ウマポンのお仕事
こんちわっす。最近、料理と耳かき動画にハマってる中月です。他人の耳垢が取り出される動画をひたすら見て朝を迎えることもありました。
そう、中月は最近常勤のお店が休業のため日々の時間がバグってるのです。
コロナも早く収まるといいですね。
さて、中月は現在健康麻雀店で働いてるわけなのですが、今回はウマポンのお仕事を紹介したいと思います。
どこかの記事でチラッと書いたのですが、中月が日本に来たばかりの頃は新大久保のタイ料理屋さんで働いていました。
現在はコリアタウンとして有名な新大久保ですが、実は25年程前はタイ人が多く住んでいて、タイ料理屋さんも多い街でした。ウマポンが昔働いていたタイ料理屋はウマポンの友人が経営してたお店だったのですがとても流行っていて、中月は暇なときはよく遊びに行って軽くお水を運んだりと手伝うこともありました。なんと中月、小2で接客デビューしていました天才。
中月が小3の時にウマポンが再婚&妊娠したことをきっかけでそのお店を辞めてウマポンはいったん専業主婦していたのですが、中月が中学のときにまた離婚したことで今度は歌舞伎町のタイパブで働き始めました。タイパブとは、タイ人の女の子しかいないパブのことです。そのまんまか。
当時ウマポンは40歳だったのですが、
お客さんには28歳と嘘をついて働いていたそうです。
絶対嘘だってバレてそうだけどさすがウマポンです。
いや28歳は無理があるなぁ。
しかしウマポンはそこそこの美貌と思いきりのいい性格で結構人気だったらしいです。
ただちょっと押しが強いのが難点だと周りの人は言っていました。
ちなみにそのお店は歌舞伎町の某有名麻雀バーと同じビルに入っていました。(今はもう閉店しています)
そんなある日、中月はウマポンに歌舞伎町に呼び出されました。
とりあえず待ち合わせ場所に向かってみるとそこはヘアセット美容院でした。ウマポンから何も説明も受けずわけの分からない状態で中月はヘアセットされ、そのまま写真スタジオに移動し厚化粧しろと言われ、ドレスを着させられた中月はついに「わしをどうするつもりや?」と聞くとウマポンはこう言いました。
「お店の看板の写真変えるから、若い子の写真が欲しかったんや。お店の女の子は30代すぎしかいないからオマエの写真を使わせておくれ」
ちょ、おま、詐欺やんけ。
中月は全力で拒否したがウマポンには逆らえず、まさかの30代以上しかいないお店の看板写真に当時19歳の中月の写真が使われてしまいました。
しかもお店の人達で看板の写真どうしよう会議の時にウマポンが率先して「ワタシにまかせろ、娘の写真を使う」と言ったそうです。
頭おかしいんかな?と思った中月でしたが、まあ写真だけならいっかと思っていました。
しかし、しばらくそのお店の看板に中月の写真が飾られたのですが、ついにお客さんから「看板の子誰?」と聞かれたらしく、なんとウマポンは「今度くる新しい子よ」と言ってしまったそうです。マジ気狂ってる。
いくらでも嘘言えたやん、前いた子だったとか知り合いでお願いしたとかなんとかさ。
そしてウマポンは中月に「お客さんにそう言っちゃったから今度働いて〜お願いぃ〜〜」と何故かぶりっ子でお願いされて、相変わらずウマポンに逆らえない中月は19歳でタイパブデビューを果たすのでした。
なんで母親と同じお店で水商売しなきゃあかんのや…
と、当時中月は憂鬱になっておりました。
何よりウマポンの前で接客しなきゃいけないのがめちゃくちゃ恥ずかしかったので中月はあまりお客さんと話せないでいました。
しかもお店では親子というのは隠すようにと言われてました。まあウマポン28歳設定ですからね。
仕事内容はお酒作ってお話するだけなので、何も難しくはなかったのですがウマポンがそこにいるだけで疲労感が凄かった記憶があります。
そんなうじうじした中月をみて、ウマポンは帰り際にこう言います。
「もっと可愛く媚びを売って金を巻き上げろ、そんなんじゃ彼氏できねーぞ」
わかってたけどひでえやつだな。
そしてうっせえうっせえうっせえわ。
中月は2回ほどそのお店を出勤して、そのあとは何かと理由をつけて断ることに成功するのでした。
そしてしばらくたってウマポンもそのお店を辞めて、また違うタイパブを異動したわけなのですが、なんで辞めたかと聞くと、
「いい加減若い女の子が欲しいから熟女パブの方に異動しろだって。もう20代って偽るのは厳しいってママに言われたわ、チッ」
そりゃそう。
むしろよく偽れたね…
そうしてウマポンはそのお店を辞めて、歌舞伎町の違うタイパブで働いていました。歌舞伎町からはどうやら離れられないみたいです。
それからしばらくたったある日。
お昼に歌舞伎町に用事があったので、そういえばあのお店まだあるかな、と急に気になりかつて2回働いていたお店の前までのぞくことにしました。
そしてお店の前まで行った中月は、ある事を後悔しました。
そう、まだ看板の写真に中月がいたのです。
ウマポンが辞めてから1年程経過していてもなお中月の写真が使われてました。
ずっと歌舞伎町のビルの隅っこに中月の厚化粧写真が飾れていたのです。
なんであの日写真を撮ってしまったんだろうと中月は後悔しながら歌舞伎町を後にしたのでした…
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