魔術の性能を引き上げる類の魔道具は人気が高い。製作者が魔術に精通していればしているほど性能も高い」
「だから、人気が出たのか」
 ラスターの言葉に、ノアは頷いた。
「でもおかしくないか? どうして存在していない賢者の剣の性能がそんなに大っぴらになってるんだ?」
「カルロスが伝えたからだよ」
「誰に?」
「俺に」
 当たり前だろ、と言わんばかりの口調にラスターは違和感があった。それはそうだ。賢者の剣の性能を知っているのはカルロスで、そこから「知ることができる」のはせいぜい彼の身内程度だ。いくらあのメチャクチャな性格のカルロスだって、大っぴらに賢者の剣の性能を宣伝することはないだろう。
「俺はその時、王都の騎士団に所属していた」
「それがどうした?」
「騎士団の誰かに届いた手紙は一度取りまとめられて、そこから個人に割り振られる」
「…………」
「簡単な話だよね。俺宛の手紙を勝手に読んだ奴が、賢者の剣の存在と性能を知って王都に報告したんだ」
 ノアの手からキャンディが落ちた。こん、と小さな悲鳴を上げたキャンディは、ラスターの想像よりも頑丈にはできていなかったらしい。もともとヒビが入っていたとか、その原因はどうでもいい。包み紙の隙間から破片がこぼれているのが見えた。ガラスの破片に似ていると思った。
「そして、俺はそれに気づかなかった。気が付けば大規模な遠征部隊が組まれていて、俺は別部隊を率いてルーツの村の遠征に行くよう命じられていた」
 ラスターは、かろうじて、「嘘だろ」という言葉を飲み込んだ。だって、相手は王都の騎士団だ。魔術師至上主義を掲げていたとしても、由緒正しい騎士団だ。
「遠征部隊は俺の実家に、カルロス・ヴィダルのもとに進軍し、賢者の剣を差し出すように迫った」
 それが、こんな山賊のような蛮行をやらかすというのか。
「山奥の民家に、騎士団が百数人も向かう様子を想像してみてよ。お笑いだと思わない?」
 ノアはそう言って笑っていたが、ラスターはピクリとも笑えなかった。かろうじて唇をひくひくと痙攣させるのが精いっぱいだった。
「父さんは騎士連中を追い払うのに魔力を使い切ったのが原因で死んだ」
 ノアは自分の指をキャンディの破片に押し付けながら、ただひたすら淡々と続けた。
「俺が殺したようなものだよね」
「ノア、それは」
「俺が変な夢を見て騎士団に入っていなければ父さんは死なずに済んだんだ」
「違う。親父さんの死はあんたのせいじゃない」
「父さんが最期に使った魔術教えてあげようか? 半永久的に俺の実家を守るための魔術と、賢者の剣を隠す魔術なんだって」
 ノアの指先がキラキラと輝いている。キャンディの破片が刺さっている。何も知らない人が見ればやっぱりガラスと間違えるだろうなとラスターは思った。
「俺は何にも知らなかったから、遠征から戻って大規模遠征の行先を知った。すぐに向かったよ。全部終わった後だったし、父さんの墓もあったからなんの意味もなかったけどね。ロゼッタ……すぐ下の妹に叩かれたのを今も覚えてる」
 ノアは息をついた。
「騎士団側の被害もすさまじいものだったから、上の連中は俺に全責任を擦り付けて退団を迫った。歯向かう気力もなくてそれで、騎士団をやめたってわけ。……どう? 知りたいことは全部分かったかな」
 ラスターは腕を組んで、少し黙り込んでから、
「情報量が多すぎて処理できない」
 と、うわ言のようにしてつぶやいた。ノアは笑った。
「そうだよね。もうメチャクチャで笑っちゃうよね」
 そして、指先についたキャンディの破片を舐めとった。
「重い話ばかりでごめんね、ラスター」
「いや。俺も……悪かった。つらいこと思い出させて」
 ノアは笑っていた。無理をしているときの顔だ。付き合いが長いので見抜くのは容易だった。
「まぁ、つまり、俺は君が思っているような善人じゃないってことだよ」
 暗く沈んだ気分のラスターの腹で、何かが燃えた。
「あんたは自分が思っているほど悪人じゃないぞ」
 急激な上昇を見せたエネルギーが口から言葉を放つ。ノアは少し目を見開いて驚いていたが、すぐにまた例の嘘の笑顔に戻った。
「ありがとう」
 感謝の言葉ぐらいは本音であってほしいものだとラスターは思う。いや、おそらくこれは本音なのだ。ノアは嘘をつくことにおいてそこまで器用ではない。腹の底で中指を立てながら「ありがとう」と甘い声を出すことは、ノアにはできない。
「なんだかお酒が飲みたいな」
 ノアはそう言って席から立ちあがった。ラスターは彼の腕を掴んだ。
「やめとけやめとけ、こういう時の酒ってのは逆効果だ」
「じゃあどうすればいい?」 
 ラスターも席を立った。そして、ノアの顔を見つめながら告げた。
「寝るのがいい」
 柔らかな布のカーテンが地面に落ちるような動きで、二人は床に倒れこむ。受け身をとったラスターの上にノアが倒れこむという構図。ノアが「ちょっと、」と困惑の声を上げた。
「寝具は少し硬い方がいい」
「でも、寒いよ」
「そうか? 俺は結構あったかいんだが」
 言われてみれば、ラスターの体温がほぼ直接伝わってきているのであたたかい。一瞬彼の理論に飲まれそうになったノアだったが、すぐに首を横に振って起き上がった。
「だめだって、風邪引くよ」
 ラスターは返事をしなかった。瞼をきれいに閉じて眠っていた。ノアは呆れつつも、身体強化魔術を展開してラスターを担いだ。リビングから廊下、廊下から二階。階段を三段ほど登ったあたりで、ノアは耳元で喉が震える音を聞いた。狸寝入りのラスターを震源とした笑い声にノアが「ラスター!」と声を張り上げたその時、ラスターはもうこみ上げるそれを我慢するつもりはなかったようだ。
「あんたのそういうところホントいいよな!」
 直球の好意を向けられてしまっては、ノアも何も言えなくなってしまった。



「助かったよ」
 シエナの声をコバルトは無視した。
「なんだ、聞こえないのか?」
 が、それが通じるような相手ではない。コバルトはわざとらしくため息をついてから、シエナに視線だけを投げた。
「俺は別にお前さんに協力したわけじゃない。あいつら変なところで互いを気遣うそぶりを見せるから、背中を蹴りつけてやっただけさ」
「まぁ、なんだっていいさ」
 シエナはケタケタと笑った。酒場の裏は密会にちょうどいい。窓の傍に立つというバカげたミスさえしなければ、酒場の喧騒と暗がりが声と姿を隠してくれる。
「それで、あたしも聞きたいことがあるんだよ」
「情報か。高くつくぞ」
「あんた、何者だ?」
 一瞬、酒場の中が静まり返る。人々が怒鳴りあう声が聞こえる。席のどこかで喧嘩が勃発したのだろう。女の悲鳴が聞こえて、出入り口に取り付けられたベルがけたたましくなり続けていた。
「数年前にひょっこり現れて、あたしに銃を教えてほしいと頭を下げた奴が、あっという間に地区の中枢に潜り込んでる。普通じゃありえない」
「こう見えて努力家なんだよ」
「馬鹿にしてるのかい? こんな秩序のない場所で努力もクソもないだろう」
 コバルトは笑った。大声をあげて笑った。喧嘩を理由に店を飛び出た客たちに聞こえるのではと言わんばかりの大声で笑った。
 シエナは待った。彼の笑いが引くのを待った。しかしコバルトは肩を揺らしている。彼はまだ笑っていた。
「今のあたしは正直、あんたのことを少しばかり警戒してる」
「おやおや悲しいねぇ。これでも腹の底から穏健ディルコ派のつもりで、お前さんとは同胞のつもりなんだが」
「だったら教えてくれ。あんたは一体何者だ?」
 グラスが割れる音がした。繊細なワイングラスではなく、重厚な――それこそジョッキやピッチャーのような大きなグラスが割れる音だ。酒場はもう憩いの場ではなくなっていた。「もう他の店に行くぞ!」と怒鳴る客の声が残骸となって二人のところに届いた。
「じゃあ教えてやろう」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。シエナの目に警戒が宿ったのを見て、コバルトはニィと嗤いながら、自身の懐を探った。
「俺は他人のことを嗅ぎまわる仕事をしているが、自分のことを嗅ぎまわられるのは大が付くほど嫌いなんだよ」
 そして、小さな球体をシエナの足元めがけて投げつけた。
「!」
 シエナが気づいた時にはもう遅い。勢いよく噴き出た煙幕は視界をまっさらに染め上げてコバルトの姿を隠す。反射的に愛銃を引き抜き、コバルトがいるであろう場所のやや下――彼の足を狙って数度発砲するも手ごたえはなかった。
「アゲート! 追え!」
 シエナの指示を受けたアゲート――魔物のイタチは煙の中に消えていく。コバルトの追跡を指示したのだ。
 店に残っていた数人が「火事だ!」と叫んだのが聞こえる。シエナは舌打ちを繰り出した。
 煙幕を脱出した彼女が見上げた先では、月光を受けて青く輝くカラスの魔物が悠々と空を飛んでいる。そいつはなにか細長いものを捕まえていて、足の爪をこれでもかと食い込ませていた。


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ぽんかん(仮)
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)