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暴力性の正体とは何か?

ファイナルファイト」というゲームをご存じだろうか?

ファイナルファイトは平成時代に人気を博したアーケードゲームだ。

モヒカン犯罪集団マッドギアに支配されるメトロシティが舞台で、ムキムキのサスペンダー市長ハガー、娘の恋人コーディー、全然忍んでない赤い忍者ガイの3人が、囚われた市長の娘を救出するためマッドギアに戦いを挑む。これが本作のストーリーだ。

主人公の一人であるコーディーは、マーシャルアーツとナイフの使い手であり、彼は仲間と共に犯罪組織を壊滅させ恋人を救出し、街のヒーローとなって物語は終わる。

しかし、後のゲームで再登場したコーディーは、なんと暴力事件を起こして囚人となっていたのである。街を救ったはずの彼は、平和になったメトロシティで"最も暴力的な男性"となってしまったのだ。

街のヒーローから囚人になってしまったコーディー

これは暴力性を巡る現代的なパラドックスを象徴している。治安の悪い時代には英雄として持て囃された暴力性も、平和な時代になれば、むしろ社会の脅威として忌避されるのである。

翻って、平和になった現代の先進諸国でも、かつてもてはやされた暴力性は"良くないもの"として排除される時代が訪れている。モヒカンのいない社会で男が家族を守るために必要なものは、腕っぷしの強さではなく金を稼ぐ力となったのだ。

しかし、近年ツイッターを中心に、不要と切り捨てられたはずの”男の暴力性”に関する議論が頻繁に行われている。平和になった時代になぜ暴力性の有無がこれほど再注目され、討論されているのだろうか?

まず初めに、ツイッターで語られる"暴力性"とは何なのかについて書いていこう。

結論から言えば、ここで語られている暴力性とは、他人を殴る蹴るといったマーシャルアーツやナイフ術の話ではなく......

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