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【短編小説】氷の教卓 #2

 こちらの続きです。

「自身の魔術を、厳密にいえば魔力の扱い方をよりよくするために、ヒョウガ殿はメルクナ学院の門を叩いた」
 一方、ラスターはコガラシマルの話を聞いていた。氷漬けになった校舎の頂上――先ほどヒョウガが生やした氷の柱の一番上に連れてこられた(もっと悪い表現を使えば「拉致された」)ラスターは寒さと戦いながら彼の話を聞く。
「ノア殿から習った知識があったのが幸いだった。基礎があれば応用も利く。何よりヒョウガ殿が率先して意欲を示したのだ。邪魔する理由があるか?」
「ないねぇ。いつの世だって自分から学びに手を出す気力があるってのはいいことだ」
 ペンダントからフォンを引きずり出し、無理に暖を取る。あまり温まると今度は氷が溶けだすのでいい塩梅がまた難しい。
「……だが、ヒョウガ殿は魔術師の社会とやらを知らなかった」
「魔術師の社会?」
「一部の連中は、精霊族との契約を己の地位向上のために目指しているという」
 は、とコガラシマルは嘲笑を繰り出した。ラスターも思わず笑ってしまう。
「アマテラスでは首輪、ソリトスでは契約か」
「精霊族の歴史を教えておけばよかった。我々の祖先はソリトスでむやみやたらに契約を迫られ、それに嫌気がさして日輪島に渡ったのだが……まぁ、どうでもいい話だ」
 ……話をして気が楽になったのだろうか。随分と雰囲気が落ち着いている。だが肝心の主は氷漬けの学校の中で一人寂しく勉強中だ。とはいえ、こうして話していても今のコガラシマルにはプレメ村で暴走した時のような危うさはない。ヒョウガの魔力操作は今も上手くいっている。そうでなければ学術都市などとっくに冬に閉ざされているだろう。
「ともかく、ヒョウガ殿は高みを目指した。魔術を扱えるようになれば自信につながると思ったのだろう。そこにあの女が割って入った。曰く、魔術を扱えないような人間は、精霊と契約してはならぬらしい」
 魔力がざわついた。ラスターも思わず得物に手を伸ばす。
「この距離からでも殺気が届くんだな」
 二人は地面の方を見た。
「斬り殺しても?」
「いいわけないだろ」
 例の女生徒がこちらを見上げて、殺意のこもった目を向けてきている。自分の身長より大きな杖を掲げた彼女は、その先端をコガラシマルに向ける。その近くで、ノアは頭を抱えていた。
「あれを知っているか?」
 コガラシマルが悪意のある声でラスターに問いかける。ラスターは首を横に振った。生憎、魔術師の風習だとかしきたりだとか、そういったものには疎い。
 コガラシマルは刀を抜いて、同じように切っ先を女生徒に向けた。
「……何をするつもりなんだ?」
「魔術決闘だ」
 ラスターの問いに答えたコガラシマルは、再びラスターを抱きかかえた。今度は地上に降ろすために。
「魔術決闘?」
 ラスターは調子に乗って、コガラシマルの首に腕を絡めた。指先が凍傷になるのではと思うくらいに冷えた。やらなきゃよかったとさえ思った。
 地面に降り立つと同時にラスターは自身の吐息で指先を温める。そんなラスターを完全に無視して、ノアがコガラシマルに近づいてきた。
「精霊族にも魔術決闘があるの?」
「いいや。ソリトスについてから何度か応じたことがあるというだけの話」
「……お相手は無事?」
「全員生きている。某がむやみやたらに殺人を犯すとでも?」
 うん、と思わず返事しそうになったが、ノアはギリギリのところで耐えた。
「今回は決闘じゃなくて、決闘演習という形を取るけどね」
「決闘演習?」
「とどめを刺す寸前で止める、ってこと」
 ノアはちらりとコガラシマルの顔を見た。穏やかな表情で「ふむ」と納得しているのを見て、正直安堵した。気合を入れていなければ腰を抜かしていたかもしれない。
「演習とはいえ、魔術決闘で精霊に喧嘩を売るとは魔術師としての才能以前の問題ではなかろうか?」
 コガラシマルの正論に、ノアは危うく頷くところであった。
 魔術師の決闘の特色と言えば、武器の持ち込みが禁止されているということだろう。あくまで魔術による決闘であるため、魔術以外の使用は基本的に禁止される。剣や盾が使用できないという制約は魔術師にとって有利に働くかもしれないが、魔力の変換効率を高める杖の使用も禁止されるので一長一短。本当に純粋な実力だけが試される。コガラシマルは三本の刀をノアに預け、決闘の舞台に足を運ぶ。
「あくまで形式的な決闘だから――」
「承知している。殺さなければよいのだろう?」
「穏便にね」
 コガラシマルは少し口をつぐんだが、わずかに肩をすくめて応えた。
「他でもないそなたの頼みだ、善処する」
 ヒョウガの氷に閉ざされていない演習場で、コガラシマルとフォルが向き合う。演習場近くには既に医療チームがスタンバイ済みだ。
「生徒会長、勝てるかな」
「魔術決闘演習で敵なしだからなぁ」
「でも精霊族相手だぜ?」
 学長がチャイムハンマーを手に取り、フォルとコガラシマルを交互に見た。
「二人とも、準備はよろしいですかな」
 双方同時に頷く。既に魔術の初動に向けた準備が始まっている。
「コガラシマルの実力なら、魔術の初動なしでも勝てそうなもんだけど」
 ラスターはノアの方を見る。ノアはあえて何も言わなかった。
 学長が傍にあるベルを鳴らす。演習開始の合図が響く。先に仕掛けたのはフォルだった。即座に火の魔力を展開し、コガラシマルが動きづらくなるであろう環境を形成する。だが、それはいささか悠長であった。
 確かにコガラシマルは火の類――熱というものが苦手である。氷と風の加護がどちらも火を不得手とするので仕方のない話であり、当然高温の区域では多少動きが鈍る。フォルの判断は正しい。が、それはコガラシマルの動きを鈍らせるだけの効果があり、展開に時間がかからない場合の話である。急激に熱を持った演習場の気温が、今度はぐんと下がる。一滴の水は大火の前に無力。それと同じ理論で、彼女の作り出した熱はコガラシマルの前では熱と呼べるものではなかった。更に疾風の如き身のこなしを得意とするコガラシマルの前で、数秒の隙を作るのは命取りだ。何より、この決闘で禁止されているのは武器の持ち込み。
 つまり――。
「っ!」
 コガラシマルは氷でできた刀をフォルの首筋にピッタリ突き付けていた。彼女の髪が、自慢の髪が、はらりと落ちる。首は断たずに済んだものの、髪はそうもいかなかったらしい。
「勝負ありですね」
 学長が口を開いた。
「待ってください! 私はまだ戦えます!」
 すかさずフォルがかみつく。が、学長は首を横に振った。
「状況を把握しなさい。ドニモナーナ」
 フォルは「でも、」と言いかけたが、コガラシマルの刀が首筋に沿う感覚に口を閉ざした。
「これが演習という形式を取らない決闘でしたら、あなたの首は今頃地面に転がっています」
「でも、相手は武器を使いました。これはルール違反です」
「禁止されているのは武器を持ち込むことです。魔術を応用して作り出した武器の使用は禁止されていませんよ」
 歯を食いしばるフォルに、コガラシマルが口を開く。小さな声で、フォル以外に聞こえないように。木枯らしが容赦なく枯葉を奪い去るかのような雰囲気で――しかし、ただただ静かに。
「努力が足りぬのでは?」
 その口元を見ていたラスターは思わず吹き出しそうになった。コガラシマルも性格が悪い。コバルトが乗り移ったのかと錯覚したレベルには。
 生徒たちが、ざわついている。
「なんかさぁ、生徒会長って大したことないんだな」
「まぁ、それは世界は広いってことで」
「決闘演習のルールも把握してなかったのか?」
「今まで把握してなくても勝ててたってことだろ」
「なるほど、確かに」
 生徒が、ケタケタ笑っている。
「生徒会長がすごいのって努力だけで、魔術の実力自体はさっぱりだもんなぁ」
 ……クリーム色の髪が、演習場に落ちている。別の生徒がそれを見て「いい気味」と嗤ったのを、ラスターは聞いた。
 その時だ。
 校舎を覆っていた分厚い氷が、まるで強烈な炎を浴びたかのような勢いで消えていく。生徒がざわつく。ノアは目を見張り、ラスターは少し背伸びをした。まるで巨大な生き物が巣に戻るかのようにして、氷はあっという間にその姿を消した。



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ぽんかん(仮)
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)