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平穏死とは

講演会を聞きに来た。
平穏死は枯れて死ぬこと。
延命死は溺れて死ぬこと。

なんだかわかる気がする。

点滴のルートを2本つけていた主人は腹水も胸水も溜まりブクブクだった。
溺れる、という言葉は本当にそのとおりだ。

講演会には200人以上が詰めかけ
それぞれの事情で先生の話を聞いていた。

在宅診療、在宅医療を台無しにするのは
「家族」特に「遠くに住んでいる長男」である。
けったいな町医者とよばれた看取り医療の先駆者が言う通りだ、と私は思った。

本人の意志などまるで無視しがちだが、
行間を読むという言葉が日本にはある。

書かれていない真意を汲み取る。

どうしてそう思ったのか。なぜそれを選んだのか。

それはワガママではないんだ。
「愛」などと呼んだら一括りになりすぎる
きっとみんな風のように消えていきたいんだ。
できればみんなに迷惑をかけずに
桜の花のようにハラハラではなく
椿のようにある日ポトリと

沢山の看取りをされた先生も今は医療従事者ではないという。
また在宅医療をしていた方の娘さんから訴えられたこともあるという。

本当の医療はなんなのだろう。
わたしはこんな講演会をみんながもっと聞ける機会があればいいと思った。

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