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【短編小説】ノアとボタン

 テーブルの上には「初心者でもあんしん・かんたんぬいものBOOK」という本が広げられている。
 裁縫道具と一緒に置かれているのは、ノアの愛用している外套だ。よく見るとボタンが取れている。
 長年連れ添ってきた相棒だ。直そうとしたのだろう。
 が、こんがらがった糸があちこちにびょんびょん伸びていて、なんとか装着されたボタンは引っ張るだけで外れそうになっている。この状態を「直した」と言えるのならばそれでいいが、ラスターにそんなことはできなかった。むしろ「壊れた」と言ってやりたい。
 ハサミで糸を切り、丁寧にボタンをほどく。針と糸を手に取り、ラスターは慣れた手つきでボタンをつけた。
「…………」
 その様子をじっと見つめる、ノアの気配を無視しながら。
「すごい」
 玉止めを終えたラスターに対しての感想がこれだ。
「十分もかからないんだね」
「あんたは何分かかったんだ?」
「一時間」
 とんでもないな、とラスターは思った。初心者にしても限度がある。
「あ、でも、何度かやり直したんだよ?」
「根気があるのはいいことだ」
 ラスターは笑いながら、ノアへ外套を手渡した。糸をしまい、針の本数を数える。「七本?」と問いかけると「七本」と返事があった。待ち針の数がやたら少ないのが初心者らしいなとラスターは思った。
「昔ね、奇術師さんに風船のお花を作ってもらったときのことを思い出しちゃった」
「あんたの中ではボタン付けとバルーンアートが同列ってこと?」
「うん」
 奇術師がこれを聞いたら泣くだろうか。ラスターが当事者なら笑い死んでいるが。
 ノアはボタンを撫でている。「丈夫だね」とか言っている。「いい糸だからな」とラスターが言う。
「違うよ、ラスターが縫ったからだよ。他のボタンも付け直してもらいたいくらいだ」
 ボタン一つつけるだけでこんなに感動するとは安い奴だな、とラスターは思った。大半の人が素通りするような変化を目ざとく見つけては、やたら大げさに感動する彼の純粋性をラスターは割と嫌いになれない。鬱陶しいと眉を顰めるひねくれものもいる中で、ノアは自分の感性を大事にしている。
「ボタンを付ける魔術とかあればいいのに」
「ないのか」
「俺が知らないだけかも」
 裁縫道具を片付けながら、ノアは二階の方を見た。自分の蔵書からボタンをつける魔術を探す気でいるらしい。
「面白そうだな、探すの手伝うよ」
 二人はひたすら蔵書をめくった。「家庭の魔術辞典」にも裁縫関連の項目はあったがボタンをつける魔術はなかった。モノを作るというジャンルに対して魔術はあまり強くない。しばらく蔵書を漁っていると、ノアが「あ!」と声を上げた。
「あった。あったよラスター、見て」
 ノアの手にある書物を見て、ラスターは笑ってしまった。「需要ゼロ! 誰も好まないトンチキ魔術100選」というタイトルの本にあったボタンのつけ方は「無地のワンピースの一面に直径五ミリほどのボタンを敷き詰める」という、タイトル通りの内容だった。
「そんなにボタンばかりつけてもどうにもならないだろ!」
「でもこれを応用すれば、ボタンを一つだけつけることだって可能かもしれない」
 ノアは興奮した様子で、手元の紙に魔術理論をメモし始めた。
「書店で家庭科の魔術書を買う方が早くないか?」
「こういう作業は細かければ細かいほど術式が複雑になるんだ」
「ボタン百個と一個だと百の方が簡単ってワケ? 難儀だねぇ」
 ボタンなんかいくらでもつけてやるのに、とラスターは思った。しかしノアの手は細かく動いて、ラスターにはよくわからない文言を延々と綴っている。ノアの父、カルロス・ヴィダルの迷言がラスターの脳裏にふと浮かぶ。
 ――魔術が万能なのではない、私が万能なのだ。

 ……その後、ノアが家じゅうの布という布に片っ端からボタンをつけることになり、ラスターが糸切りバサミを片手に片っ端からボタンを外して回ることになる。

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ぽんかん(仮)
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)