見出し画像

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

なんて、優しい本なんだろう。
こういう本がずっとずっと読みたかった。

基本的なことなはずなのに、みんなが忘れてしまっていることが書かれているように思う。
ずっと自分が考えていたことが本に書かれていると、やっぱり感動する。
代弁してくれたって思う。

「相手がうれしくないことは、『うれしいだろう』と思ってもしちゃだめなんだよ。そのお菓子は自分が大好きなものでも、相手は嫌いかもしれないんだ」

これを、私は優しさの基本だと思っている。
どんな場面でも思い出してほしい。
(私はここを読んで泣いてしまった。)


優しさとは何か。
何をもって優しさとするかは、それぞれ違うかもしれない。

私は、単に相手が求めていることをやってあげることが優しさだとは思わない。
だから、老人に席を譲っただけの人を優しいとは考えない。本当は席を譲りたいのに、譲れない状況に陥り、苦しみながら座ったままでいる人のほうが優しいこともあると思う。
状況によっては、自分勝手を貫くことでさえ、相手にとって優しいとされることもある。

優しさについては、各々が考えればいいと思う。


他にもたくさんいい言葉が並んでいた。
少し紹介する。

「大切な相手は能力ではなく、その人の優しさで選ぶのがいい。」

「学校のルールから逃れようとして、暴走族のルールに入ったのでは意味がない。コンビニでたむろして、爆音を響かせながら近くの国道を走っていた暴走族もまた、仲間内の価値観に合わせているだけではないだろうか。」

「たくさんの人が『みんなと同じ写真』を撮って旅をしたつもりになるのは残念だ。世界1周の一人旅をして、ボリビアのウユニ塩湖でジャンプする写真を撮ったところで、それはディズニーランドで遊ぶのと変わらない。」


相手を優しさで選ぶと言ったって、やっぱり優しさが何なのかは人によって異なるし、状況などによっても変わる。
そうなると、自分で、優しさとはどういうものか、という基準を持たなければならない。
その基準に照らし合わせて、相手を選ぶということだろうか。
とても難しいことだが、私もそうやって相手を選びたい。


とまぁ、ここでは優しさについて触れたが、他にも仕事や、お金、夢、生と死、幸せについても書かれている。

私は特に優しさについて書かれていた、前半部分が好きだった。


ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』幡野広志/PHP研究所/2018.08.24.

#幡野広志


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?