ティボルトの愛と憎しみ

緊急事態宣言の発令により一時的に中止になった、宝塚歌劇星組公演「ロミオとジュリエット」。この度、劇団が「無観客ライブ配信」をご決断くださった。

「舞台は生で観るもの。ライブとはいえデジタル画面に映るものは全くの別物である。」というのは大前提だが、家に居ながらでも「ロミジュリ」の世界に浸れるのは、数々の公演のチケットが紙切れと化した宝塚オタクとして大変喜ばしいことである。

世界中で知られるこのおはなし、タイトルの通り「ロミオとジュリエット」が愛を貫く物語だが、宝塚ver.で描かれているのはそれだけではない。登場人物一人一人の生き様、運命が実に色濃い。

宝塚大劇場で観劇してから1ヶ月あまり、ティボルトへの思いが募る一方なので、この思いを文章で残そうと思い立った。なお、この記事で述べるティボルトは、本公演のA日程、すなわち愛月ひかるさんが演じるティボルトのことであることをはじめに明記しておく。

キャピュレットの跡取り、ティボルト

ジュリエットの従兄のティボルトは、イタリア・ヴェローナの名門キャピュレット家の跡取りである。跡取りとして強くあれと、キャピュレットにすべてを捧げて生きている彼。ナイフだけが味方だと、戦いは宿命なのだと歌う。

あの憎きモンタギューに、絶対に負けてはならない。

敵を睨むティボルトの瞳は憎しみに燃えており、ぞっとする恐ろしさだ。

ティボルト演じる愛月さんは、舞台上で独特な雰囲気を纏い圧倒的な存在感を放つ役者だと認識している。今回のティボルトという役でも、まずその存在感、キャピュレット次期当主としての強さを感じた。ヴェローナという街に漂う危険な空気、その中心はティボルトである、そう感じさせるオーラがあった。

ティボルトの生い立ちと過去

ティボルトという人物を掘り下げよう。

ティボルトには、ヴェローナのキャピュレット家に生まれたその日から、ずっと敵がいた。キャピュレットに生まれた子どもが最初に覚える言葉は「憎しみ」だと言うが、元々ティボルトは「ヒーローになってプリンセスを助け出す」ことを夢見るような、ごく普通の素直な少年だった。無邪気なティボルト少年に、大人たちがモンタギューへの「憎しみ」を植え付けたのだ。

また、ティボルトが跡取りとして大変厳しく育てられたことは、演者たちがオフステージでもよく発言しているが、舞台上のティボルトを観ていてもそれがわかる。ティボルトは、叔父である現キャピュレット家当主には絶対に逆らわない。多少反論することもあるが、自分の意見を押し通すことはない。何より、モンタギューを前にしたときの彼はあれほど威圧的だったのに、叔父の前ではその覇気が一切ない。叔父に𠮟責されたとき、ティボルトの目には、悔しさにも見える苦悶の色が浮かぶ。彼がずっと支配される側だったことがよくわかるとともに、自分の欲求よりキャピュレット家を優先させるティボルトの責任感の強さを感じずにはいられない。

ティボルトの強さの裏には、支配された背景がある。彼の憎しみは他人に植え付けられたものであり、ティボルトが本来持っていたものではない。しかし彼は、キャピュレットの跡取りとして、その運命を受け入れているのだ。自分の欲求を無理に通すことなく叔父に従うその姿は、責任感ある真面目な青年でしかない。

ティボルトの愛

早くから憎しみを知るティボルトだが、たった一人、愛する女性がいる。いとこのジュリエットだ。いとこ同士の結婚はキャピュレットでは御法度。禁断の恋だった。彼は、決して結ばれることのないジュリエットのことを、密かに、強く深く、愛し続けていた。

これはわたしの想像だが、ティボルトは名門家の跡取りとして、同年代よりも早く大人になることが求められたのだと思う。それ故、彼の本質は物凄くもろくて弱い少年のままなのだ。早くに大人にならざる得なかったティボルトが、ジュリエットの前でだけは等身大の自分でいられる。彼女を想う時だけは、憎しみから解き放たれる。自分を見失うほど強くあらねばならないティボルトにとって、ジュリエットへの愛は、彼の自己防衛本能からくるものなのではないだろうか。

作中でティボルトは、15で女を知ったと歌っている。そして、早熟な彼が唯一触れられなかったのがジュリエットだ、とも。ティボルトにとってジュリエットは聖域だったのだ。大切に守り続けるべき存在であり、その愛だけは何にも侵されることない。劇中、ティボルトがジュリエットを見つめる眼は、痛々しいほど優しい。彼女を想ってバルコニーを見上げるとき、懐にナイフを忍ばせている青年は、慈愛に満ちた表情を見せる。

愛の終わりと憎しみ

しかし、彼の愛は、あっけなく打ち砕かれることになる。

「ジュリエットがロミオと結婚しただと?」

それは、キャピュレットの跡取りとして禁断の恋に苦しむティボルトにとって、あまりに惨い知らせだった。遠く遥かな日から、叶わぬ恋と知りながら愛し続けたジュリエットが、よりによって憎むべき敵モンタギューのロミオと結婚しただなんて。

ティボルトの怒りは限界に達する。そしてその矛先は、敵であるロミオに加えて、愛するジュリエットにさえ向いてしまったとわたしは解釈している。

「彼女は俺の心を引き裂いた」

このように失恋を歌うティボルト。ロミオに傷つけられた、ではなく、ジュリエットが自分の心を引き裂いたのだと言っているのだ。彼の怒りの本質が、ロミオへの憎しみではなくジュリエットの裏切り行為によるものであると受け取れる。

「ロミオの屍を前にして、ジュリエットに愛を告げよう」

この歌詞の辺りから、ティボルトがジュリエットに抱く愛が、執着のようなものに変わっているのではないかと推測する。ジュリエットを純粋に愛しているときであれば、ティボルトからこのような言葉は出ないはずだ。植え付けられた憎しみ、叶わぬ恋、自らの運命を呪う気持ちが、ジュリエットへの執着となって、ティボルトの感情を支配する。

ジュリエットへ愛の言葉を叫びながら、ロミオを殺そうと街に出るティボルト。その表情に、かつてのような慈愛はない。怒りと悲しみが入り混じったような瞳が、メラメラと燃えている。

憎しみが衝突するとき

ヴェローナの街は、ロミオとジュリエットの結婚によって大混乱に陥いっていた。ロミオの親友であるベンヴォーリオ、マーキューシオもまた、親友の裏切り行為に絶望し、その怒りを消化できずにいる。

ロミオを探しにやってきたティボルトは、ついにモンタギューの一団と鉢合わせする。しかし、その中にロミオはいない。ロミオはどこだと尋ねるティボルトに、マーキューシオは怒りをぶつける。二人の衝突をきっかけに、両家の若者達が殴り合い、蹴り合い、大きな暴動が起こる。

ティボルトはもはや、憎しみに支配されていた。彼の本来の人格を怒りが吞み込み、それは大きな憎しみとなって彼を内側から浸食した。植え付けられた憎しみが、完全にティボルトのものになってしまった。その憎しみはいったい誰に向けられているのだろうか。

結果的にティボルトは、暴動を止めに入ったロミオではなく、自分に喧嘩を売ったマーキューシオを刺し殺す。ティボルトは、己の憎しみを爆発させるためだけにマーキューシオを殺したとわたしは考えている。刺し殺す瞬間、きっとティボルトにマーキューシオは見えていない。自分の中にある憎しみしか、彼には見えていなかったのだと思う。誰を憎んでいるのか、それすらもわからなくなったティボルト。マーキューシオの身体からナイフを拭き取ったあと、彼は一瞬驚き、そして笑った。何か達成感があったのか、とても晴れやかな笑顔だ。その笑顔はとても恐ろしかった。瞳孔が開き、頬は紅潮し、口元は心から笑っている。これほどまでに恐ろしい笑顔をわたしは見たことがなかった。憎しみに支配されたティボルトは、誰にも止められない狂人になってしまった。

そして、「死」へ

その後ティボルトは、マーキューシオを殺されたことに逆上したロミオに刺し殺される。彼は憎しみによって殺し、憎しみによって殺された。ベンヴォーリオが言うように、彼は大人たちが植え付けた憎しみの被害者だ。それだけでも哀しすぎるのに、彼の死に際があまりにも哀しく、思い出すだけでも胸が重くなる。

ティボルトがマーキューシオを刺し殺したとき、その身体はロミオに受け止められた。ロミオの腕の中で、ベンヴォーリオやモンタギューの仲間たちに見守られて、彼は亡くなる。愛する仲間に別れを告げ、最後は笑顔を見せて息を引き取る。

それに比べてティボルトは、最後まで孤独だった。ロミオに刺された身体を受け止める者はなく、一人敵を見ながら死んでいった。これは、ティボルトが愛されていなかったということではない。むしろその逆だ。キャピュレットの若者たちがティボルトを愛していたことは、舞台を見ていればわかる。ただしその愛は、強き跡取りへの崇拝であったのだろう。リーダーとしてのティボルトは、いつも皆の先頭を切って敵と闘う大将であり、その強さに到底敵う者はなく、尊敬され、畏れられていた孤高の存在だったと推測する。自分を崇拝する信者が多くいたティボルトには、彼の弱さを認めてくれるような、「仲間」はいなかった。

孤高のリーダーは、最後まで独り、強いまま息を引き取った。死後、ロミオの歌う「僕は怖い」でティボルトは、彼の本来の姿である迷える若者の姿に戻る。死を怯える彼の姿は何とも哀れで、私の脳裏に焼き付いている。憎しみに殺されたティボルト。もし別の街に生まれていたら、生まれる時代がほんの少し後だったら、そう考えずにはいられない。ティボルトの逝く先が天国か地獄かはわからないが、逝った先では、どうか心安らかに眠っていてほしいと願うばかりである。


憎しみは何も産まない。ありきたりだが、この作品を観ると心からそう思う。未来ある若者が、自分を押し殺して憎むことを覚え、その憎しみによって命を落とすなんて、こんな悲しいことは決してあってはならない。

私たちの生きる現実世界では、大なり小なり、日々憎しみが生まれ増長している。憎しみが生まれることが避けられないならば、せめてそれよりも大きな愛を。勇気をもって、憎しみの連鎖を断ち切ろう。ティボルトのような若者を生まないために。


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