地域性から見る集客という課題
光あるところには、必ず影がある。
これは、この世界にある全てのものに通ずると言ってもいい、普遍の法則だ。
森羅万象、何事もこの表裏一体の法則で物事が出来上がっている。
御礼
昨日の初noteでは、たくさんの方にお時間を割いてご覧いただき、またご反応も頂戴し、この場をお借りして深く感謝申し上げます。
実は、今日のこのnoteも含めて、ワンセットの記事となっております。
まだ前半をご覧いただいていない方は、お時間ありましたら下記へとお進み頂ければ幸いです。
なぜ前後半で分けたかというと、何かを持ち上げるとほぼ必ずと言っていいほど、落とそうとするヤツが出てくるからです。
実際に試合会場にも来ていない他サポに落とされるのは非常に面白くないので、自ら丁寧に持ち上げて下ろすスタイルで書きたいと考えました。
(そしたら長くなりすぎちゃって、前後半に分けることにしました)
長所と短所
さて、先日のnoteではいわきの人々の『配慮の上手さ』という長所について、いわき市の歴史や地域性、住民性などから個人的な見解として考察させていただいた。
しかし、長所というものは必ず裏側に短所を内包しているものであり、現在いわきFCの好調な成績とは裏腹に、思うほど伸びていかない集客数にそれが表れているのではないかと、個人的には感じている。
いわきFCのサポーターの皆さんと関わるようになって、私が抱いたイメージの1番目は配慮の上手さだが、2番目は「あっ、結構皆さんシャイな方が多いのね」だった。
懐に飛び込んでからはそんな雰囲気を微塵も感じさせないぐらい"やんややんや"させていただいているが、実は試合会場でお話しする機会は当初の頃はあまりなかった。
もちろん私は今年から応援を始めたばかりの新参者であり知り合いがいるわけでもない。さらに言えば人に声を掛けるのがそんなに得意な方でもない。奥様がいわきの皆さんの中に入っていく突破口を開いてくれたので、その後ろを静かについていったら「ハマドリちゃんのゲーフラ作った人の旦那さん」みたいなポジションで少しずつ認知していただいたという状況だ。
試合に足を運ぶたびに顔見知りの方が増え、じきに挨拶程度のお声掛けはさせていただくようになった。
twitterアカウントと結び付けて覚えていただくことも増えた。
しかし、どう喋りかけたら良いか分からない私と、配慮の上手ないわきの方々の、温かい恋心のような距離の測り合いは、その後しばしの間続くのであった。
(お、twitterの方がいっぱい語り合ってるぞ・・・みたいなw)
そのうち、そうした距離の測り合いの根底には配慮の上手さ故の優しい様子見があるんだろうなぁ、と考えるようになっていった。
地域性から見る課題
配慮の上手さについての考察は前半で述べさせていただいたので割愛するが、その背景にあった様々な困難を考えれば、これはしかるべき流れである。
異なる地域意識を持った住民が、何回も何回も自分の損得と相手の損得を考えて配慮し合いながら、丁寧に心を砕いて、やむなき事由により一つの自治体となり、
また、被災の経験からは心無い言葉、心無い文字、心無い行動に自分たちの故郷を否定され、それぞれがそれぞれの生活の中で、決して小さくない傷を受けているのである。
そして傷というものは『癒える』ことはあっても『消える』ことはない。
そうした経緯を考えれば、その帰結として『優しい様子見』という選択は、むしろ配慮の経験値が高いからこそ辿り着いた大人な対応であると思う。
また、地域社会で生活するということは、多かれ少なかれ何らかの『しがらみ』の中で生きるということでもある。
相手の立場を考えて、言いたい事をグッとこらえることもあるだろうし、
自分の思いを押し殺して、相手の損得を可能な範囲で尊重することもあるだろう。
例えば、試合が開催される日に地域で違う催しが行われるのだとすれば、そこで安易に大々的なPRをすることは適切ではない。
そうした子細な配慮が多かれ少なかれあるのではないかと想像している。
結果的に、他の地域よりもそのような経験を深く味わっているからこそ
「試合見に来てね」
という言葉の価値は、いわき・浜通りの地域で生活を営む皆様にとっては、少なくとも気軽なものではないと思われる。
もちろん、今シーズン試合が開催されているJヴィレッジスタジアムが人口の多い市街地から離れていることも要因の一つであることは推察されるが、チームが毎年これだけ良い成績を残している中で、思うように観客数が伸びていかない理由の一端には、そうした配慮の上手さ故の要因もあるのではないかと個人的には感じている。
よそ者であることの意味
ここでこの集客の課題に対して、配慮の上手さをかなぐり捨ててまで集客に走るのは適切ではない、ということは言うまでもない。
短所を消すために、長所まで消してしまうのは本末転倒だ。
何より、地域の成り立ちや価値観というものは何十年も何百年もかけて培われた一つの文化である。
簡単に捨ててよいものではない、というより簡単に捨てられるものではない。
であれば、その役割は『よそ者』が補える部分が大きいのではないかと感じている。
地域への配慮を重ねていけば、身動きが取りづらいこともたくさんある。
しかもその土地で生活をしているなら、なおさらだ。
だがよそ者にはそうしたしがらみは無い。
あるのは自分の好きなものを大いに語り、大いに発信できるという利点だ。
(もちろんよそ者であっても地域性や住民性、そこに集う人々の『都合』を理解する事が重要であることは前提である)
これから先の『地方』というものを考えた時に、街が元気になっていくためには、他の地域で住む人々を如何にして自分たちの街に来てもらえるようにするか、という視点は既に欠かせないものとなっている。
少子高齢化が加速度的に進みつつある現代では、都市圏ならいざ知らず地方都市がその地域に住む人口だけでビジネスを営み共存していくには限界がある。どうしても『パイ』の奪い合いになってしまうからだ。
そしてそれは、地方にあるサッカークラブにとってはダイレクトに直面する課題である。
どうやってそこに魅力という価値を生み出し、地域人口以上の人々にそれを知ってもらうか。
ここに利害関係の絡まない、第三者的な視点で関われる『よそ者』の利点を生かさない手は無いと個人的には思っているし、さらなる成長のためには必要な人材であると感じている。
もちろん魅力の中心にあるのはクラブで、その周囲でクラブを支え、またクラブの魅力を良い意味で利用していくのは地域の皆様だ。
さらにこの2つが合わさって放たれる大いなる価値を、その外側から純粋に『好き』と言える、良い意味での『よそ者』が全世界に向けて発信していく。
これからの地方クラブを大きくしていくには、こういうベクトルを目指す必要性があるだろうと常々考えていたし、既に実行に移しているクラブも多々ある。
このような視点から考えていった時に、いわきFCといわき・浜通りという地域はそのベクトルへと入っていく地盤は既に構築されつつあると感じている。
先日、いわき踊りを一目見たいと思い平の駅前を訪れた際、現いわきスポーツクラブが誕生してからの6年間で積み重ねてきた地域との一体感がそこにあった。
通りに並ぶ街灯にはいわきFCのタペストリーが数多く掲示され、スタッフの皆さんが一人ひとり手渡したうちわを、たくさんの人たちが手に持っていた。
これだって普通の事のようだが、決してそうではない。
クラブと地域が良い関係性を構築していなければ、あれだけのタペストリーが並ぶことは無いし、うちわだってこんなにたくさんの人に受け取ってはもらえない。
最初は『よそ者』であった安田秀一氏と大倉智社長が、地域の都合を深く知り、地域に寄り添い、たくさんの人々と共に創り上げてきたものが、あの光景を生んだのだろうと私は感じた。
次なるステップアップのための展開は、その魅力に気付く『よそ者』を増やしていくことであると思う。
もちろんいわき・浜通りという地域やそこに住む人々に来ていただけるように寄り添っていくことは第一として、同時にこの魅力を共に発信してくれるよそ者と言う名の『仲間』を増やし、内側からも『配慮が上手い』長所を生かし、外側からも『純粋な発信』ができる長所を生かし、良い相乗効果を生み出していければ、おのずといわき・浜通りを訪れる人が増えてくると思うし、別の地域から訪れる人々が増えてくれば、これまでいわきFCの試合を見に来たことが無かった、いわき・浜通りに住む人々も、よりスタジアムに足を運んでみようという気持ちになっていくかもしれない。
だから私自身も良い意味でのよそ者の立ち位置で、よそ者だからこそ出来る発信にこれからも取り組んでいきたい。
だって、いわきFCも、そこに集う人々も、いわき・浜通りという地域も、すごく好きになったし、楽しいから。
さいごに
現代における健全な人間の集団とは、
多様性が許容される、という姿だと私は考えている。
誰にでもウェルカムな人がいて、熱量込めて相手を煽る人もいて、
選手を応援する人、クラブを応援する人、応援が楽しくて来てる人、
様々な理由、様々な姿、様々な魅力があってこそ、
これから人口が減っていく日本において輝くことができると思う。
フットボールの熱狂に正解は無い。
だからこそ、これだけ多くの国や地域で競技が行われ、その土地その土地の色が花開いているのだろう。
これからもそうした魅力が数多く生まれ行くことを祈りつつ、
いわきFCといわき・浜通りという地域の魅力に、
日本の新しい『フットボールスタンダード』の可能性を
私は強く感じている。
ここまでお読みいただいた皆様、
たくさんのお時間を頂戴しありがとうございました。
別の地域からいわき・浜通りを訪れるようになったものとして、
この半年間で感じたあくまで個人的な見解を、
出会えた皆様とのご縁に感謝しつつ、
新しい仲間に届いたら良いなぁ、という思いで
書かせていただきました。
実態と違っている部分もあるかもしれませんが、
個人的感想としてご理解いただければ幸いです。
ホントに最後として、
盛大に伝えたいと思います。
いわき・浜通りにみんなで行こう!
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