夢千鳥、深すぎる。

物凄く甘くて美味しい毒を飲んだような感覚になる舞台だった。

宝塚歌劇宙組公演「夢千鳥」。演者はもちろん、脚本も演出も音楽も、なにもかも最高だった。余韻に浸るとはまさにこのこと。6時間前に飲み始めた毒が、まだ回っている。見終わってもずっと頭の中を支配して、息をするのを忘れるほど夢千鳥について考え込んでしまう。

激しく、美しく、狂気的な夢千鳥の世界。興奮冷めやらぬうちに感想と考察を書き留めるべくパソコンを開いた。しかし、何しろ一度きりの配信での観劇。見当違いや見間違い等ご容赦願いたい。


大正に活躍した美人画家、竹久夢二。「夢千鳥」は、夢二の人生を、彼の美術に特に大きな影響を与えた三人の女性「他万喜」「彦乃」「お葉」との関係とともに描きつつ、「愛とは何なのか」というテーマを投げかける作品。色々な角度から楽しめる作品だが、今回は夢二と他万喜の愛について考えたいと思う。

竹久夢二は大変自己肯定感が低い男性だ。自己肯定感の低い人間が、異性からの承認によって心を満たすというのは往々にしてあるが、夢二も例外にあらず、女性関係が派手だ。彼は自己否定で満たされない心を女性で満たしていたのであろう。それでいて女性は彼の美、すなわち夢二が生きる世界そのものでもあった。

だからこそ、他万喜と衝突するのだ。彼女は確かに彼の美であった故、自己投影をする。それなのに、他万喜は自分の芸術に理解がない。一方他万喜自身も、夢二の芸術こそ夢二そのものであり、その絵のモデルが自分であるということがアイデンティティであった。夢二の芸術=夢二自身に自己投影し、夢二の芸術が自分であるということだけが、彼女の心を支えていたように思う。他万喜には、夢二しかなかったのだ。

夢二も他万喜も、自分自身を大切にできないように、相手のことも大切にできない。それでいて、自分自身と自分の分身からは決して離れられない。お互いがお互いに自己投影をし、相手のことを自分のように扱ってしまう。相手を一人の人間として尊重できず、理解できず、傷つけあう。「憎み合うように愛し合う」というのは、このようなことを言っているのではないかと推測する。

他万喜役を演じた天彩峰里さん、夢二を狂うように愛する姿が恐ろしいほど美しく、まさしく怪演だった。後ろ姿や立ち居振る舞いだけで夢二への執着を表現されていて、名女優という言葉でも足りないくらいだ。夢二役を演じた和希そらさんも、芸術家独特の雰囲気と自己否定故の歪んだ愛を見事に表現されていて、特に目の表情の繊細さには息をのんだ。

そして、この作品の生みの親である栗田優香先生。ストーリーや展開は決して易しくないのに、それを一度の観劇で理解できる作品に仕上げたのはお見事である。それでいて、何度も観てひとつひとつのセリフを深読みしたくなるような奥深さを持たせたその手腕、筆舌に尽くしがたいほどだ。時代を行き来する演出も、夢二の世界に迷い込むのに良いスパイスであったし、夢二の人生から我々は何を感じ取るのかに焦点が当たり、最後納得できる形でまとめられたと思う。

見ごたえがあり、隙のない、精工に作りこまれた舞台だった。この作品、及びディレイ配信に関わった人達に、心から拍手を送りたい。夢千鳥、最高でした。


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