【短編小説】はみ出てもいい
普通のゴブリン退治だった。村にあった物資を奪われたのでそれを取り戻して欲しい、必要であればゴブリンの駆除もお願いしたい。よくある依頼だ。ただ、ノアとラスターもある一点を異常だと思った。
普通の村。普通の森。普通の畑。普通の天気(冬の時期はある精霊のおかげで天候を警戒するようになってしまった)。村長に話を聞いたところで普通のゴブリン退治となんら変わりがない。ただ奪われた物資が問題だった。ソリトスでは聖夜に贈りものを渡す風習があり、奪われたのはその贈りもの――村の子供たちに宛てて用意されたオモチャだという。ノアは納得した。物資だけでは何のことか分からなくとも背景を知れば一気に理解が進む。おそらくゴブリンは、箱の中身をオモチャと知らずに奪っていったのだ。
「ドジなやつもいるもんだな」とラスターは笑ったが、村長はぴくりとも笑わなかった。
流れも一緒だ。ゴブリンの痕跡を辿って巣穴を見つければいい。伸びをしたラスターが軽快な足取りで外へ向かい、気まぐれに冬の空を撫でた。ノアは村長に軽く頭を下げてからラスターの後を追う。聖夜祭に間に合うようにして物資を奪還する必要があるが、先にゴブリンが箱を開けていたらおしまいだ。それは村人たちも分かっているらしく、木彫り細工が得意な村人たちが集まって急いで予備の人形の用意をしているらしい。
「なぁ、ノア」
追いついてきたと分かったのだろう。ノアがラスターに「どう?」と進捗を尋ねる前に、ラスターが名を呼んでくる。
「どうしたの?」
ラスターは無言で地面を示した。現場にはくっきりとゴブリンの足跡が残っていたが、問題はその大きさだった。
「小さすぎない?」
「おそらく子供の個体だ」
「ゴブリンの子供がやったってこと?」
ノアはあえて声をひそめた。子供のゴブリンだったら自分たちでも退治できると勘違いする輩の暴走を防ぐためだ。
「……この周辺で今までゴブリンの被害は出てなかった」
「つまり群れが住み着いた?」
「どうする? このまま追うか?」
ラスターが森を示す。ノアは頷いた。もたもたしていたら雪で足跡が途切れてしまう。ラスターの実力なら多少の雨雪で追跡を困難とすることはないのだが、それでも仕事はやりやすいうちにやってしまう方がいい。それに、今のノアにとっては、身体を動かせる方がありがたいのだ。
余計なことを考えずに済む。賢者の剣とか、父のこととか。
僅かに積もった雪の上を踏むと、すぐに地面が露わになる。ラスターがチラチラとこちらの様子を窺いながら、時折地面を示す。誰がどう見ても明瞭と言い切れる足跡が点々と続いており、それは洞窟にまで伸びていた。
(あそこだ)
ラスターの口元が動いた。
姿勢を低く取り、様子を窺う。見張りはいない。罠らしきものを仕掛けている様子もない。
ゴブリンには二種類ある。人を襲う方と襲わない方だ。ゴブリンそのものを見るだけではそれがどちらの種類なのかは判別ができないが、巣の種類を見れば分かる。人を襲うゴブリンは基本的に人間の集落近くに本拠地を作らない。人を襲うゴブリンが作るのは襲撃用の拠点。本拠地は人の集落より少し遠い場所に構える。
ゴブリンを退治するかしないかはこの住処を判別する必要がある。ラスターがフォンを潜入させようとペンダントを手に取ったその時だった。
すさまじい咆哮が洞窟の中から響いてきた。ノアとラスターは顔を見合わせて、注意深く洞窟の様子を窺う。ラスターが静かに武器を抜いた。声が大きくなる。と、そのとき、ゴブリンの子供が二体、泣き叫びながら転げ出てきた。一生懸命通せんぼうをして何かが外に出るのを阻止しようとしているように見える。その子供を蹴飛ばす大柄なオークが現れた。彼はいくつかの箱を担ぎ上げている。ラスターが「オモチャの箱だ」と呟いた。よく見ると一番上に置かれている箱は蓋が取れていて、クマのぬいぐるみが光のない目で地面を見つめている。
子供のゴブリンは諦めが悪いらしい。泣き叫びながら大柄なゴブリンの脚にしがみつく。オークが脚をちょいと振ると、子供は勢いよく吹っ飛んで近くに生えていた木に思いっきり衝突した。これは流石にオークにとっても想定外だったらしい。
「…………」
ノアとラスターは再度顔を見合わせた。ここで一気に動いてもいいが問題はゴブリンの巣穴にオークも同居しているという点である。力が低いが手先が器用なゴブリンと、逆に不器用だが力が強いオークは互いの欠点を補うのに丁度いいとも言える。
ラスターがノアの耳元に口を近づける。
「交渉しよう」
「…………?」
「治癒の魔術とオモチャを交換する。ジェスチャーすりゃ伝わるだろ」
襲ってきたらどうするつもりなのか、と尋ねる前に、ラスターは手に持っていた短剣を首に沿わせた。子供のゴブリンを人質にする気でいるらしい。人質戦法が効くかは分からないが、ラスターはさっさと吹っ飛ばされた子供ゴブリンの傍に向かってしまった。ノアも慌ててラスターの後を追う。
木陰から姿を現すとオークは身体を強ばらせた。ノアが治癒の魔術を小さく展開し、ゴブリンの子供の頬についた傷を癒やす。ラスターが箱を指すと、オークは慌てた様子で巣穴に戻っていった。
これは二人にとって予想外のことだった。オークの選択肢は二つ。一つは素直にノアたちの申し出を受け入れてオモチャの箱を返す。もう一つは交渉を無視してノアたちに襲いかかる。だが逃亡は予想していなかった。
「仲間を呼びに行ったのか?」
こういうとき、ラスターは気が早くなる。目に殺気が宿るのを見て、ノアは思わず「待って」と声を上げた。
動きが出るのに時間はかからなかった。オークに連れられて出てきたゴブリンは、ノアとラスターの前に両手を挙げて登場する。
「あ、あ、あー、こんにちわ。ニンゲン」
ノアは目を見張った。
「言葉が分かるのですか!?」
「あ、ちょ、ちょっとだけ」
ゴブリンはオークに指示を投げてから、ノアとラスターのほうにちょこちょこと歩いてきた。
「えと、わ、わたし、ら、ゴブリン。みんなニンゲンおそわない」
「俺はノアと言います。こちらは相棒のラスターです」
「あ、えと、よ、よろしく?」
ゴブリン相手でも律儀に挨拶をするノアだったが、ラスターは警戒を解く気配を見せない。ラスターはノアをつついて、オモチャの箱を示した。
「あの、俺たちは村の依頼を受けてやってきました。オモチャの箱を返してもらいたくて」
「あ、えっと……」
ゴブリンが頭を掻いた。話す内容からしてなんとなく察しはついていたが、そこまで人間の言語に堪能というわけではないらしい。
「オモチャ返して」
代わりにラスターが口を開いた。するとゴブリンは「あー!」と声を上げた。
「ごめんさい。これ、どうぞ」
人語を解すゴブリンは慌ててオモチャの箱をラスターたちの前に差し出した。子供のゴブリンがわあと泣いて、オークが拳を振り上げた。子供ゴブリンはびくっと身体を震わせて、大人しくすんすんと泣きじゃくる。
ラスターはすぐに中身を確認した。ぱっと見てもきれいな状態だ。壊れている様子もない。
「何故オモチャを奪った?」
ラスターの問いに、今度は人語を解すゴブリンがびくっとなった。
「ごめんさい。こども、まつりいいなって」
「聖夜祭に憧れたの?」
先ほど吹っ飛ばされ気絶した子供ゴブリンに治癒の魔術を展開しながら、ノアは問いかけた。大人しく泣いていた子供ゴブリンが泣きながら、グギャグギャと何かを言う。
「おにんぎょ、ほしいて。わたしら、ニンゲン、おそわない。みんなすくない」
「人形が欲しかっただけで、人間を襲う気はないそうだ。群れの規模もそんなにデカくないらしい」
ラスターの翻訳が入る。ノアはなるほど、と頷いた。
「お名前を教えていただけますか?」
ノアは、人語を解すゴブリンに話しかける。すかさずラスターから、
「名前教えて」
と翻訳がすっ飛んでいく。
「えと、ニンゲン語で、なまえ……。わたし、ギョブー」
「ギョブー?」
「ええと、もう少し、ギョブー」
僅かなイントネーションの修正を経て、ノアたちは人語を解すゴブリンの名を知った。
「俺ラスター、これノア」
続いて、ラスターが自己紹介をする。ノアが先ほど自己紹介をしたときには「はて?」というような顔だったギョブーも、単純な文の構成による紹介はすんなりと理解できたらしい。
「ノア、ラスター、よろしく」
ギョブーは緑の頭をポリポリと掻いて、そして子供たちの方を見た。
「ごめんさい、こども、うるさい」
「いい。俺たちオモチャ返してもらえたらそれでいい」
ラスターの口調もだんだんゴブリンに近づいてきたな、とノアは思った。
ギョブーは背後のオークに二言三言何かを伝えた。オークは「ぐう」と返事をして、ゴブリンの子供を引きずりながら巣穴へ戻っていった。子供ゴブリンがいなくなったのを見届けてから、ギョブーは声を潜めて言った。
「お願い、ある」
その様子に、ノアとラスターも屈んで彼の声を聴こうとする。
「こどもたち、おもちゃ、つくって」
二人は同時に顔を見合わせた。
「できる?」
ノアの問いに、ラスターは微笑んだ。
「木彫りの人形でよけりゃ作れるぜ」
ということで、今、ノアとラスターはゴブリンの巣穴で人形を作っている。子供は六人。必要な木は村人に事情を説明して調達済みだ。オモチャを返却するついでの追加依頼だったので、村長はわりとすんなり木材を譲ってくれた。
「言われてみると、数年前から魔物や害獣の被害が少なくなってるんですよ。きっとその善良なゴブリンとやらが追っ払ってくれていたのかもしれませんねぇ」
実際にこういった事例は多い。「よく村にやってきていたイノシシが姿を見せなくなった」という依頼を受けると、高確率で近くの森にゴブリンが住み着いている。それが善良なゴブリンの巣なのか、人を襲うゴブリンの拠点なのかは調べてみないことには分からないが。
ラスターが彫った人形に、ノアが色をつけていく。絵の具も貸してくれたはいいが、問題はノアの腕である。ノアはあまり器用ではない。絵の具をはみ出さずに塗るというのは不得意中の不得意である。ラスターは「適当に塗ればいいんだよ」と言うが、こっちは神経尖らせてもどこかがはみ出たり指紋がついたりしてしまう。そこで八つ当たりをするほどノアも子供ではないので、はみ出た部分はまた別途修正するという方法を取った。が、今度は明らかに色がムラになる。「ここ、直しました!」と言わんばかりに主張を強める筆の跡に、ノアはどっと疲れてしまった。そうしているとラスターから仕上げが終わった人形がくるので、ここでまた作業が滞っているという事実が可視化されてまた焦る。焦ると絵の具がはみ出る。とはいえラスターはラスターで人形を十数体ノンストップで彫り続ける羽目になっている。「一人に対して人形ひとつだけじゃ可哀想だろ」と言い出したのはラスター本人なのだが。
まるで針の穴に糸を通すような心境で歯をガチガチ言わせているノアの手元が再び狂う。鼻を真っ赤に塗っていたら筆が逸れて、人形の黄色い顔に赤い絵の具がぴちゃりとついた。盛大なため息をついて人形を放り投げたくなるのを「騎士時代の仕事よりは断然マシ」という呪文で堪える。同時に自分を惨めに思う。もしもラスターが彩色を担当していたら、この人形はもっと綺麗な見た目になっていたことだろう。
思考が負の方向に落ちていく。ラスターの彫った人形は全員表情が違っていた。無表情だったり微笑んでいたり、目の位置や鼻の形で個性がある。
ノアは長いため息をついて、もう一度自分を奮い立たせる。はみ出た部分は後で修正するとして、ともかく今は作業を終わらせないとならない。
ふと、気配があったような気がして、ノアは顔を上げた。ゴブリンの子供がノアの手元をじっと見つめている。子供は何か二言三言ノアに話しかけてきたが、ノアはその意味を理解できない。ただ、子供の視線はノアではなく筆と絵の具の方にあった。
ノアは弟妹たちを相手していたときの癖で、ゴブリンの子供に筆と絵の具のパレットを差し出し、まだ彩色していない人形をゴブリンの子供に渡してしまった。
ゴブリンの子供はノアの作業の様子をずっと見ていたのか、筆を持ってぺたぺたと絵の具を人形に塗りつけていく。鼻も口も目も頬も、みんな緑色に塗っていく。その人形は帽子がついているデザインだったので、ゴブリンの子供は帽子にもグッと筆を走らせた。
緑色に塗りたくるのに飽きたと言わんばかりの様子で、彼は更に赤色の絵の具を筆に掬う。緑と赤が半端に混ざり、妙な色になった。ノアは慌てて、「はみ出ないように……」と言いかけたが、ゴブリンの子供は夢中になっていてノアの声が聞こえていない。仮に聞こえていたところで、言語の壁があるので意思の疎通などできないのだが。
程なくして、全身がなんとも言えない色になった人形ができあがった。ゴブリンの子供はノアにそれを見せつける。絵の具が乾いていないのにガッツリ触るものだから、当然指や爪の跡が残っていた。
「…………」
ゴブリンの子供はニコニコ笑っている。もの凄く楽しかったらしい。それは彼が塗った人形からも見て取れる。生き生きとした筆の跡。自由な塗り方。決して「上手い」というわけではない。ただ、このゴブリンが塗った人形は確かにノアの心を打ったのだ。
ラスターは思いっきり伸びをした。ようやっと人形を二十個掘り終えた。簡単なデザインのものを選んでサクサク作るつもりだったが、想定より時間がかかった。ノアに任せた塗装はどうなっているだろうか。不器用でありながらも綺麗な人形を作ろうと意気込んでいたから、きっと苦戦しているに違いない。
完成した分の人形をまとめて持っていったラスターは、部屋の様子を見て口元を僅かに緩めた。
いつの間にかゴブリンの子供たちがノアの周りに集まっている。みんな一体ずつお気に入りの人形を手にして、思い思いに好きな色を塗っている。先ほど様子を見に来たときには死にそうな顔をしながらはみ出た箇所を潰していたノアも、開き直って自由な色をつけていた。
「ラスター、お疲れ!」
こちらの気配に気づいたらしいノアが声をかけてきたので、ラスターは残りの人形を並べた。
「ひとまずこれで最後だ」
「ありがとう、今作業に入るから」
ラスターは彩色済みの人形を手に取った。このままだと絵の具が禿げてしまうので、そうならないように透明な塗料をつける必要がある。
「ねぇ、ラスター」
「ん?」
「はみ出てもいいんだね」
ラスターはノアの方を見た。ノアは人形の頬にくるくるとピンクの塗料を塗っている。髪と肌の色からして、その人形はシノに少しだけ似ていた。
「俺、最初はずっとキチンと塗らないとならないって思ってたんだけど、ゴブリンの子供たちが自由な塗り方をしていて、すごくいいなって思ったんだ」
「あんたが楽しんでるようで何よりだよ。最初コッソリ見に行ったとき、あのまま発狂してぶっ倒れるんじゃないかってヒヤヒヤしてた」
「そんなに?」
「そんなに」
ノアの手元が狂って、服を塗っていた赤い塗料がはみ出て人形の手も彩った。ノアは少し考えて、「これは手袋にしようかな」と言って、手の甲に追加で猫の絵を描いていた。
「へぇ、可愛いな」
「やっぱり、冬と言えば外で遊ぶ犬だからね」
ラスターは何も言わず、優しく微笑んだ。猫のイメージを一生懸命頭から追い出すのに苦労したが、ノアもゴブリンたちも楽しそうだ。
「あんたらもやる?」
そんな彼らの様子を物陰からコッソリ見守っていたオークとギョブーに、ラスターは声をかけた。二人は恥ずかしそうに姿を現すが、そんな彼らにノアは変わらずいつもの調子で筆と彩色前の人形を渡す。
「ぬる、わからない」
困惑するギョブーに、ノアは自分の人形を塗りながら言った。
「色をのせていくだけでいいんだよ」