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よき人間にならない 【ショートショート】

歳を重ねていくごとに、私たちは学び、知恵がつき、余裕が出来て寛容になり、”よき人間”になるんだろうか。

答えは、”ならない”。

花奈はそんなことを考えながら、食卓の不味そうな焼きそばを見つめた。最近晩ご飯は炭水化物ばかりだ。野菜はそんなに好きじゃないけど、からあげとか、ハンバーグとか、豚のしょうが焼きとかそういうのが食べたい。以前母にそれを伝えると「豚さんや牛さんを殺したら可哀想でしょ。だからうちでは滅多に食べないのよ」と笑った。じゃあどうして殺生のない野菜は出てこないんだろう。

「祭でもねえのに焼きそば作ってんじゃねえよ」
「食べたくないなら食べないでくださいね」
「食べるしかねーだろ」

父と母は、顔を合わせると毎日コントのように罵り合っている。基本的に父がグチグチ文句を言い、それを母がアホらしという感じで受け流す。この人達は同じ部屋にいながら他人だ。

歳を重ねることで失うものもある。それは多分、自意識だ。(友達いわく、何歳になっても失わない人も中にはいるらしい)
父も母も、見た目に気を配る気は一切ないようだった。父は母のことを「切り干し大根みたい」と言い、母は父のことを「顔面をグーで殴ったアンパンマン」と揶揄した。
母の方が一枚上手そうだ、とこの時花奈は思った。父より表現力がある。

花奈は、中学校では真面目に授業を受け、真面目に人と接し、帰宅した。こういうのは日々の積み重ねが大事なのだ。小さなことからコツコツと。西川きよしも言っていた。油断すると父と母のような人間になりそうだった。なるべく育ちのいい、真面目そうな友人とつるんだ。

「私、高校から私立行くんだ」
「え?」

お昼休み、友達の一人がそう言った。彼女は花奈が行きたかったE高校に行くようだ。それは以前、担任から花奈に推薦の打診があった高校だった。花奈の家には私立に行くお金は無く、泣く泣く断ったのだ。
「推薦なんて凄いね!」と他のメンバーが口々に言う中、花奈も真似をして「凄いね!」と言った。

花奈が家に帰ると、母は居間でだらしなく寝ていた。花奈は取り込んだままの洗濯物をたたんで片付け、掃除機をかけた。その音に母が目を覚まし「うるさいから止めてよ」と言った。花奈は掃除機を止めると、自分の部屋へ向かった。

机の引き出しを開けると、花奈は布袋を取り出した。小学生のころからずっと、祖父母から貰ったお年玉を貯めていた。花奈は制服を着替え、カバンに2日分の衣服と布袋をしまい、家を出た。もういい、大人になるまで待ってられない。

高速バス乗り場で、花奈は夜行バスのチケット売り場に並んだ。一番遠くにありそうで、自分が知らない地名に向かうチケットを買った。バスに乗り込むと、花奈は携帯の電源をオフにし、窓の外を眺めながらしばらく起きていた。

早朝の田舎の駅は人影がなく、花奈一人だけだった。駅の丸時計は午前6時を指している。花奈は、日が昇る前の、まだ青白い街をとぼとぼと歩き出した。ここは何県の、なんという場所なんだろう。
とりあえず歩きながら推理してみよう、と探偵気分で道を進む。

花奈にとって、これは覚悟の旅だった。
父と母を反面教師に、よい人間にならなくてはと花奈は気を張って生きてきた。しかしもう止めようと思ったのだ。この旅は、反抗的な娘になるための第一歩。レッツゴートゥネクストステージ。

バスを降りてからずっと潮の匂いがしていた。
30分ほど歩くと海が見えてきた。花奈は近くのコンビニで、あんこパンと午後ティー、そしてゆで卵を購入し、浜辺へと向かった。

花奈は砂浜に座りパンを食べながら、海から太陽が昇るのを眺めた。たっぷりと潮をふくんだ風が吹きつけるせいで、花奈の服や髪はベタベタしてくる。太陽が高くなっていくごとに光が海に反射して、波が光っているように見えて綺麗だった。

太陽が昇りきると、花奈はおもむろに携帯の電源をオンにした。きっと心配した母からたくさん着信があるだろうと予想していたが、母から1通「どこで何してんの」とLINEが入っているだけだった。
花奈はガッカリした。自分が精一杯反抗しても、悪い人間になろうとしても、この程度なのだ。やはり自分はまともだ。
結局何も変わらず地球は回り続け、父と母は自分に無関心で、互いに罵り合いながら同じ部屋で生活を続ける。

花奈は立ち上がり、おしりについた砂をはらう。母親にLINEで「友達の家泊まってた。今日中に帰る」と送る。携帯のマップ機能で現在地を調べると、なんてことない、実家がある県からそんなに遠くない場所にいるようだった。ここなら電車ですぐに帰れそうだ。

花奈は海を背に歩き出し、そしてぼんやりと考える。
やっぱり、よい人間になる方が簡単そうだ。

花奈はベタつく髪を手ぐしでとかしながら、ゆっくりと来た道を戻って行った。